ななみときじばと

今日も天気がいいので、近くの里山を散歩しながら、となりの浜までタコ釣りに・・

藤懸神社の看板を右折し、神社を詣でて、釣り糸を垂らす。
釣果もそうだけど、丁か半かの賭け事も、その時の運によるものが多い。でも今日はそのご利益はなかった。
神社の手前に小さな寺がある。廃仏毀釈までは、神社といっしょだったに違いない。
今朝は、お盆なので、その寺の横にある墓地には、花が手向けれれ、坊さんの般若心経が聞こえてきた。
その墓地近くに立派な「ななみ」(七実)の木がある。九州では訛って「なのみ」という。

赤い実をつける木なので、南天や万両と同じように、昔の庭には、縁起がよいと、よく植えられた。
宗像の実家には、立派ななのみが庭の中心に華道の「真」のように、鎮座していた。ぼくが中学3年の時、
宗像に家をたて、延岡のなにしおう植木屋のせがれの父が、自分で作庭した。近くに山があり、そこに立派な
「なのみ」を見つけ、ふたりで夏の暑い日、一日かけて掘り起こし、レッカー車を頼んで、家に運んだ。
あまりなんでも、うるさくなく、ゆるーい昭和の時代のお話。
その後、赤い実のなるころ、なのみの木の梢にきじばとが、巣ごもりして、卵をあたためたりしていた。
今まさに「巣ごもり」の時代になったけど、自分の家の中の木に鳥が巣ごもりをしただけで、こころあたたまる
ような温かさを感じた木。

311の前の年の秋、愛犬のチワワが旅立ち、東京で骨にし、かば細工の茶筒の中に入れ、実家のなのみの木の下に、埋めた。
目印に「ふーじいさん」が石に刻んだ六地蔵をおいた。生前も元気を孫のようにかわいがってくれた両親は、
毎日仏様にごはんとお茶を手向ける時に、その六地蔵の前にも、水をそなえてくれた。父親が旅立ち、母が施設に
入ったので、実家を売ることになった。先月「これが最後」と庭と家を見て、頭を下げて、その六地蔵を車にのせ能登にもどってきた。
六地蔵を玄関前の小さな庭に置き、水をあげたら、「酒のほうがよか」という元気の声が聞こえた。水を植木にまき、クロキリを入れておいた。
10年くらい九州で暮らしたので、元気が酒飲みになり言葉が九州になっとーと。ヨカヨカ。感謝。

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