昭和51年に京都で暮らすようにようになった。
その年の秋に、からふねやの本店を任されるようになった。
下鴨神社の近くにあって、カウンター5席、ふたりがけのテーブルがふたつ、
満席になっても9人という小さな珈琲屋。
セブンイレブン方式で、朝7時から夜11まで営業。お昼は手間がかかるので、
アルバイト(近くのノートルダム女子の人らが多かった)を使って、毎日朝から
晩まで、珈琲時間やった。
駐車場はなかったけど、ゆるい時代だったので、お店の前に一台おけた。
時々、「これはあかんでしょ」という左カンドルの大きな車(リンカーン)が止まった。
主人は呉服商を営んでいた人で、立命館の先輩だということもあり、誘われて一度西陣にある会社に
遊びにいった。
立派な三階建ての自社ビルで、最上階の社長室に入ると、ふかふかの絨毯(なぜだかあのころの社長室の
絨毯はふかふか。ソファーもふかふか、が流行りだった)。美人の秘書が珈琲を入れてくれた。
「あんたの珈琲ほどうまくないで・・・」と笑いながら、いろんな話をした。
その会社の名前に「ひさご」がついていた。「ひさご伝票」という会社もあるけど、
日本人にとっては、「ひさご」(瓢箪)は縁起のよい名前とされ、屋号に冠するものが流行ったころがあるようだ。
通りに面した窓の横に、ひさごの掛花がぶらさがり、そこに白い侘助が一輪投げ入れてあった。
リンカーンとは真逆な美意識みたいなんが、そこにあり、「不思議なおっさんやな」と思っていたら、
「風水や。部屋にひょうたんを置いていると、悪い気がなくなるやねん。陰陽師の安倍晴明さんもそんなこといわはったわ」
そういえば、そのビルにいく道の途中に「晴明神社」なるものがあった。
「せっかくやから、金持ちになる方法教えてあげよか」と、高そうな葉巻をくゆらせながら
いうので「はい、教えてください」と、高校時代から吸っているショートホープを吸いながら、どんな風に
すれば、こんなお金持ちになるのかな・・なんて楽しみにしていたら
「使わんこっちゃ」と、単刀直入にのたまわれた。なんか、瓢箪から駒、どころか、狐につままれたような話
だったが、それから何年かして、東京にきて、27歳の時に会社をつくってこっち、いろんな金の苦労をしながら
「使わんこっちゃ」の意味が最近すこしわかってきた。でも「お金持ちになりたい」という夢は、もともともっていないタチかもなんばん。
お暇(いとま)する時、「これ財布にいれよし、お金がどんどん増えるで。でも使わんこっちゃ」といって、象牙でできた🐢(かめ)を土産にもらった。
「ひさご」と「かめ」が、奏功したのか、なんとか人さまに迷惑をかけず、従業員スタッフには、給与を遅延することなく、会社を運営
できてきた、と感謝している。でも「使わんこっちゃ」という金言を守ることをいっさいしていないので、いまだに毎朝、びん棒、という名の
のし棒を振り回して、蕎麦を打つ毎日。
先週、銀座の王子が蕎麦を手繰りにきたと時、能登ジャラトン(隕石粉入りのセラミック)でできた「ひさごの根付」をプレゼントした。
その時もらった「亀さん」のレプリカのうおうなもんを久保さんに作ってもらった。
一昨日、浅草に向けて散歩している時に王子からメールで「ひょうたん、カメさん・・・○○個づつください」と注文が入る。
人生は、同じようなことが繰り返される。そんな妙味が味わえてきたら、お金よりも「ゆたか」なものが、いっぱい見えてくる。感謝。