能登で生きる 12月編 第一日め

月曜日の夕方、お店をかたづけて、能登に出発。
天真庵のドアの鍵を閉め、その扉の上にある「喫茶去」に一礼。

それを書いてくれたのは、あだちさん。ぼくの名刺も、「うめ星」のデザインも
彼女がやってくれた。前日、重たいものをかかえて、「これ能登にもっていってください」
と、能登の珪藻土の七輪をいただいた。2年前に天国に引っ越されたお母様が20年くらい前に買って、家族で
使っていたものらしい。お酒も好きだったけど、風流な女性だった。

能登の家にも、丸い七輪が置いてあって、夏はさざえを焼いたり、秋はアオリイカやタコを
あぶって、八代亜紀を口ずさみながらお酒を飲む。梅林ガールズたちが泊まりにきた夜は、
その小さな七輪では、忙しく、いただいたような長方形で、大家族でもOK牧場のものを
欲しい、と思っているやさきだったので、とてもいいものを、能登に里帰りさせられた気分。

同じく、日曜日、お店はお客さんでにぎやかな中、おかまのMくんが、懐かしい椅子をふたつ「能登へもっていって」といって
チャリンコで運んでくれた。池袋時代のギャラリーで使っていたもので、Mくんに10年前に譲ったのだが、
今度、彼(彼女?)が引っ越す先が和室しかないので、処分に困っていた。10年ぶりにこれもまた里帰りしたかたちになる。
「なるべくものは捨てない」というのは、とても大切なことだと思う。能登の玄関に置いてあるテーブルにちょうどいい感じに収まった。
さっそく今朝は、玉露を梅茶翁の湧き水を沸かして、その椅子に座って一服。東京よりも、ひんやりする朝だけど、
体中に凛としたエネルギーが充満していくようだ。

今、ブログを書いている部屋は、古民家の田の字型になっている和室4室のひとつの部屋。
冬は襖を閉め、10畳のこの部屋に、石油ストーブ、囲炉裏で暖をとって生活する。
囲炉裏は、陶芸家の久保さんの家からもらったもの。そこに炭をおこし、鉄瓶をおき、その中に
角居くんがつくってくれた錫のチロリに酒を入れ、能登ジェラトン(隕石粉を練って久保さんがつくってくれた器)の
ぐいのみで酒を飲む。実は、全国津津浦浦に残る、この伝統的な田の字型の住居、囲炉裏、というスタイルは縄文時代を礎としているものだ。

今年はコロナで始まりコロナで終わりそうな感じ。来年もしばらくはそうかもしれない。
世界中の人が「どうやってこれから生きていけばいいのだろう?」と模索している。
迷った時の答えは簡単。「ただしく生きる」に限る。「生きる」という基本形に戻ればいい、と思う。感謝。

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