梅咲き香の旅

先日は「あいなめ・・・」とタイトルを書きながら、若い花あるおんなのこ...で脱線し、
「あいなめ」を書くの忘れた。今回の能登くらしは、梅中心で、「朝まずめに30分釣り」をする以外は、
梅と畑の仕事に終始した。都会の「仕事」もそうだけど、それが、飯を食うための「労働」と意識すると、
「がまん」とか「忍耐」とかいうものが、どうしても含まれて、その対価として「お金」の計算をしてしまう。
一日の中で、そんな仕事で明け暮れると、どうしても、そのほかの、食べたり飲んだり、何かをする、
一般的な「モノ」や「コト」が、「まずお金の計算」から始まり、一日中、一年中、一生、「お金」
に縛られるようなことになる。今回の「シンコロナイズされた新しい世界」は、まず、そのあたりの
ことが、がらっと変わっていくのではなかろうか?ほんとうは、もう変わってしまった!

緑雨空(りょううそら)の能登の朝まずめ(朝日がでるころ)、シーバス用のルアー(疑似餌)を投げると、強い引きがあり、
「あいなめ」ちゃんをゲットできた。津久司鮨の主人から教わった「しめ」をやってみようと、
家にもどり、まな板の上にあいなめをおいた。「まないたのあいなめ」という。鯉?
長野の佐久あたりにいくと、鯉料理がよくでてくる。お頭つきで、さしみにして出す「生きつくり」
は、しばらくピクピク動いているし、元気なのは、皿からとびでるくらいのもいる。
酒が入り、酩酊してくると、盃に残った酒を、頭にかけたりすると、またピックッとする姿を見ながら
酒を飲む。そんな鯉づくしの夕餉をよく「佐久の鯉太郎」みたいな親友の家でやったことを思い出した。

あいなめのエラのところに出刃を入れ、〆る。血がでて、即死して、魂は天国に召され、残った部分を
「いただく」ことに、あいなる。実際、頭を落とした後も、一時間くらい動いていた。
三枚におろし、刺身にして、松本の大久保醸造所の醤油でつくった「かえし」に自家製柚子胡椒で食べる。
隣の畑(自分ちと反対の畑)で、おばあちゃんにいただいた、胡瓜とトマトサニーレタスを切り、
「え~市」で買った無農薬野菜のドレシングをかけて一品。
ご馳走、の言葉どおり、おいしいものをとりに走る、要領でゲットした海のものと畑のものを忖度(そんたく)し、
地酒の竹葉(ちくは)を飲む。白身のあいなめを、そのサラダといっしょに食べると、口の中がカルパッチョになる。
これを能登ワインで飲む、と、きょうびの若い女の子好みの「おいしい・・ボリボリ」スタイルになる?
さつきの畑に、勝手に大葉や紫蘇やタイムや・・・野草のようなハーブが自生しているので、忖度の選択もよりどりさつき、もとい「よりどり(さつき)みどり」だ。

今回の10日間の能登の生活費は、鮨を二回喰ったけど、5000円もいってないかもなんばん。少なくとも、
ぼくの財布は一度も出していない。
今回のシンコロナイズで、職を失ったり、給与が激減したりする人が、少なからずいると思う。まだまだ
おさまっていないし、第二弾がきたり、二度あることは三度ある、になったりする可能性も強い。
「思いっきり、人生の舵を面舵一杯にする」チャンスでもある。テレワークや、リクルートの情報検索
する合間に「空き家バンク」なんかをのぞいてみるのも一考だと思う。「田舎暮らしは、会津磐梯山よ(♪宝の山)」

最終日、朝ごはんを食べ、車に荷物を積んで、梅もぎに・・。また恵の雨だ。
25日に30kくらい摘み、最終日は60k摘む。びしょぬれになった雨合羽の上下とTシャツを脱ぎ、
パンツひとつになって、三輪福さんに「次くるときまで、納屋の片隅で干していてください」とお願いする。

まかない昼ごはんは、「生しらす丼」。しんごちゃんが朝、近くの海でとってきたものを、「生のまま」
と「かまゆで」半分にして、古米をまぜて炊いたあつあつごはんにかけ、玄関先の畑に走り、大葉とネギを
きざんだものに、「かえし」をかけて食べる。お土産にもってきた「じゃがいも」(これも、隣の畑産)も
ポテサラにしてくれて、ちゃぶ台に並ぶ。梅林いっぱいに自生するよもぎも、陰干しにして、「ヨモギ茶」
になってでてくる。これが「能登の日常のまいもん(うまいもの)」「ゆたかさ」の次元が、宇宙的であ~る。
そのまま、20度くらいの能登と信濃路を100k近い梅といっしょに旅をしながら帰ってきた。
今日から「梅仕事」。天真庵は「梅咲き香る」状態だ。ごはん、味噌、梅干しがあれば、なんとかなる!感謝。