能登は、今日も朝から冷たい雨が降っている。
朝おきると、まず炭をおこす。夜寝る前に、囲炉裏の炭に
灰をかぶせ、五徳(ごとく)の上に鉄瓶を置いてから布団に入る。
朝起きて、かぶせた灰を鉄箸で取り除くと、灰の中から火がついた炭
がでてくる。「埋(うず)み火」という。それをうまく集めて、新しい炭を配置し、団扇でゆっくりあおぐと、
チリチリと音がして、新しい火が生まれる。まるで「一日が一生」で、また新しい
人生が始まる、そんな気持ちになる。
茶道、煎茶道にも「炭点前」というのがある。人類が30万年前に火を発見した、と同時に、
「炭」を発見した。縄文人は、家の中心に囲炉裏をつくり、その横に立石という男根魂を
立てながら暮らした。茶道の「炉」というのは、そんな縄文人の「哲」の流れを組んでいる。
炭の中で最も大きく、風炉や炉に最初に据えて芯とする炭のことを「胴炭」(どうすみ)という。
就眠中も灰の中で燃えている炭も、その大きな「胴炭」。そろそろ寝よう、というころに、
炭箱にある一番大きな炭を囲炉裏に入れ、火がついたころ、それを灰にかぶせてから寝ると、
8時間くらいは、大丈夫。スイッチひとつで生活する現代人には、このニュアンスは伝わりにくいが、
生活の中に「炭」を使い、少しお茶などを嗜むと、日常茶飯の中に入っていくだろう。
昨日、岩手で地震があった。戦前戦後、岩手に製炭法が生まれ、日本一の生産を誇るにいたった。
最初は「自給自足」の象徴だったけど、東京や大都市におくるようになって、「東京のぼせ炭」
といわれ、農家は山へ入り、焼き子(炭を焼くひと)という家族単位で山小屋で炭を焼く人たちが増えた。
九州の炭鉱節とは、すこし趣の異なる悲しい物語が今でも残っている。
九州は「おかあちゃん、はら減った」と子供がいったら、母親は、「そのへんで魚でも捕まえて喰っとき!」
と答えてきた。東北の人たちは、厳しい自然の中で暮らしてきたので、「東京のぼせ炭」のころ以外は、
お米が食べられるのは、盆と正月くらい、が普通だったみたいだ。
お茶人たちは、炭で点前をつくり、正月には、床の間に「炭飾り」までするほど、日本の炭は
「芸術」の域まで到着した。でもその陰には、米も食べることができない東北の山地に住む人
たちの、粒々皆辛苦の生活に支えれてきた歴史でもある。
シンコロ時代の今も、貨幣経済の光と影があり、貧富の差は、ますます広がっていくばかりである。
そろそろ、囲炉裏の炭を囲み、利害得失を超えた気のおけない人たちと、おだやかな毎日がおくれる
ような日常を獲得したいものだ。ひとりひとりのこころが、「埋み火」になることやないかな。
雪が降るような寒い夜にも、消えない思いを、灰の中でずっと燃やしている。「埋め火」って、
歌のようにロマンチックでもありますね。感謝。