月曜の朝は卵かけごはん

「何十年に一度の・・」とか「記録にないくらいの・・」
とかいう台風や大雨が毎年のようにくるようになった。今回の台風も被害の少ないことを祈る。
ぼくも小倉で生まれ、19歳まで宗像という、宗像大社の神域に
住んでいたけど、大きな地震や台風の被害にあった記憶はない。
「どこに住みたいか」というアンケートで、北九州は、還暦世代に絶大な人気がある。

家も、雨戸はついていたけど、〆たり開けたりするのが面倒なので、使った記憶はない。
でもこの5年くらいは、秋の台風の季節は、年老いた両親が、老体に鞭打って、使っていたようだ。
庭の松などが折れたりすることもなかったけど、最近は危うい時がなんどもあったみたいだ。
2年前に親父が逝ったあと、母は自主的に施設に入り、空き家になった家は、売り手がきまって
更地になった。すこし寂しい気もするけど、台風のたびに心配することもなくなり、正直安心した。

シンコロの影響で、施設の中にいる老人たちは、家族にふれあうことも、外出も制限され、
「生きがい」をなくし、元気がなくなった人が多いような気がする。もっとも、都会に出稼ぎ
にきた若者たちも、「田舎にかえろうかな」とか「このままの人生でいいのかしらん」とか、
「これからの人生」を模索しているようだ。日本人がみな「哲」している。そして確実に新しい世界を迎えている。
なんか「これ」が見つかったら、また元気に歩みはじめればいい。

都会から田舎にシフトする人も増えてきそうだ。
ネットで「空き家バンク」や「空き家情報」を検索できる。役所の人たちも、なるべく三密をさけ、
ネットで移住の相談などにのる動きが加速しているようだ。でも、その田舎の空気感や、
空き家になったいる家は、自分の五感をつかってよくよく検討しないといけない。「現場」が大事。

「空き家になって何年」とか「家が片づけていない(仏壇がそのまま、家財道具がそのまんま、とかざら)」
場合は、タンスや家具の後ろの壁などの様子がわからないし、カーペットの下の畳がボロボロだったり、雨漏りが
する物件は、その後のメンテにお金が多くかかる。ポットントイレを、そのまんま使える人は、それなりに
情感豊かな人だが、それを合併浄化槽にして、ウォシュレットにするとなると、軽く100万円から200万はかかる。
大きな家の屋根瓦の修理も同じくらいかかる。
役所と相談すれば、各種の助成金が用意されているけど、地方の財政も厳しいので、「全部自腹」くらいの覚悟
が必要である。家のかたずけも、都会みたいに便利ではない。家具あたりを捨てにいく場所も指定されているので、
「軽トラ」は必需品。(うちは、大きな荷物を捨てるために、なんどもレンタカーをかりた)。

そして、やっぱり一番肝心なことは、「持続可能」なところかどうかの判断。ぼくは、能登にお弟子様が
先に移住していたので、季節ごとに現地におもむき、酒屋のおっちゃんと仲好になり、「あの地区は、村社会
なんで、都会の人は住めん」といった情報や「あそこは10年前に床上浸水した」というような地域をはぶいたり、
畑があり、海が近いという必須の条件の家を探した。
「桃栗三年柿八年ゆずのばかたれ十八年」という諺がある。苗を植え(資本を投下した)、成果物ができる年月を
現わしている。ゆずの木がある家、を探していたけど、栗と柿があったので、そこはゆずった。

「どちらにしようか?」と最終的にふたつの家にしぼり、最終決定したのは、「風」。
今の集落は、船乗りさんたちが住んでいるところで、冬の厳しい風をうまく避けられるような方向にたっている。
「真垣」(まがき  間垣とも書く)といって、冬の風からまもる防風の竹垣を、能登の人たちは共同でつくって冬を越してきた。
だから、隣の家が空き家になり、更地になったら、すぐにそこに自作の真垣をつくったりする。能登の外浦側の風はきついので、
今の家にした。「風土」・・・風とか土とかは、とても大事なファクターやと思う。人情は風土によって醸される。
やはり現地におもむき、ひとや自然とふれあって
「ここ」という声が聞こえるところが、「これから住むとこ」だと思う。聞こえない人は、しばらく今住んでいるところにいればよい。

これから「卵かけごはん」
今日の6時くらいまで営業したら、能登へ出発。18日まで「能登休み」
今回は、栗と柿がたわわになっているので、それの収穫。辛味大根の種まき。
「ひらめ釣り」 梅茶翁でひょっとしたら、稲刈り。
昨日の夕方、女子大生がそばを手繰りにきて、「蕎麦打ちをやりたい」といわれた。
「ええよ」と答えた、ら、「こんどチャリンコで能登まで旅しようと思っています」
とのたまわれた。少し頭がおかしいんじゃないか?と思い、大学名をきいたら
「OK牧場」を逆さにしたような学校。時代が新しくなり、宇宙人みたいな若者があまたでてきた。感謝。