Living for Today

シンコロの影響で、「英語で蕎麦会」も半年以上やっていなく、
お客さんに「外国人」がほとんどいなくなって、在日日本人しか相手にしていないので、
英語を使うことが、皆目なくなってきた。
Living for Today・・・「その日暮らし」のことをゆうらしい。なかなかいい英語だ。

そして、微妙なニュアンスの違いこそあれ、わたしたちの「毎日」は、「その日暮らし」
に近づいてきた。これまでは「安定しない」とか「下流世界」みたいな負のイメージしか
なかったけど、考えようによったら「毎日を一生と考えて、その日その日に出会うコトやモノに感謝しながら通る」
というのは、「足るを知る」を大事にしてきた日本人の原点みたいな哲が、そこにある。
お金より「原始的ぶつぶつ交換」がはばをきかせる世界。最小限の努力でその日を生きる縄文時代からの哲学。

「おおて」という大企業に所属していて、世間的には「エリート」みたいな気持ちでいた人たちも、
その会社に通勤することもなくなり、ただ「所属」しているだけで、引きこもりやニートの人たちと
同じように「巣ごもり」の毎日。これから、人減らしとか会社の合併とかも加速するだろうし、
いつまでも「所属」できるか、不安な日々をおくっている人もおおかろう。
オンラインの会議や、テレワークもいいけど、プランターで植物を育てたり、なまった体を鍛えなおすような
ことを、ボチボチ始めなければ、「坐して死を待つ」となんらかわらない状況かもなんばん。
「看板よりも乾パン」・・自分で種をまき、収穫し、料理する人のほうが、持続可能性を秘めている。

「英語で蕎麦会」とか「ダメから始める中国語」とか「長屋で女史会」とか・・・・ながきにわたって
「21世紀の寺子屋」と称してきた勉強会に、緞帳を下げる決断をした。四半世紀続く「論語の会」
など、「どんな時代がきても続ける」をモットーでやってきた会もあるけど、「いつか」は命を含め、
みんな「おわり」があるので、そのようなことだと、受け止めている。とくに311以降は、月に一度集まって、
勉強して、その後酒を酌み交わし、〆に蕎麦を手繰る、という、なかばあたりまえの家族の日常が、日常でなくなった
「今」の時代には、そう決断するほかにない気もする。各先生方や、そこに集まって、机を並べて学んだ生徒さん
ちにどんなに感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

「珈琲塾」と「蕎麦打ち教室」は、三密になることがないので、「その後の飲み会」はやめて、
「ただ学ぶ」の形で続けていきたいと思う。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

昨日は「そばもん男子」が3人、元気に蕎麦を打った。
それを傍らで、見学していた女子大生が「かっこいい」「わたしも打ちたい」
と叫んだ。シンコロで、授業もオンラインで、時間をもてあましているのだろう。
なんか、ここんところ、「そばもん」がじわじわ増えてきている。能登でもやろうかしらん。
そばが打てるようになると、男も女も「モテキ」を迎える?そしていつでも田舎ぐらしがOK牧場になる。

今日はこれから「卵かけごはん」
茨木の「やさと農場 暮らしの実験室」で、若者たちがまじめに野菜をつくり、その野菜を餌
にして、平飼いの鶏を飼っている。その卵がまずいはずはない。無理くりいろんなモノを喰わされて
「赤・・」「黄金・・」といった大袈裟な冠した卵とは、味も安全面でも、まったくべつもののような卵
ができる。卵かけごはんにすると、その似て非なる「ちがい」が浮き彫りにされる。
どんなものでも「ホンモノ」を一度体感すると、自分の中の判断基準の座標軸がしっかりしてくる。

ごはんは、能登の棚田米。味噌汁の味噌は手前味噌。大分に移り住んだ若者が作る大豆で、能登の塩
をまぜて、味噌をつくっている。味噌汁の実は、八郷の暮らしの実験室のモロヘイヤと数種類の野菜。

香の物は、おなじく八郷からおくられてきたナスを、ぬか床に3日寝かせた。
枕がわりに「うめ星」(能登ジャラトン 隕石粉入りセラミック)を忍ばせてある。
「発酵」という不思議な宇宙が、この「うめ星ぬか漬け」によって、より深いところを冒険するような感じやな。
くだんの女子大生(九段ではない)も、お酒の酒肴に「うめ星ぬか漬け」を食べ、「なにこれ・・」
と👀を丸くし、結局3合酒を飲み、能登ジェラトンの勾玉を買い、蕎麦打ち教室に入門することになった。
今の20代の人たちは、新人類というより、どこかの惑星からやってきた宇宙人みたいなものかもなんばん。感謝。

いなか暮らしに必須の条件は・・

今日も東京は雨模様。19日連続だそうな。9月は、「長月」といわれているが、「長雨」
に変えたこうがいいかもなんばん。

先日、天真庵を改装してくれた中心メンバーの3人のうちふたりが遊びにきた。
もうひとりは、のりくん。彼はぼくのHPの「田並劇場」の主として、和歌山に移住して
自然によりそった芸術生活をし続けている。2006年の暮れから翌年の春まで、久里浜に住んで
いて、ときどき名物の「久里浜のたこ」を土産にもってきてくれた。もう時効だけど、もぐって、
道具も使わず、手づかみにしていた。コツをきくと、「タコになりきって、相手に警戒感を与えないこと」だと
いっていた。まだ30代やったけど、悟りの境地に到達していた。

彼らが、池袋の天真庵で、個展やパーティなどをやる時は、タコフェスタになったり、秋はきのこ三昧鍋パーティー
をやったりした。キノコを山にとりにいった初年。テントを張って、鍋を囲んでいたら、紫や赤や不思議な光に
満ち溢れ、酔ったの?と思っていたら、毒キノコが混じっていて、みんなで病院に運ばれた・・そんなことがあった。
タコを捕まえたり、キノコをとって食べたり、たぶん縄文時代からこのクニで連綿と続く食文化でありますが、その
間に、フグを食べて死んだり、サメやクマに襲われて死んだり、キノコで死んだり・・・「首」がいくつも
貝塚のように累々と積み重なって「今」にいたる。道・・・という字をよく眺めると、首が並んだ象形文字である。

改装工事の親方は「道也くん」。まさに、首なりくん。
能登路にある海が見えるような場所に、持続可能な「小屋」をいっしょに作ろう、と約束をした。
できたら、パブリックな「能登小屋」にしたいものだ。無効で毎朝の日課の「徘徊」が楽しみになった。

今日は、日曜日なので16時まで。それから蕎麦打ち教室。シンコロの影響か生徒さんが増え、今日は3人。三密にならぬよう
マンツーマンで、ひとりづつ教えている。
「都会にいて、田舎暮らしの準備」をするとしたら、「蕎麦打ち」がいいと思う。
貧乏という名の「のし棒」を使って、蕎麦を打つようになると、その応用で、パスタや餃子の皮も
朝飯前になるし、朝飯前に、畑を耕し、大根やねぎをつくる日課の楽しみが増える。
それに、醤油を使って「かえし」をつくるコツがわかってくると、あらゆる料理に応用が広がる。
卵焼き、そばがき、そば味噌・・を酒肴にし、〆がそば。それが自分ちでできたら、毎日が「最後の晩餐」。

星のかけらがあなたを美しくする?・・・

ここ何年もテレビを見ない生活。春にテレビ局から電話をもらって、「有吉散歩」の取材を
受けた時も、「有吉くん?誰それ?」という感じだった。本人が、いの一番で入ってきたとき、「あ、あんたか・・」
てなもんやった。マツコさんは、押上に隕石直売所があったころ、お店に写真がはってあるので、なんとなく
わかっていた。「おかまのM」くんが、Lサイズになった、くらいの認識やった。

昨日の夜PCで「徘徊マツコ?」を見てみた。押上から銀座に栄転した「隕石直売所」の王子と
オンラインで再会する、というような内容だった。
マツコさん「最近なにか新しい商品はないの?」という質問に、王子「この隕石玉入りシャワーヘッドがでました」
というと、マツコさん「いくら?」と問い、「7万7千円」と王子が答え、「だいたいシャワーヘッドでそんなもんよね」
とマツコさんがコメントしていた。口は悪いけど、「やさしさ」のかたまりみたいな愛情あるオカマさんなんだ、と痛感。

能登の家にあるさつきの畑は母家から少し里山に上ったところの車庫の横にあり、そこまで水道が通っていない。
隣のおばあちゃんは、水道をひいてもらったら月1700円ほどだから、頼んだら、とすすめてくれたけど、その車庫は将来ホフグリッド(電気・ガス・水道をひかない)
な小屋にしたいと思っている。そこを焙煎小屋にして、炭で焙煎し、トイレはコンポスト、水は近くの湧き水を汲んできて(名水があるのです)、
珈琲をいれ、真空管の太陽光発電で湯をわかし五右衛門風エコ風呂・・・なんて構想をいだいている。その小屋の雨樋(あまどい)は、30cmくらい
切って、そこに常滑(とこなめ)の水甕(みずかめ)を置いた。一雨降ると、いっぱいにたまり、10坪くらいの畑の水まきには適量な水だ。
その甕は、お店の近くの鍛冶屋さん(故人)に、出刃と刺身包丁を頼んだ時に、もらったもの。
その中に、星のかけら(テレビで紹介されたシャワーヘッドの中に入れる小さな隕石玉)を入れている。だから甕の中の水は「隕石水」。
除草も化学肥料も加えず、ただときどき「星のかけら水」をまくだけ。でも、毎年おいしい辛味大根の収穫祭が晩秋に行われる。
「宇宙の力」「大地の力」を、その無為自然な畑の営みの中に感じる。

昨日は、天真庵を改装した芸大出身の仲間たちが集まって、酒を飲みながら、「夢」を語った。
能登くらしの仕上げは、また彼らの力を借りねばならぬところがある。その話はおいといて、
一合の酒をオマケした(笑)袖の下、みたいな、喉の下?。また近い将来、能登でワイワイいいながら、大人の「居場所」を完成させてみたいものだ。感謝。

スマホにつけると、金運があがる?

昨日(正確には、本日の深夜O時何分)に、テレビで「徘徊マツコ?」
とかいう番組に、銀座の「隕石直売所」が紹介された、らしい。
休みの昼間は仕込みをした後、浅草や錦糸町や亀戸界隈を徘徊して、
夕方は5時過ぎから酒を飲み、10時前には、本を読みながら、うとうとしだすので
見なかったけど・・・   マツコさんが押上にあった「隕石直売所」を訪ねてから、
隕石屋は知名度があがり、隕石を持つ芸能人たちが増え、運気があがり・・など
素敵な宇宙的な好循環の輪ができているように思う。もちろん、芸能人いがいにも
芸術家や、ビジネスマンや主婦たちにも、優美に広がりをみせている。

最近は、能登ジェラトン(隕石粉入りセラミックでつくった器)がよく売れているようだ。
ようだ、は余計か?
この夏にでた瓢箪(ひょうたん・ひさご・ふくべ)が、よく売れているようだ。ようだ、は余計か?
ぼくはスマホをもっていないので、「まいぐいのみ入れ」の根付(ねつけ)に、その瓢箪をつけている。
近所の「押上文庫」ちゃんも、スマホをもっていない旧人類同志なので、やはり「まいぐいのみ入れ」
の根付として使っておられる。ひょうたんは酒器としても使われた歴史があるので、居酒屋の名前に
「ひさご」とか「ふくべ」とか「ひょうたん」というのは人気があった。

「銀座の隕石直売所」(で、検索すれば、いろいろでてくる)の主人が、天真庵に蕎麦を手繰りにきて、瓢箪を見つけた時、
間髪をいれず「これ、あるだけ銀座にもっていきたい~ボリボリ」といった。その場で、スマホにつけて「かわいい~」といった。
それからこっち、「瓢箪をスマホにつけたら、仕事が増えた・・」みたいな声が銀座界隈から聞こえてくるようになった。
うちの筆子さんもスマホにつけている。夏は梅仕事、今は毎日柚子胡椒の仕事、ときどき、「昔の名前ででています式」で、
コンピュータのコンサルの仕事が入ったり・・・これもまた瓢箪の仕業なのかな?と思うくらい忙しく働いておられる。
ひょうっとして、文庫くんやぼくもスマホを買って、根付をそちらに付け替えると、金運があがる?
今日あたり、試しにそちらから実験してみて、と提案してみようかしらん・・・

今日の真民さん。先日のヒデボーの詩はよかった。どんな状況にあっても、「人生は心ひとつの置き所」なのであ~るぬーぼ。

「心ひとつで」

生きていることが
楽しくならねばならぬ
たとえ貧乏していても
ベッドに寝たきりでも
こころひとつで
楽しくなれるものだ
光がさしてくるものだ

人々の幸せのために
湧出(ゆうしゅつ)してこられた
仏さま方が
手を差し伸べていられるのだ
だからしっかりと
おん手を握って
楽しく生きてゆこう   真民

よかよか のヨガ老師

ときどき、そばを手繰りにくる「ヨガ老師」がいる。何か大きなメッセージを伝えたい時
などに、ひょこっとやってきて、蕎麦をズズズと手繰り、ほぼぶらじるを飲みながら
いろんなメッセージを伝えてくれる。半分以上は、口伝ではなく、心伝のように、ニコニコ
するだけで、いろいろなことをシェアーして脳化するようなことをやってくださる。
フンイキが老子(見たことないばってん)のようなので、勝手にそう呼んでいる。

その彼のブログのようなもんに、素敵な詩が紹介されていたので、今日はその詩をシェアーしてみます。

「ゼロ時間」

チクタクチクタク、チクタクチクタク。

大きな古時計が、今にも壊れそうだよ。

僕の中の時間は、日に日に短くなっていく。

日24時間が、24時間でなくなっていく。

そして、ついに僕は時間に「鍵」をかけてゼロ時間になる。

ゼロ時間は終わりや死ではなく、新しい始まりなのだ。

みんな、時間の奴隷になっているから未来を心配し、過去を振り返る。

ゼロ時間は、未来も過去もない。

「今」ここだけなのだ。

神様から与えられた「今」この時を、一瞬一瞬を、一生懸命生きようよ。

みんなも、時間に「鍵」をかけてみよう。

未来と過去を、手放してみよう。

そして、ゼロ時間になろう。

ゼロ時間とは、「今」この一瞬一瞬を光り輝いて生きてるってことだよ。

「ゼロ時間を生きる」

みんなの課題だね。     (ひでぼー天使の詩より)

.

*北海道の札幌に住んでいた「ひでぼー」は、重度の障害をもって生まれました。

耳が聴こえなくて、声が出せなくて、歩けなくて、口から食べることもできませんででした。

ひでぼーのお母さんは子育てのため、ひでぼーが生まれたからの約9年間、1時間以上の

まとまった睡眠をとったことがないというほど不眠不休、まさしく命懸けの子育てでした。

そんなひでぼーがある時から心の中で詩をつくり、

その詩をひでぼーのお母さんが心で受け止めるようになりました。

純粋で美しい数々の詩は、まるで宇宙の彼方から送られてきたメッセージのようです。

もう少し付け加えるならば、地球を愛する親神様のメッセージを、

親神様にかわり、ひでぼーが私たちに伝えてくれているようにさえ思えます。

「いちばん大切なものは目では見えないんだよ。

いちばん大切なものは心でしか見ることができないんだよ」と、星の王子さまが言っていました。

どうぞ大人の皆さんは子供の心で、子供の皆さんはそのままの心でお読みください。

こんにゃく問答

落語に「こんにゃく問答」なるものがある。
上州のこんにゃく屋六兵衛が、ひょんなことから空き寺の大和尚
になりすまして、永平寺の禅の坊様と禅問答をたたかわせて、
さいごにこんにゃくやが勝ってしまうお話。笑える話であるけど、
深いものも感じられる落語だ。今日日の落語家に、演じられるのか?と思ったりする。

昨日の真民さんの詩にでてくる「隻手(せきしゅ)の公案」というのも、白隠の
「隻手音声(せきしゅおんじょう)」、つまり片手でたたいた音はいかに聞こえまするか?という公案だ。
かいつまんでいうと、「両手を打ち鳴らしてみると、パチパチと音がするけど、片手でやると、
音はでない。でもよくよく集中して瞑想などしていると、空気の音、静かな気配、から一点のくもりない天真(ほんとうの自分)、
まで聞こえてきて、まったく迷いのない境地になる」みたいなことか?禅は、説明しようとすると、すべからく難しいし、むずむずしてくる。

今日のトイレにかかっている日めくり真民カレンダー。

「かなしみはいつも」

かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない     真民

月曜の朝は卵かけごはん

4連休の3日めだけど、三日坊主になることなく、卵かけごはんをやりまする。
2011年震災の年の一月からやっているので、「月曜の朝は卵かけごはん」は、10年
近くやっていることになる。

昨日は、お弟子様の愛犬で20歳になるミニチュアダックスフンドのサクラが召された。カリスマ動物病院長ところに
いく前に「ひとめ」ということで天真庵に挨拶にきた。最初は目がうつろで、半分あの世にいっているような
虚ろな感じだったけど、しばらく木の床で寝かせていたら、目がシャキッとして、くだんのカリスマ医院長も
そばを手繰りにこられ、そのまま病院にいった。18歳の時、一度危篤になったけど、「うめ星」を首にぶら下げた
ら元気になった。カリスマ医院長は「そんな非科学的・・」といって笑っていたけど、20歳の犬とは信じられない、
とのコメントだった。夕方、「旅立ちました」という電話があった。鎮魂。

シンコロのおかげで、職を失う人が、まわりも増えてきた。生き方をかえる人も増えてきた。
ある意味、世界中の人が「これから」のことを考えている。

今日の真民さん。彼が教職の仕事を自ら辞し、「詩人になろう」と決心した時の心境を残した詩がある。

「収入の道を断つことによって」

収入の道を断つことによって
わたしはわたしの魂を
根底から洗いなおそう
自分を生かす最後の道は
これよりほかにないことを知った

(略)

わたしは退職願いを書いた
こぶしの花が
こぶしを広げて
隻手(せきしゅ)の公案のようなことを
教えてくれた
庭のタンポポたちも
ライオンの歯のような葉をだし
わたしの新しい生を祝いしてくれる
ああ
どこまで行けるか
行けるとこまで
行ってみよう
わたしの新しい生よ     真民

新しいゴーヤチャンプルー?

能登の家の横の畑には、大葉がジャングルのように茂っている。
サツマイモも初めて植えたけど、元気に丸い芋ができた。
昨日は、「大葉の実」の佃煮をつくった。
フライパンに、大葉の葉をこそげとっていれる。茎は大きいのは歯にあたるので、
適当に、使ったり、ほかしたり(捨てたり)、葉っぱも柔らかいのはちぎっていれる。
そこにそば用の甘汁(醤油 みりん 砂糖でつくる。家庭では、それらを適宜いれてみるといい)。
汁がなくなるまで煮たら、「大葉の実の佃煮」のできあがり。土を喰らう、という表現がぴったりで、
ごはんにのせてもOK牧場やし、日本酒の友としても最高峰の酒肴になる。

シンコロのおかげで家庭菜園をする人が増えているらしい。夏の「緑のカーテン」として、ゴーヤ(苦瓜)の
栽培をする人が多い。沖縄から広がって、能登でもゴーヤを窓際のとっとちゃんみたいに
栽培している光景をよく見る。夜の勉強会があった時期はよくつくったけど、
筆子さんとふたりで食すには、量も多いし、もともと彼女は、苦瓜が苦手だ。
でもこれから、自給自足に近い生活になっていくので、好き嫌いをいっている場合でない。そこで、新しい調味料
をいれてやってみた。筆子さんの自作の「梅味噌」を使う。南島原の漁師さんに教えてもらってこっち、毎年作っている。

あったまった中華鍋にごま油を入れ、ゴーヤ一本(もちろん種はとって、刻んでね)、ピーマン、エノキなどキノコ類が
あれば適当にいれて、豚肉(鮭など魚でもよろし)を適宜いれ、豆腐をちぎって豆乳、いや投入したら、そこに梅味噌を
加えて、重たいけど、中華鍋をフリフリしたらできあがり。酸味がもう少しほしい場合や、梅味噌がない家庭は、
練り梅(梅干しの種をほかして、包丁で刻む)でもOK牧場。
沖縄生まれでもあるので、泡盛とか焼酎がほしくなる。ちょうど「柚子胡椒」を仕込んでいて、柚子のしぼり汁があるので、
クロキリに氷と炭酸プラス柚子の果汁を飲んだ。あっという間に、ゴーヤチャンプルーもクロキリも空っぽになった。子供でもいける。
お酒もつまみも珈琲も「酸」というのは、すこぶる大事なもんやと痛感する。

今日は日曜日なので、16時で閉店。気功整体の「満まめ」があるので、予約している人は、そのかぎりでない。
蕎麦打ち教室は、明日にしました。アメリカからそばもん(一昨年、子供ふたりが打った)のお母さんが初打ちにきんしゃる。

明日は旗日だけど、「月曜の朝は卵かけごはん」をやります。

浅草散歩と能登散歩民宿

昨日は朝から焙煎したり、そばのかえしをつくったり・・・仕込みに追われた。
なんとか3時くらいにおわり、休み中にお店の植物の水やり係をやってくれた文庫ちゃんに
お礼のお土産。能登の岩ノリとか、妙高高原で見つけた大葉の実(つくだににするとめちゃうまい)、信州の新そばみたいな新りんご・・

その足で浅草まで歩く。能登では、30分歩いても、中根酒店が一軒あるだけだが、さすが東京。スカイツリーや、まわり
につぶれては、また新しいお店ができる。浅草もインバウンド景気や東京オリンピックを見越して、ホテルがいっぱい立ち、
ドラッグストアーや、外国人相手の飲食店などが幅をきかせていたけど、そんなお店はたいがいシュンとしている。
仲見世も、ほぼ日本人になってきたけど、日本人が買いたくなるような品揃えのお店が少ない?のか、あまりモノが売れて
いる様子はない。神谷バーは、相変わらず、「毎日通う」常連さんたちは、いつもの席で、いつものものを注文し、
いつもの飲み友達と談論を風発しているご様子。なかなか、よろしきフンイキだ。

そのままかっぱ橋の蕎麦道具屋に立ち寄り、「胡桃油」(毎日振り回す、貧乏という名の、のし棒につける)を864円で買って、
界隈をブラブラした。シンコロ前には、包丁やさんや器のお店が、外人さんでにぎわっていたけど、今は昔。
ボックオフで、本を買って、近くのカフェで休憩。そのカフェも、いつも多国籍の人でにぎわっていたけど、
今はぼくとおなじような「在日日本人」だけがお茶を楽しんでおられる。「前にもどった」にてしては、さみしい感じもする。

今朝の新聞を開くと、「GOTO・・」用の観光広告が、一面だったりして、「観光広告雑誌?」と思わず、
表紙を見直した。「朝日新聞」と書いてあって、天声人語もあったけど。
昨日の日経新聞に「軽井沢のホテルが提案するワーケーション」の記事があって、読んで笑った。苦笑い!

一日目・・・朝10時軽井沢着  11時小宴会場でオリエンテーション 12時ランチミーティング 
14時 客室やコテージで各自仕事 16時チームでゴルフ 19時夕食(懇親会)
二日目もおなじようなもん。「本社とのオンライン会議」というのが加わったくらい。
最終日は、家族と観光や買い物

・・・政府も推奨するワーケーション(観光地に滞在しながら働く、新しい働き方)の具体的な案なんだろうけど、
「大丈夫ニッポンチャチャチャ」くらいしかコメントできない、チープな内容やね。
たぶん、オンライン会議で、きまったんやろね。各自、せんずりこきながら会議してるんかな?

せっかく、長期の巣ごもり期間があって、おひとりおひとりが、これからの行く末について「哲」してこられた
のだろうから、これからは、政府や大手代理店や、その規格に組した旅館やホテルにボーッといく、のではなく、
自分の第六感や予感を信じて、いきたい場所に旅するほうが、100倍楽しいし、お金も半分以下くらいで、
楽しめ、これからの「仕事」につながるモノコトがいっぱいあるんじゃない。

能登の家がある地域は「富来」(トギ 富が来る)と呼ばれた地域。山海の自然に恵まれ、北前船が往来したとこ。
ときどき、うちに遊びにくる若いくんが、古民家を買って、宿をはじめた。「TOGISO」(富来荘)という。
しばらくの間、ぼくらと同じように、東京と能登のデュアルライフをやっていたのだが、まだ小さい子供さんたちが、
「能登にくると元気になる」を痛感して、おもしろい「能登まるごと体験型宿」にした。だんだん時代とともに進化発展しそうな民宿。
原付や釣り道具、キャンプ道具もレンタルできるし、ミーティングができるホワイトボードもある。
車でいくもよし、能登里山空港からレンタカーでいくもよし、金沢からレンタカーでいくもよし・・
興味ある人は「TOGISO」を検索してみて!能登の天真庵から、カブで10分の距離!感謝。

田舎で暮らすと、そのまま「ワーケーション」!