年越そばモード

毎年、海の日に大石さんがピアノのライブをやってくれる。今年はコロナ禍で中止になった。
大石学トリオでドラムを担当していたセシル・モンローさんが2011年
の夏に、千葉の海で死んだ。それからこっち、毎夏の海の日に「追悼ライブ」
をやるのがならわしになった。セシルは、ご近所で、駐車場も天真庵の敷地内にあったので、
ときどき駐車場で井戸端会議をしたり、一度テレビにいっしょにでたこともある。
ニューヨーク生まれでいつも陽気で、「この街はブルックリンみたいね」が口癖やった。
確かに、このうらぶれた十間橋商店街はずっとうらぶれているけど、独特のモンローウォクで歩く姿は
、さながらブルックリンの路地裏、といった空気が流れていた。

来年で10年か・・・光陰矢の如しだ。

上原英里ちゃんのシャンソン、国貞雅子、大石学、3つを年末にやれてよかった。
世界中のアーティストたちが、「ライブ」という活躍の場を失い、配信ライブに切り替えたり
しながら、孤高に自分の世界を構築されているようだ。ライブハウスというのも、「三密」の
権現みたく思われ、閉店の憂き目にさらされているのが、実情である。
「三密」のほんとうの意味での「みっつのこころ温まるあつまり」が、来年できるかどうか心配だけど、
「生きてる」を実感する音楽のライブが、世界中でまた日常茶飯になることを、星に祈りたい気分だ。

今日は日曜日。日曜は16時まで営業。その後は「蕎麦打ち教室」
3年間、毎月通ってきて、「もうすぐ師範代?」みたいなそばもん君が、
31日の「自分で年越しそばを打つ」前の仕上げに、本日そばを打ちにこられる。
蕎麦打ちも「職人」のイメージがあるけど、なんとか「芸術」の域まで高めていきたい、と思う。
なにもパリやニューヨークやブルックリンで生きるのがアーティストではない。島国ニッポンの
うらぶれた下町や地方都市、どこでもかまわしない。「ここで生きる」ときめた場所で、
自分らしく生きる人たちは、みな芸術家ではないかしらん。感謝。

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