3月から、ライブをやっていない。今日は恒例の「大石学ライブ」で
、満席御礼やったけど、月曜日に電話で話して中止にした。
月曜日に「長屋で女史会」を3か月ぶりにやって、そろそろ「寺子屋」も
はじめようか、と思っていたら、また東京で感染者が急増しているので、
それも中止にした。
「これを機に」、で廃業するお店も多い。「お客さん(家族)がいるから」とか「ずっとそうやってきたんだから」
で、続けていたけど、一度たちどまって考えたら「そろそろ緞帳を下げる時か」と結論をだす、いい機会だった、ということか。
「そんなわけで」と、シンコロナイズされた昨今の事情を枕ことばにすると、いろんなことが
断りやすい状況下にある。「飲みのさそい」「デートのさそい」「旅行のさそい」・・・
でも結局、よくよく考えてみると、「どうでもいいこと」や「ことわりにくいから」とか、
いった惰性で、飲みにいったり、おつきあいする、ことが、いかに多かったか、を、
再確認する期間でもあった。
ある意味、世間体とか空気感みたいなものを大切にしてイヤなことをしたり、つきあったり、おもねって生きてきたり
していたけど、これからは「イヤなことはしない、と決めて、自分らしく生きる」路線に進路が変わった、
ということかもなんばん。「さとり」に致る境地やね。ある意味、シンコロというのは、「神さま」に近い存在なのかもね。
天真庵も、19時閉店で、それ以降にライブや寺子屋をやっていたけど、最近は「陽がくれるまで・・」
みたいな感じで、18時ころ閉店して、それ以降はカウンターで酒飲んだり、本読んだり、音楽を聴いたり
することが多い。それはそれで、いいもので、そばやが「ソバー」みたいになったり、ひょっとしたら
ここは「蘇場?」とか思いながら、ひとり悦にり「よみがえるぞー」なんて叫びながら酩酊してる毎日。
月に10日は、能登で暮らしている。6月は「梅仕事」と「草むしり」と「種まき」(辛味大根・大豆)
の日々やった。3年かけて、畑の土の具合もよくなってきたので、そろそろ「夏野菜」を育てようか、
なんて思っている。そうすると、月に10日では足らないので、「半農半X」ではないけど、「半京半能登」
でいこうか・・・なんてことを考えてみたり。
昨日で「梅仕事」が終わった。ゆみちゃんが「能登塩」と「能登梅」で梅干しを2kつくった。
「ステイホーム」で、自宅で過ごす人が多くなり、自炊する人が増えた。レシピ本はいっぱいあるし、
ネットで「クックなんやら」を検索すると、だれでもなんでもすぐできる時代。
でも最終的には、やっぱり日本人には、お米・味噌汁・お漬物(梅干し)を中心にした「一汁一菜」
が一番、持続可能な生活の中心になるような気がする。給付金が残っていたら、調味料(砂糖・塩・醤油・酢など)
のバージョンを変えてみるのも一考だ。毎食の「幸福感」が変わる。そしてまだ余裕があったら、「器」を
変えてみる。毎日が料亭気分になるかもよ。感謝。