世の中は、澄むと濁るの違いにて・・・

そんな調子のいい酒脱で即興的な遊びがある。

世の中は、澄むと濁るの違いにて・・・
ハケ(刷毛)に毛あり 禿に毛なし

昨日はうだるような暑さの中、焙煎をした。冷房をきかせた中でやると、
微妙な焼き加減、さまし加減の調整がむずかしい。ので、どんなに「危険な暑さ」
とラジオが叫んでも、窓をあけて「常温」の中でガラガラという音を手まわしの焙煎機で焼いておりまする。
そしてラジオに負けないくらい大きな声で「あ・つ・い~」とおらんだり、おらぼーごたる(おらびたくなる)気持ちでがんばっている。

夕方、界隈でシエアハウスを何軒が経営するだいきくん「株式会社 梅と庭いじりのじいさん」(そんな名前の会社の社長)
が、ふらっと遊びにきた。来月、界隈のカフェやアトリエやシェアハウスを使って、「芸術祭」をやることに
なったらしい。2007年に天真庵の建物を改装するとき、芸大出身の3名が中心になってやってくれた。
その縁で、3人のひとりが近所の長屋に住むようになり、改装中にであった子と結婚し、今は
子供と4人で、和歌山の最南端の街で暮らしている。ぼくのHPにリンクしている「田並劇場」
の人たち。だいきくんは、そんな流れで、うちの内装を手伝い、その後界隈に住むようになり、「BUNKAN」を改装したり、
「路地裏の不動さんや」みたいな仕事が成業になり、会社の社長になった。

最近、ボロボロの長屋を改装し、道場げな(のような)場所をつくった。明治通りの「旧邸」
というシェアハウスの隣。ニ双の立派な屏風が、ガラス越しに見える。かの「おかまのMくん」
所蔵の江戸時代の書家の揮毫したものだ。なかなかいい。

「そこで使えるなら、もっていって」といって、円座をもっていってもらった。
昔から、板張りの床や、囲炉裏の周りにおいて使ったまあるい座布団。わらで丸く編んでつくってある。
ついでに、近くの解体する家からいただいた掛け軸の中から、道場に似合うようなものを4本みつくろって渡した。
だいきくんは、原田先生の花も習い、福岡の星野村の茶会(原田先生が花をいけた)にもカメラマンとして列席したりしたので、新しい空間に、花が生けられるようになると思う。長屋やこの界隈に残る古民家には、花がよく似合う。お茶もよく似合う。だいきくんは、おじいちゃんが岐阜で茶畑をもっていて、そこの茶つみを毎年おこなったりする。
まだ若い(いまは40を超えおっさんか?)けど、質実剛健(ほめすぎ)なおっさん社長だ。ぼくのお茶のお弟子様でもある(あった)。

ハゲとハケほどではないけど、円座と縁座では、大違い。
「縁座」になると・・・重い犯罪について、犯罪人の 家族や家人までが罰せられる制度。奈良時代から行われ、特に江戸時代は武士に 対してきびしく適用された・・になる。
できたら、膝をつきあわせ、車座にすわって、こころあたたまる談論風発の友として「円座」を使いたいものだ。そんな「和気あいあい」な空間がこの街に残っていくことを望んでいる。感謝。

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