人生100年時代の最終章

一昨日、近くの「じんのびの湯」で、沈む夕陽を見ながら温泉につかっていたら、
人の気配がして振り返ってみると、坊主頭の殿がたが、洗い場にいた。
ここは輪島の門前といって、総持寺の「もと」があったところで、鶴見に移転するまで
曹洞宗の禅のメッカだったところだ。もちろん今も世界中から禅の修行に、やってこられ、
このお風呂でよく雲水さんを見かける。お湯につかっていても、サウナで座っていても、凛とした雰囲気
がただようおひとが多く、こちらも、結跏趺坐して、居ずまいを正したくなる、そんな場所だ。

そのお方もそうゆう部類の禅の修行者かと思いきや、湯舟に入ってこられる時に、お顔を拝見して
びっくり。よわい90は超えておられるような、刻まれた皺も味わい深い老紳士。
頭をちょんと下げると、ニコッとされ「どちらから・・?」と聞かれた。「東京」
と即座に答えられぬところかもどかしい。一瞬間をおいて「ま・え・は・ま」と、うそでは
ないけど、二番目の答えをする・・・

自己紹介のように「90歳を2年越しました」という。「昨年、娘が70歳になったのを機に『おとうさん、船にのるのやめて』
といわれ、かあちゃんとふたりで車を運転しながら、釣りをしている」とのこと。
自分が70歳でなく、娘が70、というところが、「今の時代」を象徴していて、新鮮な驚きだった。
釣りの話をしていると盛り上がり、お互いに、のぼせそうになったので、「お先に」といって、先にあがった。

休憩所で、北國新聞を読みながら、石原さとみさんがでているテレビドラマを見ていたら、そのおじいちゃん
があがってきた。新聞・テレビ・新聞・テレビ・・と、「ながら見」をしていると、突然石原さとみさんが、忍者被りの由美かおるに変身
したのでびっくりした。なんてことない、そのおじいちゃんがリモコンを操作して、水戸黄門に変えた、という話。
長生きの「骨」らしきものを教えてもろうた気がした。マイペースぼちぼち歩く九十路(読み人知らず)

昨日は、この家を買った時にお世話になった司法書士さんと、会社の役員変更の打ち合わせ。
旧会社法では、役員が4人必要で、うちの親父と筆子さんの親父の名前を借りていた。
ふたりとも、住む場所がこの世でなくなられたので、役員がふたりでよろし、という新しい会社法の
ほうに定款を変更してもろうた。会社も35年もたつので、仕事の内容も、世の中もすっかり変わってしまった。
この定款変更にかかる印紙代が7万ちょっと。シンコロで世の中がとまってしまってる今の時代には、少し高い気がした。

夜は、アオリイカを刺身にして竹葉を一献しながら、丹後半島にUターンしたかいらしいお弟子さまからおくられてきたCDを聴く。
音楽は、一度天真庵で自作の楽器アナラポスを演奏してくれた鈴木昭男さん。あだなが「あきにゃん」というかわいいおじいちゃんアーティスト。
でも舞台は世界。
朗読が丹後在中の重鎮・池井保さん。音楽も詩も朗読も「魂がこもっていて」、3回聴いた。写真とバイオリンが、そのかいらしいお弟子さま。

「海」というのがある。一番短い詩なのでご紹介する。些細な日常をちゃんとしないと、この海もこの星も悲鳴をあげている。些細・・小さな一歩だけど、
とても大事な一歩。

海が死滅するから
小さな球形のガラスの容器に
うみを密閉しよう
生みそだてた海の乳房を
まさぐろう