「うんこくさい」という奇妙で伝説的な陶芸家がいた。
全然は、日本一の洋服の仕立て屋といて名をはせたが、戦争で弟子たちが
戦死したり、世の中が激変して、陶芸家になった。川喜田半泥子(かわきだはんでいし)や
棟方志功と親交があった。財界や政界にもファンがあまたいて、不思議なお茶会(スキモノ会)には、
多士済々の文人や茶人たちが集った。
ある日、当時の首相の岸信介が、彼のアトリエ(愚朗居・グロテスクと称した)に訪ね、
焚火を囲み、焼き芋を喰らいながら談論風発をした。「バカヤロー」と書いた湯飲みで首相が
茶を飲み、「人間バカにならんとあかんな」というような禅問答をしたらしい。
せんだっての首相の選挙のことを思い出した。知り合いの書家がコロナ禍の中、銀座で個展をやった。
選挙中で苦戦を強いられていたIが、ひょっこり訪ねた、ときいた。「精神的文化力」という点においては、
首相になったのや、いっしょに落選したなんやら、よりも上。岸らが「妖怪」といわれながら活躍する時代
だったら、間違いなくIにも芽があったはずだ。
両手をなくした炎の書家の「愚」の前で、しばらく坐禅するように、立ちすくんでいたらしい。いい話だ。
「うんこくさい」はただのオヤジギャグではない。
彼には「うんこ哲学」という、唯一無二の哲学があった。もともと「哲」は、世間や政治のためではなく「自分」のためにある。
「トイレに入る時は流行も流派もなく、本音と建て前もない。生まれたままの自然の姿で、他人に見せるわけでもなし。
これが真の芸術である。」というものだ。
絵や書ができたり、茶をたしなんだり、楽器をうまく奏でたり・・・が芸術家ではない。うんこをするがごとく、
無為自然に毎日毎日の「今ここ」を生きる人は、みな芸術家なのだ。自ら「雲谷斎愚朗(うんこくさい・ぐろう)と
称した。
78年の生涯を終え、知人におくった死亡通知には
「やきものは窯から出なければわからない 人間は窯に入らなければわからない 愚朗」
と書いてあった。