水曜日の朝歯医者にいくため、錦糸町から大塚駅行きのバスにのって、右手に江戸一が見えてきたら、
終点だ。そこから池袋方面にてくてく歩くと、「空蝉橋」(うつせみばし)という桜並木
の道にたどりつく。そこを少し下り、うらぶれた商店街の一角に、骨董屋があった。
池袋に住んでいたころは、よく通った。「大屋古美術店」。主人は、煎茶道具の指南役で
いろいろな風流な話などを教わった。
10年ほど前に隠居され、そのまま居ぬきで、中国人が買い、看板も電話番号もそのままで
、商いをやっていた。昨年あたりまで、中国がバブル景気にわき、そこの主人は、お店の近くに
一軒家を買い、上海と日本を行き来していた。ぼくのもっている「黄檗三筆」の掛け軸をわざわざ
押上まで見に来て、「〇〇〇円でゆづってください」と片言日本語でのたまわれた、のも今は昔。
言い値、を、きいて「いいね」と思ったけど、またそのお金があったら、こちらも、墨田区あたりに一軒家が
買えたけど、丁寧にお断りした。
シンコロの少し前、昨年か一昨年あたりから、中国人の煎茶道具の爆買いにかげりがでてきた。
先日、その骨董屋の前を通ったら、「売り家」になっていた。看板の「大屋古美術店」のまんまだ。
表に飾ってあった蹲(つくばい)も、中の茶室のように設えてあった空間も、空っぽ。空蝉のようだった。
夢うつつ、この現象の世界に生きているか死んでいるのかわからない状態のことを、これまた「空蝉」という。
魑魅魍魎などが跋扈する『源氏物語』五十四帖の巻の一つにも「空蝉」というのがある。
蝉そのものは、季語になったり、俳句などで詠まれることは少ないが、「うつせみ」とは不思議な言霊をもっている。
歯医者の帰りも、大塚まで歩いた。「よしや」という大きなスーパーの先に「ぼんご」がある。
いつも開店前から行列ができているおにぎりやだ。大塚駅が新しくなる前は、駅前にあった。
そのころは「三業地」がまだにぎわっていて、置屋や料理屋から三味線の音が聞こえていた。
三業地は、女の世界。きれいな女は、置屋や料亭の後継ぎになったり、いいだんさんを見つけて、家庭に
おさまったりした。また、小料理を開き、お茶漬けや、気のきいた酒肴をだし、小腹をすかせた酔人には、
おにぎりを供したりした。ぼんご、は、そんな流れではじまったお店である。
池袋の天真庵で、いろんな催しをする時、「ぼんごのおにぎり」が大活躍した。
あまったら、お土産にもたせた。時間がたっても(お店では3時間以内に食べて、が原則)、ふわふわ
したおにぎり。新潟の棚田でつくったコシヒカリをずっと、ガス窯で炊いている。棚田の米は、二味違う。
創業者の主人は、この世からあの世に引っ越しをされたけど、ぼんごの名前は、響き渡りを強めている。
音楽をやっていた主人が楽器の「ぼんご」みたいに、鳴り響くように、の願いをこめて命名した夢がかなった。
空蝉は 落ち葉舟にて あの世旅