月曜の朝は卵かけごはん

例年と違い「忘年会」というものが、この季節になくなったことにより、
年末という雰囲気がどこにもない。
天真庵も「寺子屋」という、月に一度づつの勉強会が3月からなくなったので、
「また来年もよろしく」という区切りみたいなんが、なくなっている。

あえて季語を探すとなると、「年越しそば」とか「今年仕込んだ味噌をあけた」という声
が日毎に増えることだろうか。昨日は、一日で味噌が1k以上売れた。
外食が減って、家ごはんが増えている証だと思う。

東京にいる時は、朝はやくから蕎麦を打ち、焙煎をし、営業時間帯は立ちっぱなしで、
口も体も動かしながら頑張っているので、さほど寒いと感じないし、珈琲の味見と、
夕方になると、蕎麦焼酎のそば湯割りなんかで、のどの渇きをうるおすことが多い。

能登で生活する時は、午前中に釣りや畑仕事をやり、午後は本を読んだり、書き物をしたり
の時間が多くなるので、朝いっぱいの珈琲を飲んだ後は、蕎麦猪口に黒豆茶を10粒ほど入れ、
囲炉裏の鉄瓶か湯をさし、色がなくなるまでお茶を飲みながら過ごしている。3杯くらい飲むと、
蕎麦猪口の底に鎮座した黒豆茶(黒豆を焙煎したもの)を食べる。
朝に具たくさんの味噌汁とごはんの一汁一菜の朝飯を食べた後は、昼はおなかがすいたら、果物とか非常食用のビスコ
を食べたりすることがあるけど、ほとんどが「黒豆」をポリカリするだけで、夕食までおなかがすくことはない。
「豆」とか「果実」というのは、量的には少ない感じがするけど、エネルギーとしては、充分で無駄がない。
「おなかを満たす」というのに錯覚している部分があったな、と反省。

今日の味噌汁の実は、能登の家の畑で収穫した大根やブロッコリーがいっぱい。
それに、輪島の総持寺の近くで買ってきた豆腐。この豆腐は、能登の大地の大豆と、きれいな海からつくった「にがり」
がきいていて、うまい。

香のものも、能登の大根と人参を、梅酢でもんでつくったものだ。お米も、近くの棚田でまじめにつくったお米。
「能登の役者そろい踏み」のような朝ごはん。