今日は、敗戦記念日。原爆から75年、敗戦から75年。
天真庵の建物は、その年の3月の東京大空襲で焼けた後に建てた。一日で下町の10万人の命が灰に帰した。
2007年に開業した時は、「築60年の建物を改装して(リノベーションという言葉が流行り
だしたころだったけど、流行り言葉の横文字がきらいなので、その後も「改装」といい続ける)
、といっていたけど、その建物も古希を過ぎ、75年とあいなりまする)
B29の空襲に供えて、竹槍で反撃、みたいな茶番な戦は、二度と繰り返さないことを切に祈る。
阿部ちゃんは、アホだということは、国民はみな知ってしまった。このあたりが引き際。
ここで「戦争ができる国にする」という憲法改正は、あの世で、トランプか花札しながら勝手にのたまってほしい。
この国には、まだ「やらんとあかん」未来があるけん。
昨日は「ユーリを偲ぶ会」を能登天真庵でやった。7月8日に36歳で天に召されたイギリス人のユーリを
梅茶翁のふたりを招いてささやかにとりおこなうた。ぼくのHPの「のむら暮らし」に、ユーリと畑仕事をし、
梅茶翁の庭先でいっしょに食事をする写真をのせた。イギリスから仕事(東洋医学の鍼灸などを施す医者)
しに日本にきていたけど、シンコロで帰国できなくなり、梅茶翁に居候しながら畑仕事を手伝ってくれたり、
金沢で仕事したりしていた。その日はじめて梅茶翁で合い、珈琲の入れ方を伝授し、ひとり娘のななちゃんとは、
次あったら釣りをしよう、と約束した矢先の突然の訃報やった。まさに人生は一期一会。あっというまに、おわる。
まだ骨になったユーリは日本にいるけど、魂は実相のこの小宇宙を自在に遊んでいる様子が感じられた。
今年は亡き親父の三回忌もできなかった。大半の日本人が、初盆も墓参りも法事も、ふるさと帰りもできないお盆。
♪わたしのお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません・・
そんな歌が一世を風靡した。「家」単位で考えると、お墓やお墓守り、というのは、先祖を啓し、今の自分
の命につながる血をおわけくだされた人たちに感謝の意を表する、というのは、人間としてとても大切なことでは
あるが、「お墓」とか「お寺」とか、「宗派」とかに、とらわれすれぎると、「お金」や「めんつ」や「体裁」
なんかが優先して、中心にある「祈り」とか「感謝」とかが、後回しになっていく、そんな感じも否めない。
シンコロが、そんな「常識みたいな悪習」までも、一瞬にして変えてしまいそうなお盆。覆水盆に返らず、か?
いいか?そのまま自然の流れにまかせてしまえ!
人は肉体が滅んで灰になっても、魂は、縁ある人たちの中で生き続ける。
やっぱり「魂」は、お墓の中には、いないのではなかろうか・・・?
生前ユーリが大好物だったpizaを、そば粉で焼き、ひがな飲み続けてくれた「ほぼぶらじる」で
一献かたむけながら、ユーリの話をしていると、「ありがとう」と笑顔のユーリが横にいるように思えた。
三輪福さんがつくってくれた「梅干しポテサラ」も、とてもうまかった。
稲は天に向かって伸びる。桜切るバカ、梅切らぬバカ、で、梅の木は切り上げ剪定(元気で天をめざす枝を残し、残りは切る)
、で元気を残す。夏野菜の新芽や、これから蒔く大根の種も、みな「天」を目標に生きる。そんな生き物たちの頂点にいるような人間が、
生きても死んでも、地べたをはいつくばって右往左往しているのは、なんとなく荒唐無稽な気がしませんか?もっと自由でいいはずだ。
今日は土曜日。ここ志賀町では、土曜日の朝6時から日曜日の朝6時までは、船で魚を釣る、岸壁で魚を釣る、
もぐってさざえやあわびを捕る・・・一切の「漁」が中止の日。
いっしゅの「自然をつぎの世代につなげる日」であり、「働き方生き方を改革する日」である。小さな一歩
だけど、そんなちっちゃなことからわたくしたちの生かされている、この星ガイヤの持続可能な残り時間がきまってくる。
「今ここ」を大切にしたいものだ。感謝。