出世魚のブリ。煎茶をいれる時「急須・湯冷まし・茶碗」の順にお湯をつぐように「ふくらぎ がんど ブリ」と成長する。
そして、正月前には、そんな縁起から、寒ブリが高騰する。市場経済とは、うまく?できているもんだ。
外浦のこっちがしでは、海が凪いでいる日は、朝6時の「ざざえさん目覚まし」
がなる前から、男たちは伝馬船にのって、沖にでかけ、釣りをする。この一週間は「ふくらぎ」が
よく釣れているようで、4尾のお裾分けをいただいた。
ちょうど梅林ガールズたちがきたので、
いっしょに満喫できた。残りは、三枚におろし、半分はさしみ、飽きたらズケやカルパッチョ風にして、
毎日楽しんでいる。残りは梅酢をミストして一夜干しにしている。能登に来て一週間になるけど、まだ買い物するために町にでかけていない。
ぼくのお財布は、テーブルの隅に鎮座したままで、まだ一円も使っていない。昨日は東京からきた客人が
器を買っていかれたので、反対にお金が増えている(笑) 骨董屋でもやろうかしらん。珍品庵。
昨日の午後は、栗と柿の木の剪定をした。「切り上げ剪定」を基本に、太陽に向かって伸びている枝を残し、
大地に向かって下がっている枝を切る。これをやっていると、木がどんどん若返って、毎年たわわな収穫祭を
もたらせてくれる。「桜切るバカ 梅切らぬバカ」、実のなる木は、毎年剪定するといい。
明日は梅茶翁にいって、梅の木の剪定をやる。のんびり暮らしているようだけど、田舎暮らしというのは、
体を使ってやる仕事が多い。でも、都会で使う筋肉と違うところを動かすので、汗をかくけど、
「動くことによって、安息を得られる」感が、体がわかっているようだ。夕方は長ネギを畑に植えた。
「桃栗三年 柿八年 ゆずのバカタレ十八年」ということわざがある。
田舎のいいつたえに「ゆずは、植えた人が死んだ後にしか実をつけない、ともいわれる。
毎年、湯河原の農家産にたのんで、ゆずを能登におくってもらい、それで「柚子胡椒」をつくっている。
確かに、今苗を植えても、十八年後は、この星から引っ越しをしてる可能性が高い。
小説家の吉行 淳之介さんは、 「もも尻三年胸八年 」という名言をはいた。
女性の体を自然にさわれるまでに要する時間らしい。どうもこれも、「天国までの引っ越しが近い仙人」
みたいな、男でも女でもなく、モテキをとっくに過ぎた枯れ木のような存在にならないと到達できない
境地かも知れない。もも、くり、しり・・・どちらにしても、あっという間に、まばたきするように通り
過ぎていく、つかのまの人生の中の「刹那」ではありまする。感謝。