日本酒党には、あまりに有名な酒だけど、山形の酒田に「坂田酒造」という酒蔵があり、
そこの「上喜元」は、全国区の銘酒である。(石川には、通称「つねきげん」の「常きげん」もある)
天真庵が押上にできてすぐに、佐藤社長が蕎麦を手繰りにこられた。
「酒つくり」に関してのこだわりは、まさに情熱大陸だ。
いよいよライブも始まるし、夜の寺子屋も始まる、と思い、四つ木の杉浦酒店に注文したら、半ダースの酒の中に、
ワインのラベルのような日本酒があった。「be aftar」とラベルに揮毫してある。「上喜元 純米大吟醸 スペシャルブレンド be aftar」。
酒蔵さんも、それを仕入れる酒屋さんも、その先の居酒屋や飲食店さんも、それを飲むお客さんも、「これまでとは、違う be after」
を真剣に模索している。そんな思いにエールをおくるようなネーミングであり、気骨あふれる味である。
この蔵の酒は、大吟醸になると一升4000円以上するのだが、佐藤社長と蔵人の心意気で2400円。
上喜元といえば、もうひとつ思い出深い話がある。たまたまうちの常連さんだった女子が、四つ木の杉浦酒店の
娘さんで、彼女が結婚式をあげる時に、招待された。同じ席に、当時近くに住んでいて、よく天真庵でライブを
やってくれたピアニストの赤松林太郎くんも座り、お祝いの一曲を披露する、そんな段取りだった。
結婚式の打ち合わせの時、その会場(有名な結婚式場)のお酒を味見して、「これじゃ うちのお客さんたちが満足しない」、
ということになり、上喜元を持ち込みにした。ぼくも、林太郎くんも、仕立てたばかりの着物と袴をはいて、少しきどって席についていたが、
でてきた酒があまりに美味いので、ついついピッチがあがり、彼は演奏前に赤松のように真っ赤な顔になって、そのままピアノを弾いた。
でも、さすがに、今ではすっかり巨匠になったアーティストの若い日の片鱗か、みごとな演奏やった。
今回のシンコロナイズで、飲食店もそうだが、酒蔵さんも、大きな打撃をうけている。
ワインを飲みながらボリボリうんちく語るのも、いい?けど、やはり日本人は日本酒のほうが
あっているように思う。池袋時代は、近くにワイナリー泉屋さんがあり、そこの社長と仲よくしていたので、
よく天真庵でワイン会もやったけど、最終的に毎日飲む酒は、やっぱり日本酒がいい、とつくづく思う。
いろんな意味で、「ふきげん」になったり、ささくれだったひとばかりが、目立つような世の中になってきたけど、
仕事が終わり(おわる前でもいい)、ほっとした時、備前の徳利あたりに、お気に入りの日本酒を入れ、
斑唐津か、志野、織部、黄瀬戸のぐいのみで独酌。「日本人に生まれてよかった」と思う刹那の幸せなこと。