月曜日の朝は「卵かけごはん」
この日は、朝からごはんとお味噌汁、いわゆる一汁一菜の準備をする。
お米を研ぐ。最初に入れる水を「東京水」(水道)にすると、その味がきめてになるので、
ブリタで漉した東京水で米を研ぐ。とぎ汁は、ペットボトルに入れ、適宜な塩と砂糖を入れて、
発酵させ、プランターや植木たちにあげる。
お米は玄米を家庭用の精米機で白米にし、米ぬかは、お店の前の街路樹のまわりにまく。
すると雀のバードウォッチングができるし、街路樹の土も、米ぬかや雀の排泄物で元気になる。
あまった米ぬかは、ぬか床にして、季節の野菜で「香のもの」ができる。実に、小宇宙の循環原理。
ごはんを炊く時、「うめ星」(隕石玉)を入れると、一味かわる。
天真庵では、「うめ星」とにがりを少々(3合だと、三回ミスト)して焚く。
二月の「味噌作り」も夏の「梅干し」つくりの時も、能登の珠洲の塩を使っている。
珠洲では「揚げ浜式」という古来から伝わる方法で塩をつくっている。政府がケミカルな
塩化ナトリウムをつくり、専売制にしてから、大半の塩屋が廃業した。その結果、日本人
の体も廃業をよきなくされる人が増え、振り子がふれるように、原点がえり、というか
「塩」が見直されている。私たちの命が海からうまれ、母親の羊水も海の精がやどっていて、みなそこで
命を育まれる。ただの水に塩化ナトリウムを入れたった、なんの命も宿りはしない。
能登の先端の珠洲に、小さな小屋で、こつこつと塩をつくっている匠じいちゃんと故意になり、
能登休みの時は、用事がなくても、ぶらりと遊びにいく。
6月には、前の海でとれた「あご」(トビウオ)を自分で捌いて、クーラーもない小屋で
炭火で焼いていた。汗だくになりながら「娘がラーメン屋をやっていて、このアゴとぼくの塩で汁をつくっているんよ」
と笑っていた。天真庵の「そば汁」も、このじいちゃんのアゴを隠し味に入れている。
先週も、じいちゃんのところに遊びにいった。天気がよかったので、梅干し用の大きなザルに、梅干し
用に使った紫蘇を天日干ししていた。「ゆかり」である。
目の前の海をくみ上げ、塩をつくり、その塩で梅干しをつくり、ミネラルたっぷりの海風の中で、ゆかりをつくる。
「ゆたか」以上のなにものでもない。珠洲ではさざえ漁も独特な方法がある。密漁が増えているので、教えられないけど、
「ほんものはみな簡素」の天地自然の理がそこにある。
十間橋通りに花屋がある。先々月そこで「ユーカリ」を買ってお店の前のプランターに植えた。
コアラの好物で、原産はオーストラリア。能登の家にももっていったけど、北国でも元気に育っている。
ユーカリの花言葉は「再生」。今の世の中に、一番ぴったりな言葉かもなんばん。感謝。