能登にくる前の日の日曜日。GOTOなんやらを使って、遠くから蕎麦を手繰りにこられる人で
にぎわった。ありがたいことだ。
夕方、きれいな京都弁をつかわはる京男が3人お店に入ってきた。ほぼ満席状態だったので、挨拶もできず、
彼らが所望された蕎麦を出したら、おかわり蕎麦といわれ、ズズズと元気に手繰る音が、すがすがしかった。
京都のからふねや時代の部下のお弟子さまたちだった。ちょうど一か月前あたりから、いいモカが入って、
焙煎もブレンドも「40年くらい前の京都の喫茶店の味」に戻したところだったので、不思議な縁を感じた。
ひとりが「ホボブラジルいうのは、イタリアンテーストですね」とのたまった。京都の若者もイマフーだ。
そのころは「いのだ」では、最初からお砂糖とフレッシュを入れて供された。♪京都三条堺町のイノダ、
の味は、そんなスイーツのような味だった。からふねやも、9割の人が砂糖とフレッシュを入れた。
ぼくたち、珈琲を入れる側も、自分のいれた珈琲を試飲する時、カップに角砂糖を一個入れ、フレッシュを
入れて飲んだ。その後、昭和の終わりころから、平成になって、健康志向からか、いわゆる「ブラック」
で飲むのが当たり前になったような気がする。そのころから「ブラック企業」も多くなった?
ときどき、チーズケーキをつくる時、底に残ったフレッシュを珈琲に入れ、砂糖を入れて飲むことがある。
ぼくにとっては、そちらの味のほうが、馴染みがあって、「青春」を回春するような気分になる。
それはさておき、能登にきて三日目の朝。昨日は雨が降っていたので、タコ釣りにはいかなんだ。
昨日の夜も雨が降っていて、囲炉裏の鉄瓶に竹葉をぬる燗にして、チビチビやりながら、プロコフィエフの
「ロメオとジュリエット」を聴きながら、熊谷守一の「へたも絵のうち」を読み返していたら、眠れなくなって、
深夜まで、受験生みたいに本を読んでいたら、寝坊した。
今朝うえの畑にいったら、柿の木の根元が、猪に掘り返されていた。これから遅い朝ごはんを食べたら、畑を
なおしにいく。上の畑には「辛味大根」しか植えてない。それは猪が見向きもしない。まだまだ「蕎麦の味」
の薬味まで、彼らには興味がないに見える。
能登に出発間際に、ギターの翔くんが遊びにきた。冷蔵庫の中の食材とか、蕎麦を入れたタッパー
などをクーラーにいれると、「能登でもお店はじめたんですか?」と聞かれた。
よく聞かれる質問でもある。
もともと、無目的に生きてきた。とくに能登ではまったく無目的に「ただ生きている」。ただ「能登で生きる」が信条だ。
でも毎日毎日、朝から体を使って、「今ここ」をほとばしるようなエネルギーを使って、生きている。
芸術といっても、絵や書や楽器をうまくやれることだけではない。そんなことしなくても、無為自然に素っ裸なまま、
ゆたかに、無条件に生きている人のことを、これからは「芸術家」と呼ぶような時代じゃなかろうかしらん。感謝。
19日(土) 「大石 学 ソロ LIVE」
演奏:大石 学(ピアノ)
18時開場 18時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)