いずれいく道

昨日は少し暑さがやわらいだ。そのせいか、最初
のお客さんは、「ゆうぐれ古希倶楽部」(仮称)みたいなおばあちゃん
5人組。ついこの間(昭和のころ)は、かわいらしい女学生みたいな人だったひとたち。

お互いにインタラクティブにならない、好き勝手放題にぺちゃくちゃ話ながら
「なにしようか」「何食べようか」など話している。
ひとりリーダー格の人が「そばやは、なんといったってテ.ン.プ.ラにかぎるわね」
と大きな声でのたまう。「そうしましょう」みたいな声が倍音になって聞こえてきた。
厨房の中で「てんぷらやにいってくれ」とここの中で叫ぶ。

水をだすと、「私そば茶が好きなんだよね」とくる。しかと馬耳東風で、聞こえぬフリをする。
こないだは、メニューを見ずにいきなり「ラーメン」とオーダーするおじいちゃんがいた。
表に「そば」と書いてあるので、「中華そば」だと思ったみたい。年をとると、みんな頑固に
なるし、思い込みがはげしくなる。気をつけねば、でも、みないずれいく道なのだ。
もっとも、カレーそばの仕込みをやっていると、近所のカレーやさんとまちごうて、
入ってくる若者もときどきいる。人の志向や行動というのは、まことに複雑怪奇だなあ、と思う。

明日は、月に一度の歯医者。前住んでいた板橋の歯医者にいって歯のお掃除。
帰りに、とくとく歩きながら「巣鴨地蔵通り」を歩く。
この通りを歩く時も「いずれくる道」だと思いながら、歩いていた。
今月64歳になるので、「いずれ」がとれるような年になってきた。そろそろ
「マルジ」の赤いパンツを誕生祝にもらうようになるかもなんばん。
昨日は常連さまから「100年の孤独」をお祝いにいただいた。
その後、酔香の店主・すがちゃんと、女将さん・ともちゃんが
「栄一」という岐阜のお酒をお祝にもってきてくれた。すがちゃんは大学の後輩でもある。
すがちゃんも還暦を過ぎ今年の5月に10周年を迎え、ダンチュウにも紹介された。10年で全国の左党に知れ渡る名店になった。
駄洒落ではないけど「さすが」だ。

YouTubeで「グレーター立命」を聴きながら、栄一を飲む。こないだまで、ぼくたちもこの中にいた。あっという間だ。感謝。