収穫の秋 さばを考える。さばさばした答えはでんばってん

昼間のみんみん、とか、つくつくの声も小さくなって、鈴虫やこおろぎ
のすだきのほうが幅をきかせてきた。すっかり秋だ。明日は庭の栗の収穫祭。

先月、玄関先の電線に並んでいた燕たちも、遠い南方めざして渡っていったみたいだ。
この能登半島は、渡り鳥たちの聖地でもある。しかしながら、一般国民の預かり知らぬところで、
近い将来に、能登に風力発電のプロペラの塔があまた立つ予定らしい。設備が大きいのと、それを立てると、
近くの住民に「眠れない」とか「低周波音による健康阻害」などの被害がでるので、どうしても田舎
のほうに狙いが定められる。渡り鳥も波動や機械音で、方向音痴になるらしい。鳥たちが生体をかえると、
ぼくたちの生きる環境も大いに影響をうける。どう考えても、人間より鳥や虫たちのほうが、えらい(環境適応力など比べようもない)

限界集落をかかえ税収に悩む地方の議員は、袖の下をみせられると、
後先は考えず、「おぬしもなかなかの悪じゃのう」の仲間入りの盃を受けてしまう。
わからなくもないけど、政治家たるもの、足ることを知る、己の私腹より、民の至福を優先してもらいたい。
越後屋、越中屋、越前屋・・長年の汚名を返上いたそう。(ちなみに、これら「越」の中心は、白山神社を起点にしている。
悪かことしたら、バチがあたる)

日本海側を車で走っていると、「原発天国」であることがよくわかる。昨年も関西電力の賄賂話が
新聞やテレビでにぎわっていたが、引退した元総理のまわりにも、そのような利権にからむ臭い話が
充満していて、どいつもこいつもで、薄れてしまっている。
原発天国の福井も、昔から「鯖街道」を通って、京都におしいい鯖を届けてきた。あんなに原発が
立ち並ぶ海のそばのさば、大丈夫なのかしらん?と心配になってくる。さばもサバイバルの時代?
9月4日に福井で震度4の地震。東京から離れているので、ニュースにならんかったばってん、これ、
震度6とかになったら、また福島と同じ大惨事になる。

ほんとうに原発とか、風力発電とか、こんなに必要なのかね?合併した立憲民主党の人
たちにがんばってもろうて、そのへんを立件してもらいたいものだ。ぼくたちも真剣に考えんといかんちゃ。

さば、で思い出したけど、ウルベルト・サバという詩人に、こんな詩がある。昔から「山師(やまし)」
というような人がいたけど、今は「やましい」人が政財界問わず跋扈している。このシンコロの
時代に、よくよくみんなで仕事やこの国や星の「行く末」を考えていこね。子供や孫が、このままでいくと
この星で生きていくのがむずかしくなる・・自明の理!

「仕事」
ずっとむかし
ぼくは 楽々と生きていた
土はゆたかに 花も実も くれた
いまは 乾いた
かたい土地を耕している
鍬は 石ころにあたり 藪につきあたる
もっと深く 掘らなければ
宝をさがす人のように

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