今出川新町のボン・・

昨日のブログで紹介した、ぼくが家庭教師をしたボンK・・の今。

Kは呉服屋のボンで、まだ西陣がにぎわっていた時代なので、裕福な家庭で育った。
小さいころはフィギアスケートで、かなりいいとこまでいったらしい。
お母さんが、世話好きで、まかないつきの下宿屋をしていた。京大・立命・同志社
の人が下宿していた。小さいころから、大学生とつきあっていたので、なにかと「ませて」いた。

中学時代は、ギターに凝りだして、まったく学校の勉強をしていない少年やった。
ぼくの前の家庭教師は、京大の医学部に通う秀才で、ときどき、その下宿で飲んだりした。
頭はよかったけど、ボンには、あまり相性があわなかったみたい。

お母さんには、「ぼくが教えても、成績はあがらないと思うし、普通の勉強してもしゃーないので、
家庭教師代はO円。そのかわり名誉冠の熱燗一本つけてください」という条件ではじめた。
案の定、まったく勉強に興味がない。熱燗を飲みながら、四方話をしたり、「わびすけ」でお茶飲んだり、
銭湯にいっしょにいったり・・・・

3か月くらいたったある夏の日・・・
「Kすけ・・こんどの日曜日、花脊までサイクリングにいかへん」と誘ったら、大喜びして、
今出川から賀茂川を上り、花脊峠まで自転車でいった。途中に「熊注意」の看板があったり、小川を自転車かついで
渡ったり・・・・かなり苦戦しながら花脊峠にたどりつくことができた。それからスイッチが入った?のか?
集中力があった子だったので、それから猛勉強して、紫野高校へ入学することができた。

高校時代には、京都のライブハウスなどにでて、プロのギタリストになり、そこそこ人気があった。
2年で中退し、ニューヨークにいき、その後はヨーロッパで活躍し、今もロンドンで活動して
いる。ときどきメールがきて、「天真庵でおれのライブやってあげようか」などとなまいきなことを書いてくる。
中学生だったボンもおっさんになり、イタリアの美人の奥さんとふたりの子供とロンドンで暮らしているようだ。
一度だけ、彼が結婚した時、ロンドンを訪ねたことがある。
音楽仲間たちに、「この人はオレの英語の先生やった。でも今は、オレが通訳してあげてんねん」みたいな
ことを自慢げに京都弁みたいな英語を使って話していた。

英語もそやけど、「人に教える」というのは同時に「教わる」こと多しだ。彼が演奏するライブハウスなどで、
いろいろなミュージシャンたちとふれあった体験などは、今の天真庵のライブの中に多く生かされているように思う。
「生身の自分自身にかけるしかない」とか「自分らしく生きる」という点では、ぼくの最初の師なのかも知れない。