いなか暮らしに必須の条件は・・

今日も東京は雨模様。19日連続だそうな。9月は、「長月」といわれているが、「長雨」
に変えたこうがいいかもなんばん。

先日、天真庵を改装してくれた中心メンバーの3人のうちふたりが遊びにきた。
もうひとりは、のりくん。彼はぼくのHPの「田並劇場」の主として、和歌山に移住して
自然によりそった芸術生活をし続けている。2006年の暮れから翌年の春まで、久里浜に住んで
いて、ときどき名物の「久里浜のたこ」を土産にもってきてくれた。もう時効だけど、もぐって、
道具も使わず、手づかみにしていた。コツをきくと、「タコになりきって、相手に警戒感を与えないこと」だと
いっていた。まだ30代やったけど、悟りの境地に到達していた。

彼らが、池袋の天真庵で、個展やパーティなどをやる時は、タコフェスタになったり、秋はきのこ三昧鍋パーティー
をやったりした。キノコを山にとりにいった初年。テントを張って、鍋を囲んでいたら、紫や赤や不思議な光に
満ち溢れ、酔ったの?と思っていたら、毒キノコが混じっていて、みんなで病院に運ばれた・・そんなことがあった。
タコを捕まえたり、キノコをとって食べたり、たぶん縄文時代からこのクニで連綿と続く食文化でありますが、その
間に、フグを食べて死んだり、サメやクマに襲われて死んだり、キノコで死んだり・・・「首」がいくつも
貝塚のように累々と積み重なって「今」にいたる。道・・・という字をよく眺めると、首が並んだ象形文字である。

改装工事の親方は「道也くん」。まさに、首なりくん。
能登路にある海が見えるような場所に、持続可能な「小屋」をいっしょに作ろう、と約束をした。
できたら、パブリックな「能登小屋」にしたいものだ。無効で毎朝の日課の「徘徊」が楽しみになった。

今日は、日曜日なので16時まで。それから蕎麦打ち教室。シンコロの影響か生徒さんが増え、今日は3人。三密にならぬよう
マンツーマンで、ひとりづつ教えている。
「都会にいて、田舎暮らしの準備」をするとしたら、「蕎麦打ち」がいいと思う。
貧乏という名の「のし棒」を使って、蕎麦を打つようになると、その応用で、パスタや餃子の皮も
朝飯前になるし、朝飯前に、畑を耕し、大根やねぎをつくる日課の楽しみが増える。
それに、醤油を使って「かえし」をつくるコツがわかってくると、あらゆる料理に応用が広がる。
卵焼き、そばがき、そば味噌・・を酒肴にし、〆がそば。それが自分ちでできたら、毎日が「最後の晩餐」。