8ケ月ライブをやっていなかった。先月末に英里ちゃんのシャンソンを皮切りに、
本日は国貞雅子がやってくる。19日には、彼女のピアノの師匠・大石学ピアノライブがある。
昨日、蕎麦を手繰りにきた女性が、その時たまたまかかっていた大石さんの曲を聴いて
「わたし、サムタイムに大石さんを聴きに2度いきました」と👀を輝かす。ピアノの一音一音
に、粒々皆辛苦、みたいなオーラがのせられている。国貞の声も、同じように、「彼女の人生」がこめられている。
昨日、お店がひけるころ、近くの家の4歳になる娘・Kちゃんが「そば よにんまえ ください」とやってきた。
ちょうど、それで売り切れになったので、かたずけを終え、燕京亭にいって、ギョウザとビールで
テレビを見ていたら、長嶋の息子がでていて、小田和正そっくりのモノマネを紹介して、その人が
歌うとこがあった。ビールがまずくなるくらい、不愉快になった。
声やフンイキをまねて、「なりきる」ようなタレントが昔からあまたいるけど、オンモノと
違って、抑揚がないのとで、ゆらがない、というか、感動がない。センズリしている猿を見てるような感じ。
2007年に天真庵が押上に結ばれて、いろんなピアニストが演奏にきてくれた。
名前を言えないような人もいたし(ほかの契約上)、世界で活躍しているピアニストたちも、
古色蒼然たる建物の片隅においてある昭和30年代のアップライトのカイザーというピアノを
楽しげに奏でてくれた。ひとり若手のピアニストが、フジ子・ヘミングのピアノのCDを「?」な
感じで聴いた。こちらも、だいぶ耳が肥えてきたけど、ときどき、フジ子さんのやさしい中にも
、どこか人生の寂寥がこもったような音が聴きたくなる。一音一音が彼女の情感哲学みたいな音。
昨日に続いて、「あなたに届けば」から・・・
「涙は女の娯楽である」
と言った人がいたけど、
やっぱり、好きな男にふられて泣くのはつらいもの。
でも、いっぱい恋をして、
苦い涙をたくさん流したほうが
人にやさしくなれるわ。
もひとつおまけ・・・
異国にいて いつも孤独だった。
あまりに、貧乏だったから、
生活のために結婚しようと思ったことさえある。
しかし、そんなことでいっしょになっても、
幸せにはなれなかったと思う。
愛は打算じゃないから (フジ子)