うずくまりたくなる毎日

信楽の花入れのことを「うずくまる」という。茶人が好んで茶室におく器。人がうずくまってる形に似ているので、
いつからか、そんな名前がついた。自粛生活やひきこもり生活が日常になった「今」は、
どこかしらみんなの生活や頭の中が「うずくまる」になっているみたい。「哲」には、孤独な時間は大切やけど・・。

木曜日、先週に続いて、南島原に移住した「くちのつ巷珈琲焙煎所」のなつきブレンド珈琲を飲みたくなって、
十間橋通りを明治通りに向かって、てくてく歩いていた。途中におかまのMくんの住んでる長屋がある。
先週は声をかけても、電話をしても居留守だったので、帰りに自転車の中に「ごまのイチュール」を
差し入れした。2000冊以上の蔵書を近くの長屋に、二か月かけてお引越しの最中で、頭の中のデータベースに
「この本は、ここ・・」とか考えながら、孤独の時間を楽しんでいるようだ。
そんなことを思いながら、通りすぎようとする瞬間・・・

「あ~ら、私に声もかけずに、どこいくの~」と、二階の窓からMの声。「イルフィオレットに珈琲飲みにいくとこ」
というと「私も連れてって」といって、間をおかず降りてきた。右手に一冊本をもっている。
「これ、引っ越しの荷物(といっても、9割が本。残り一割の9割が掛け軸)の中から見つかったので、あげる」とのこと。
「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」という、歎異抄の有名な言葉が題材になった本。著者は石和鷹。
あらかじめ、ぼくがここを通るのを、知って準備していたような周到さ(笑)

最近、歎異抄を読む人が増えているらしい。今年の夏に、石川の松任駅の前にある「中川一政記念館」にいったら、
その近くに小さな銅像をみつけ、それが「わが歎異抄」の著者で親鸞の教えに尽力し、晩年は目を患い、盲目
で布教をつずけた「暁烏敏」(あけがらす はや)だった。盲目になってからの飄々とした字が、なかなかよくて・・
とMくんにいうと、次の日の暁烏敏が揮毫した短冊をもってきてくれた。カウンターの後のジャムなんかを並べている棚
のところに今も飾ってある。「間違いなく、失明してからの書」だとMが胸をはってのたまう。

歎異抄の話などをしながら、イルフィットさんについたら「花の配達中」だった。仕方なく、近くの「梅鉢屋」
(100年の歴史があるお菓子やさん・今年いっぱいで緞帳を下げる)にいく。野菜の砂糖菓子が有名。煎茶にあう。
「珈琲でいい?」とMにきくと、「私500円しかないけど、フルーツアンミツが食べたい」というので、「いいよ。おごるよ」といって、
それをふたつ注文して、おかま言葉と、少し関西なまり言葉が、機関銃トークしているのを、定員さんは「?」
な感じで見ていた。

イルフィオレットには、夕方にいった。先週も書いたけど、ここは「お花やさんカフェ」。曳舟・押上地区のカフェでは、
一番素敵な空間やと思う。玄関脇の棚には、「うずくまる」が置いてある。渡辺愛子さん作。
音楽はウォンさんのピアノ。ぼくがお茶を彼女に教えている時、いつもウォンさんのCDをかけていたので、彼女に伝染して
コンクリート打ちっぱなしの花ある空間によく似合うピアノがいつもかかっている。そこで「なつきブレンド」を飲むのは、至福の押上時間だ。

今日から11日(水)「渡辺愛子 作陶展」を、生まれ変わった「炎色野」(ひいろの 新しい住所 杉並区永福 3-33-97)
でやる。渋谷で23年。久保さんもぼくも、楽しく過ごさせてもろうた。渡辺愛子さんも、そこで20年前に出会った。
文庫くんもそやね。天真庵を押上に14年前に結んで、ブンカンができ、なつきくんや、文庫ちゃん、Mくん、渡辺愛子さん・・多士済々の人
らが、この街に住むようになった。個性的な「ひとり」がその街にいると、化学反応が起きて、輝きはじめる。感謝。