エロい蚊 今日は16時閉店。

昔、キンチョーの宣伝に、阪神の掛布が♪カ カ カ カのカッチャン・・・
そんな奇妙なCMがあった。昭和のお話。ところかまわず、「刺す」のでエロい?

今年は、ベートーヴェンが生誕して250年という節目にあたり、NHK-FMなどでも
よくベートーヴェンの曲が流れる。「GOTO・・」で無理くり人も出始め、暮れの「大工」、
もとい「第九」もなんとか「生」で聴けるような雰囲気になってきた。こちとらは、31日は
「年越しそば」で、外へいく気力も残っていない、というのが毎年の「大晦日」ではあるけど・・

第九と第五の「運命」が世界的に有名。「じゃじゃじゃじゃーん」でわかる。
昔、ヨネクラジムに「クレイジー・キム」という、くまもんボクサーがいた。(本名が金山俊二)
日本と東京チャンピオンになり、「いざ世界へ」という時に、世界ランカーに挑戦。
最終ラウンドまで圧倒的に有利だったけど、最後の最後にいいパンチをもろうて、
残り2秒のところでKO負けした。今は熊本に帰って、ボクシングジムをやっている。

彼の東洋タイトルに、角海老ジムの前田という「元日本チャンピオン」が挑戦したことがある。
その時に、前田が登場してくる時の音楽が「運命」だった。「今日は、自分がチャンプになる運命的な日」
という縁起をかついでリングに上がったけど、早いラウンドでテンカウントを聞いた。
大工もボクサー・・・みんなが知っているベートーヴェン。

昨日の夕方ラジオを聞いていたら「第三」の「英雄」がかかっていた。焼酎を酢橘割りで飲んでいたけど、
ウヰスキーのロックにかえて、じっくりと聴いた。この曲がナポレオンに捧げようとして作られたのは有名だけど、
その英雄というのがイタリア語で「エロイカ」。彼自信は、第九や第五よりも、その「エロイカ」
が「自作の最高峰」だと思っていたらしい。

東京から長野の伊那谷に移住し、3年くらい前に天国に移住した先輩のエッセーに、
「冬の雪の中で聴くのには、エロイカがいい」という文があった。
やっと、能登の家も音楽が聴けるような雰囲気が整ってきたので、今年の冬は
カラヤンの「エロイカ」を聴きながら、ウヰスキーを飲(や)ろうと思っている。

今日は毎年恒例の「かよちゃん教室」のピアノ発表会。
半年以上ぶりに、生のピアノが奏でられる。やっぱり音楽は「生」がいい。

11月の27日あたりから、シンコロで中止したプログラムを、ボチボチやっていこうと思っている。
時間が18時開場にし、人数制限しながら、ゆっくり日常をとりもどしていければ、と・・。
久しぶりに天真庵の「ライブ情報」が更新された。
上原英里ちゃんの「シャンソン」、新しくCDを出す「国貞雅子」、大御所「大石学」・・・目白押上の年末。

天真庵の元気グッズ通販

天真庵のHPにそんな部屋がある。
「元気シール」と「うめ星」が売っている。少し明後日、いうか、今の時代の
ベクトルと違うので、通販ではあまり売れないし、それでもいいと思っている。
でも、その中の「瓢箪」は、お店や銀座の「隕石直売所」では、水を得た魚のように
好評である。

その中の「21世紀宇宙の旅茶碗」という奇妙キテレツな「旅茶碗セット」が紹介されている。
通販では売らないけど、ぼくの煎茶の「もと弟子さん」たちに、嫁いでいった。
ぼくは、能登にいく時も、どこかにお呼ばれした時などには、背中のバッグに潜ませて同行するのがならわしになった。

昨日は、八広のイルフィオレット(イタリア語で、花)という花屋&カフェにお茶を飲みにでかけた。
店主のYさんも、ぼくのモトカノ、もとい「もとお弟子さま」のひとり。ここの珈琲は、南島原に移住した「くちのつ港珈琲焙煎所」のなつきくん
の豆を使っている。それを所望し、飲んでいると、7月に蕎麦打ちに雲仙にいった時の海の情景が浮かんできた。
かの頼山陽が「青一髪」と詠んだ景色。お茶うけのように、「ごまのイチュール」という素敵なお菓子がでてきた。
それを食べていると、携帯が鳴る。「顔が見たくなった・・」。亀戸の骨董屋からだ。その後に
「ミウラチクセン(三浦竹泉 京焼の巨匠)の煎茶碗がでてきたので、見に来ない?」とのこと。

さっそく「ごまのイチュール」を手土産に包んでもらい、テクテクと亀戸天神まで徘徊散歩。
根来(ねごろ)の丸い折敷(おしき)の上に、竹泉の煎茶碗と宝瓶(ほうひん)が用意されている。
その横にお香を焚いていて、「沈香(じんこう)ですね」といったら、「さすが」とほめられた。
主人の女将さんがなくなって三回忌を今月迎えた。星野村の玉露を入れて、ひとつは彼女の写真の前に手向け、
三煎づつ飲んだ。もちろんお茶うけは、「ごまのイチュール」。

明日で地球が終わり、という時がきたら、「こんな茶会をしたい」という感じの茶会ができた。

最近、夜の寺子屋もやめ、「隠居」に近い状況になってきた。もともとひとりでいるのが好きなので、
なんていうことないけど・・
朝散歩する時にお天道様を見つけると、誰はばかることなく、その場で「カタカムナ呼吸法」をやり、
歩きながら右足がでるたびに「いち、いち・・・」とこころの中で唱え、丹田に気をこめながら歩いて
いると、壷中天のように、丹田の中に自分が入っていく感覚になる。
はたから見ていると、「奇人変人」に見えるだろうけど、自然の目線でとらえると、すこぶる「普通」
ではないか?とジコマな刹那を満喫している。昔から、このような平凡な日常のことを、
「沈香も焚かず屁もひらず 」といった。ときどきは、沈香を焚いて、へもこきましょう!感謝。

火曜日の朝はかやくごはん

うそ・・

博多っこ、とくに、博多で代々商売をしている家では、「かやくごはん」が食卓にあがることは稀有(今は知らない。ひと昔前まで・・)
理由は、「菅原道真公が、かやくごはんが好きだったので、京都から九州の大宰府に流された、から」
と、何人かの商人にきいたことがある。博多人らしい、データー量の少ない中から勝手な持論の力説が、積み重なって、伝染して、
独特の食文化の伝統をつくってきたのかな・・・・・?はなはだ、あやしき説だけど、「そげかもしれん」(そうかも知れない)と思ったりも・・。

高校時代に、博多の予備校に通っていた(夏休み、とか冬休みとか、集中講座みたいなもん)。
今はないけど、井上陽水なんかも通った予備校があって、その通りのことを「親不孝通り」を誰知らずいった。
今は、大学の学費なんかも「奨学金」という重い自腹の借金でいく若者が多いので、予備校の一年や二年は、「親不孝」
でではないかもしれないけど。でも、やっぱり日本の教育費は高すぎるし、これからますます「大学をでたから」
という付加価値は、自己満足を超える以上のものは期待薄かも知れない。

博多の予備校へは、優等生のSくんと通った。彼は理解力がすぐれていて、筆記のスピードとノートの整理術がすこぶる優秀だった。
せっかく、宗像という宗教臭い神域から、博多に通っていくのだから、授業が終わった後、喫茶店にいったり、居酒屋にいきたい、
なんて不埒なことを思っていた。それで、高校生らしい作戦を実行・・

ぼくは、パチンコの才能が少しだけあった。昭和の40年代のパチンコは、電動が始まったばかりで、まだ「手打ち」(指打ち?)
が多かった。ぼくの右手の親指は、タコができるくらいその道の修行をした。それで、博多駅についたら、ぼくが駅前のパチンコやに並んで、パチンコという苦行をおこない、Sが授業にでて、ちゃんとノートに写し、それをぼくの白紙のノートに清書する、という「原始的ぶつぶつ交換」のルーツみたいな約束事をした。
たまにまける日があったけど、そのころ箱一杯が1600円くらいになったので、平均一箱半、2400円くらいは稼ぎ(当時のアルバイト
の自給は200円くらい。)天神のバスターミナル地下の焼き鳥屋で一二(いちに)杯くらいは飲めた(笑)
それがいけなかったのか、いっしょの大学を受験したけど、パチプロみたいなぼくが通り、秀才だった彼は二浪するハメになって、
その後飲むたびに「友達は大事だ」とグダをまいていた。友達のセイにする「こころ」がまちがっていたのだ、とその後の彼の人生を
見ていて、そう思う。今でもときどき飲むことがある。(人に頼らない 人と比べない 人のせいにしない ・・・人生の三大原則)

そんな昔の話は、おいといて、昨日の朝ごはんは「やぶたけ」の味噌汁やった。
やぶたけを煮た汁に、塩で味付けして、そこにそばをゆでたものを入れる。
「最後の一滴まで飲み干せる汁」ろいう領域のスープの味があるけど、「これだ」と痛感した。
でも、これは都会で生活していたら味わえないし、ほんの一瞬の「旬の味」だ。
こんな味を追求していたら、菅原公以上に、どこかの寒村か島に流される運命にあるかもなんばん。
でも、この冬の「そば」には、そんな挑戦状をたたきつけたい・・などと密かに思っている今日このごろ。
テイクアウトや自分ちがカフェ風・居酒屋風、みたいな風潮がはばをきかせているけど、
「一杯の珈琲」「一杯のかけそば」「一杯のお酒」・・・ぶらりと散歩しなら立ち寄れる店をもってる人
は幸せだと思う。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

今日の「卵かけごはん」の味噌汁の実は、「やぶたけ」。能登土産が登場する。
正確には、能登から東京に帰る途中の妙高高原近くの道の駅で調達したもの。
キノコを保存する方法は、お湯でゆでてゆで汁ごとジプロックで冷凍。
その方法で先週の金曜日に買ったものを、冷凍保存しているのを自然解凍した。
今朝の「まかない」の「そばぴざ」に、つまみ食いよろしく、3つを忍ばせた。
「このキノコが毒キノコで、このまま天国に住所変更されてもいい」というくらい美味い。

今朝の朝日新聞の一面は「核禁条約 来年一月発行」だ。核保有国や、唯一の被爆国の日本
が批准にかかわっていない、という、不思議な現象やけど、世界の人の「声」が聞こえたような気がする。
原爆が落ちて75年たち、風化されつつあるけど、「GOTO 広島」「GOTO 長崎」に家族と
いく、というのもいいんじゃなかろうかじゃらん。政治家が「平和」という言葉を、政治に使わなく
なるくらい平和になるのは、「原爆」や「原発」を廃止するこっちゃね。

先週いった能登の「湯川温泉」。日露戦争の時、そこの温泉水を樽に何百樽も詰め、戦地におくり、ドラムカンで
沸かして兵隊さんたちに使われた」という話が残っている。政治家や軍人にまだ「人間力」があった最後のころやね。
その次の戦争は、核が使われ、我が国も「特攻隊」など、情け無用の破れかぶれな戦法を使った。「人間味」がいない。
この先に戦争が起きたら、アホな大統領たちが、象印のポットみたいに核のボタンを「押すだけ」で世界が終わる。

日露戦争の時の海軍の「z旗」

皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ

我が国も、ほかの国も、まだ「人間らしさ」が残っていた時代の最後のメッセージみたいなもんかな。Zやし、
それが最後でいいかもなんばん。「明日なにが起きてもおかしくない」みたいな時を迎えているけど、
「戦争」だけはおこらんでほしいものだ。合掌。

いけいけGOGO みんな煽てられ天まで上る?

なんかよくわからないけど、GOTOシリーズが目白押上で、人がヤケクソ?になったように、
旅行や飲食店や商店街に繰り出しているみたいだ。引きこもるときは、みんな一斉にフジツボみたいに殻
に入ってしまい、「いけいけ」と号令がかかると、猫も杓子もイケイケGOGO、まるで集団自殺する動物たちみたい・・・自分も
そんな在日日本人の端くれに属しているけど、なんやら、複雑な気分がする。
どちらかといえば、今は、じっとひとりでいる時間のほうが、よい時間。

今日は日曜日なので16時まで それから3人が蕎麦打ち道場にやってくる。

今日の朝日新聞の「折々のことば」は、詩人の茨木のり子さんの言葉が紹介されている。

「ひとりは賑(にぎ)やか」

ひとりでいるとき
淋しいやつが
二人よったら
なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと
堕落だな   (茨木のり子)

至福の「孤独」を凛とした気分で詠っておられる。さすが。

茨木さんの詩で一番好きなんは・・・・なんといってもこれ。さきの戦争で
青春の真っ只中にいた彼女の心境が、赤裸々につづられている。どんな時代にあっても、
自分を大切にした女性。みんなそんな「きれいだった」とか「幸せだった」とかいう時間がきっとあるのだろう、と信じたい。

「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆 発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

東京暮らし 一日目

能登にいても、東京にいても、朝散歩するのが日常茶飯のはじまり。
能登では、釣り竿2本(一本はタコ専用 もう一本は大物?ねらい)をもって、海
までの道すがら、神社に寄ったり、畑仕事しているおばあちゃんと話したり、里山の中を
季節の草木花をみつけにブラブラしながら小一時間。最近の石川は「くま」が多く、
今年は500件近い目撃情報があったり、「こんなところに」という身近な場所で遭遇
したりして、新聞やテレビのニュースに頻繁に登場する。能登にはまだ旅してこないが、
時間の問題のような気がする。くまった、という前に、「腹減ってるんやろな」と思う。
こんな環境を破壊しているのは、なにをおいてもわれわれ「人間」のせいだくまもん。
でも、渡り鳥をはじめ、きじやモズやいろんな鳥たちの姿をバードウォッチングしながらのウォーキング。

東京の一日目。仕込みがやまんごた(たくさん)あるばってん、まず香取さまにお参りして、
おかまのMくんへ、うちでとれた柿をポスティングして、休み中にお店の植物の水やり係を
担当してくれる文庫ちゃんところへ、能登の野菜とか、こんかずけ(能登の発酵文化さかな)
をもっていったりした。それから、自分も「燻(いぶ)し人」になるくらい珈琲豆を焙煎し、
お蕎麦の出汁をとったり・・・ひとつひとつをこなしていくと、陽がくれた。
能登で一時間散歩しても、お店は「中根酒店」一軒だけで、お酒や6Pチーズや、ときどきお菓子とか、を買ったり、
昔の「よろずや」みたいなところで重宝している。それにひきかえ、うらぶれた十間橋通り商店街
だけど、アコレはあるし、オリンピックもあるし、駅までいけば、スカイツリーの中にも、いろんなお店が
ある。「こんなにあってどうする」感も否めないけど、都会という場所は、便利で、お金が適当にあれば
なんでも手に入るところだ。いったり来たりしていると、タイムマシンにのった気分を味わえる。
そろそろ冬支度。炭を注文したり、ペレットの用意をする季節。ウナ帽も、能登からもってきた。
来月は能登特産の「珪藻土の七輪」をもってこようと思う。おもち、魚、肉・・・遠赤効果で、ベツモノの味になる。

今日の真民さん。

「冬」

冬が近づいてくる
わたしの生まれた季節が
一葉一葉を落として
近づいてくる
わたしも雑念を
一つ一つ落として
白の世界に入っていこう

能登の秘湯

昨日は、能登島の「みず」で、カキフライ定食を食べた。
焼き魚定食が700円で、カキフライ定食が1000円。
「定食」を注文すると、ごはん、と味噌汁と、小皿3皿
を選んでセルフサービスで席につく。おなかがすいていると、その三皿で
ごはん一杯が空になる。だいたいいつもは、ブリのカマ焼き、とか、さばの塩焼き(日本海のさばは美味い)
を食べる。ブリはもう少し寒くなったほうが美味いので、昨日はカキフライ定食にした。カキのフライが10個
くらい(数えてない)ついてくる。同じスタイルで、毎日「サービス定食」があり、昨日は「さば味噌煮」になって
いて、500円。このお店のおばあちゃんが、千寿荘という民宿をやっている。そこの「水」は、全国に名前が知れ渡っている。
その「水」に感謝して、お店の名前が「水」。

いつもは、それから橋を渡り、加賀屋の大きなビルのような本館の横の「総湯」という共同風呂に入って、東京に向かう、
といういつもの道と違う道を選び、湯川温泉「龍王閣」にいって600円で、自噴源泉かけ流しの能登の秘湯を満喫した。
泉湯46度で、「加温・加水なし、もちろん塩素殺菌もなし。」(この条件を満たす温泉が、日本にはほとんど残っていない)
四捨五入したら、齢80になるご夫婦が、切り盛りして48年。頭が下がる。
「いいお湯でした」と頭を下げて、一階の部屋の名前がかいた看板を見ると、「無限 愛の部屋」・・そんな部屋名だった。
「いい名前ですね」というと、女将が「この温泉をつくる時に尽力してくれた母が、開店を目の前にして他界したので、
父がその時の思いをこめて、そうつけました」とこと。思わず合掌。

表には「ありがとうございます」という大きな看板。駐車場には「一夜で泊が二夜となる 天下の名湯」という看板。
車に乗ると、大学時代の友人からショートメールがきていて、「存命かどうかブログをのぞくと、まだ更新しているので、
生きていることを確認。また飲もう」と。大学時代に「英米文学研究会」でいっしょにDHロレンス(ドエッチ・ロレンス)を勉強
したIからだ。今は大きな商社の取り締まられ役。
思えば、一回生の夏の合宿が能登だった。卒業(ぼくは中退)前に、ふたりで金沢・能登をまわろうと計画し、
一泊目の金沢の香林坊で飲みすぎて、金がなくなり、次の日に京都にもどったことを思い出した。
「二夜の予定が、酒で一夜となる」。あのころは、まだこういった詫びた世界を逍遥していなかった。おわり。

「能登」が10周年。

「能登」そんな季刊誌がある。地元の小さな出版社がやっているのだが、
今回は10周年記念号で「移住・定住スペシャルⅡ」だった。
表紙に、焼き締めの徳利に、薄(すすき)など秋の草が自然にいけてある写真。(京都桜田で修行
した料理人が能登で日本料理やを7月につくった。「一本杉」というお店。その彼の料理と生け花がのった)
昨年の夏に「いち」があった。その時の表紙は、蕎麦のお弟子様で、梅茶翁
の「しんごちゃん」のかき氷だった。

梅茶翁は、古民家を改装し、3年かかりで自作しているペチカにこの秋、火入れができた。
冬が楽しみだ。

2016年に東京から能登に移住して、イタリア料理店「ヴィラ デラ パーチェ」をやっている平田さん
が、海が見える元海の家を改装して、新しいレストランももうすぐ開店する。くだんの「日本料理屋」も、
海の家のイタリアンも、ひとり2万円くらいの予算。料理の素材や器の設えからいって、「そんなもの」
だと思うし、それに景色や空気などをいれると、「安い」かもしれない、けど、なんといっても「シンコロ時代」
がどう左右するか、などと思うとひとごとではない。でも「唯一無二」の世界を歩む時は、自分を信じて
すすむしかない。どうぞ、能登に旅することがあったら、「梅茶翁」「一本杉」「ヴィラ デラ パーチェ」

今後ますます、移住をしたり、そこにお店をつくって、定住したりのトレンドが大きくなってくると思う。
一番大事なのは、都会と同じく、いやそれ以上に「人間関係」が、大きくハバをきかせてくる。
「人間力」を磨く、というのは、スポーツジムに通ったり、カルチャーセンターで身につくようなものでは
ないばってん、毎日毎日を、出会う人たちに感謝しながら、通っていくことしかないのではないかしらん。
こちらは、還暦を過ぎて、新しい土地にきて、新しいことをやっているロートルだけれども、まだまだ
毎日毎日「知らんかった」というモノやコトと邂逅しながら、青春の真っ只中にいるような錯覚をしている今日このごろ。感謝。
これから東京。

♪東京でベコ買うだ~

吉幾三の歌にそんなのがあった。

昨日は、富来(とぎ)にある「花よし」という焼き肉屋でランチ。
いつも能登の家にいく前、近くの「A-coop」でタコヤキを買ってかえり、
ついたその日は、「即飲み」するのがならわしになった。
今回は、自分でタコを釣り、それをタコ焼きにする、を目標にしていたので、
たこ焼き屋では「タイ焼き」を買って車の中で食べた。

最近、蕎麦打ちのお弟子さまが、ぞくぞくと入門されてくる。その中の一人が、
能登ゆかりの深いお方で、両親が能登、という奇特な人だ。
先月、そば打ちの後に「おばさんが、富来領家町にある「花よし」をやっている」
という話を聞いて、無駄のない縁を感じていってみた。娘さん、つまり
お弟子様の従弟さんが、接客担当。テキパキしていて、気持ちがいい。

いろいろ話が盛り上がって、帰りに「イギス」という海藻やら、冬にかかせない「鍋味噌?」(味噌仕立てにする鍋の味噌)などを
土産にもらった。突然、能登に親戚ができた感じ。今朝、いつものように隣の港町で、漁師さんたちと四方山話をしていた。
「TOGISO」(富来荘)が、新聞やテレビで紹介されたので、みんな楽しみにしておられる。その話のついでに、「花よし」
の話題になったら・・ひとりが「娘のMちゃんかわいいよね」ということになった。
こんどいったら「Mちゃん」と呼んでみよう(笑)花よしの前には、「べっこ」という名前の焼き肉屋と、民宿を
近くでやっていたらしい。♪東京でベコ飼うだ~  能登では牛のことを「べっこ」という。能登牛は最高に美味いベッコだ。

明日から、そばのお弟子さま家族が能登に旅行にこられる。来月は「梅の剪定」もあるし、いろんな人がやってくる。
いろいろ楽しみだ。明日、柿を収穫したら、車につんで東京にかえる。
桜切るばか、梅切らぬばか・・・・実のなる木は剪定すると元気になる。柿も昨年剪定したので元気に実った。感謝。

ホボブラジルの原点・・?

今日は海が凪いでいる。
6時に有線で「さざえさん」が流れる。まだ薄暗い。
昨日の夕方、釣ったタコでタコヤキをつくった。
東京のお店の近くのオリンピックというお店で、イワタニの
コンロとタコ焼き器を買っていたので、はじめてつかった。一家に一台あると、楽しくなるよ。
タコヤキには、なぜだかハイボールが似合う?

今朝はあまったタコで、「たこくりご飯」を仕込み(こちらでは、カセットコンロと土鍋を使う)、
いつものように、釣りにでかけた。能登の秋は、渡り鳥たちがあまたやってくる。ツグミ、マヒワ、シメ、ウソ・・・
港に大きな漁船を修理しているじいちゃんがいた。船のことは、門外漢だが、どうみても
じいちゃんひとりの力では、うんともすんとも、微動だにしない様子。「ぼくにできることあれば、力かしましょうか?」
というと、「まだ若いもんの世話にはなりたくない」と、頑固な返事が返ってきた。
しばらく見ていたけど、やっぱりひとりでは、どうしようもないので、少しかせいをして、船を動かした。

このじいちゃんとは、何度か会話したことがある。昭和18年生まれてこのかた、この能登から離れていないので、
彼の能登弁は、2割くらいも理解できない。
向うも氣を使って、そんな時は「おれは年金がたくさん入ってきて、何百億もあって使いきれない」とか、「昔は
女にもててしかたなかった」などといって、抜けた前歯を見せながら笑う。

今日は、「お孫さんは・・?」というぼくの質問から、明後日の方向に話が飛んだ。
ぼく「お孫さんは?」と聞くと、おじいちゃん「金沢に結婚した娘がいるけど、ベベせんもんで、孫ができん」
とのこと。ここで「ベベ?」とか聞くと、じいちゃんの血圧があがったり、入れ歯が抜けたりしそうなので、
「ふーん」といって、あいまいな相槌を打った。
北前船で、文化や言葉が交差した日本海。神社の名前や、土地名などが、九州と同じようなものが多い。
「ベベ」・・・九州では「ボボ」にあたる。
昔、黒人プロレスラーで、ココナッツパッド(頭突き)の強いプロレスラーがいた。「ボボ・ブラジル」。
タモリがネタにしていたけど、その当時の九州の西日本スポーツ新聞には、放送コードにひっかかるので
「ポポ・ブラジル」と表記した、とか?。天真庵のブレンドの「ホボ・ブラジル」も、そんな流れからできた名前。

それはそれとしておいといて、先日、福岡の妹から電話。「昨日、王子さんが、マツコの番組にでとったバイ」とのこと。
先月、フジテレビで放映されたものが、テレビ西日本で再放映されたのだと思う。
能登は、渡り鳥たちの玄関であり、北前船で、九州と北海道の往路で栄えた土地。
最近は「UFOで町おこし」に成功している。次の「黒船」は、アメリカではなく、宇宙からこの能登に
やってくる、と、信じてやまない人たちが生きているとこ。