立雲と天風先生

先月、後輩がお菓子をもって挨拶にきた。
天真庵のHPで、テレビ金沢のテレ金ちゃんで紹介された映像を見て、
夫婦で話し合い、四国へ移住することになった。かいつまむとそんな話だった。
彼は、ねっと21の会員で、韓国のIT会社視察旅行もいっしょにいった縁もあった。
よき人生がお遍路さんの街でありますように・・・「そんなかんたんには、おへん」?

そのテレビの中で、中根商店という酒屋のおっちゃんと会話するところがある。
徒歩20分ちょっとかかるのだが、ごみの券を買いにいったり、能登ワインなどを買いに
いったりする。往復の時間プラス、おしゃべりが約一時間(9割がおっちゃんがしゃべる)かかる。

5年くらい前に、そのおっちゃんのところへ、若いカップルが立ち寄った。ふたりとも木地師(塗りもの木地をつくる職人・漆をぬる職人が塗師(ぬし))
で、「古民家を借りて、家とアトリエにしたい」という相談だった。親分肌で、地元のことに詳しい世話好きのおっちゃんが、海に近い納屋付きの空き家を
紹介し、藤懸神社で集落の人を集めて、祝言をあげた。その様子は地元の季刊誌「能登」でも紹介された。
こんな逸話の残るこの界隈は「住みやすき」というか、いい人が住んでいるところ。
ぼくも地元のテレビや新聞で紹介されたこともあり、釣りや散歩ですれ違う人たちに「あ、テレビにでた、あの東京から越してきた人」
みたいに顔パスでなんとか通る。移住を考えている人は、その土地の中の酒屋とか魚屋とかお菓子やに通って、そこの主人やお客さん
さんたちの「生活感」みたいなものと、自分の波動が同調するかどうか、そんなことを自分の感性で感じることが肝要だ。
「不動産や」や「役所」にいくのは、その後よ・・

このおしゃべり好きのおっちゃんに負けないくらい、よくしゃべる骨董屋が銀座にあった。
「一楽堂」。池大雅の研究家で、煎茶を好んだ文人の書を集め、田能村竹田と頼山陽の書簡の「一楽帖」
から屋号をとった。銀座の七不思議のひとつにあげられる奇人だった。
一階の玄関をあけると、人がきたサインを伝えるチャイムが奇妙キテレツな音がして、お店になっていた二階にいくのを
一瞬ためらわせた。でも勇気をもって階段をあがりつめたところに、張り紙があって、「一時間以上はおしゃべりしないでください」
と自筆で書いてある。座ると、主人がみずから玉露をほどよい加減に入れてくれ、京都のお菓子がでてくる。
それから、京都の話や文人の話、最近のできごと・・・など自噴するように機関銃トークが50分くらい離される。
少ない残り時間の中で、懸けてある軸の作者と値段を聞くと、いつも「お金はいつでもいいです。気に入ったら、もっていって」
といって、品物を上手に包んでくれる。そんな主人だった。3年くらい前に86歳にて緞帳を下げた。
最後に買ったのが「のむら暮らし」の5月の藤を飾った床の間に飾った「立雲」と号のある軸。
昭和の哲人「中村天風」先生の師匠。頭山満の号。国士、という人がいた時代の主人公みたいな人だ。

私は、力だ。

力の結晶だ。

何ものにも打ち克つ力の結晶だ。

だから何ものにも負けないのだ。

病にも、運命にも、

否 あらゆるすべてのものに

打ち克つ力だ。

そうだ!!

強い強い力の結晶だ。(昭和の哲人 中村天風)

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