あいなめの生き作り・・・?

今日は、花のあるこが、遊びにこられるので、朝まずめに釣りをし、近くの里山の中で、
松と竹を調達し、久保さの信楽壷に投げ入れた。
5年ほど前のお正月、湯河原の「石葉」で、原田先生といっしょに、竹の立花の講習を受けた。
その当時、石葉のスタッフは、わざわざ湯河原から天真庵に通ってこられ、原田先生に花を習いにこられていた。
また、天真庵の椅子などをつくってくれた般若くんが、石葉のダイニングテーブルの椅子をつくった縁も重なり、
無駄のない縁でつながっていった。

6月は、松の手入れをする時期でもある。実家の松の手入れのために、毎年6月に宗像にかえっていたが、
庭の主が召されたため、ほったらかしのまんまだ。家族は、放蕩息子のUターンをたぶん望んでおられるけど、
どこふく風よろしく、海風にのって能登に半分暮らす生活を選んだ。
せめての罪滅ぼしではないけど、界隈の松の葉を摘んで、信楽壷に飾る、という妙案をおもいつき、
初挑戦。「花」や「茶」の常則から一歩すすんで、何かをやろうという時、必ずそれを察知して、
おかまのMくんからメールがくる。「能登暮らしどうですか?今月はなにを生けますか?」・・
松を生ける、というと、必ず「写真を撮っといてね」とおねだりされるので、「ずっと梅仕事で、
明日最後の梅を摘んで東京にもどる」と返事した。なんとか、竹と松が投げ込みに成功し、床の間に
大綱宗彦老師の「梅和歌」の軸をかけ、台所や玄関に積んできた梅も香っているので、「松竹梅」
でもって、東京から近くに移住してきた、花のあるこ、と、お茶会ができた。めでたし、めでたし。

シンコロの影響、で巣ごモールの若い花のあるこ、と知り合いのチャンスに恵まれている。
こないだは、将来イタリアンのお店をやりたい、というこがきた。若いのにちゃんと、哲学をもって
いて、見習うところのほうが多し、というこやった。「能登のタコすかし」の話をしたら、その日
に「タコとじゃがいもの温サラダ」のレシピを、メールに添付しておくってもらった。
若い人たちは、ハーブとかを、自分ちでつくり、ドレッシングやマヨネにまぜたりして、新世界の料理を
つくりだす天才?みたいに見えることがある。でも、そのレシピは、そのままではないけど、いただきました、。

なかまして

昨晩、古民家を改装したりする本を読んでいた。「住み継ぐ」(建築資料研究社)
奈良で、やまと野菜をつくり、レストランをやっているご夫婦のお店(二号店)がのっていた。
身障者のお仕事をしながら、いろいろ疑問なことが芽生え、アメリカのネイティブインディアンの
街を旅したりするうちに、「伝統的な野菜をつくろう」と決心し、「自然農という生き方」の
川口さんに弟子入りし、自然農で伝統野菜の「種」をつくり、育て、その味をわかってもらおう、と
「粟」(あわ)というレストランを始めた。

建築資料研究社とは、池袋にある会社。若いころ、いろいろこの会社と仕事をした。社長の馬場さんは「栄一」
という名前でぼくと同じ。そんな縁から、仲良くしてもろうた。上池袋のうちの会社から、紙袋に半導体やソフトウェアーをつめて、
歩いて納品すると、〇〇百万(もっとか?)・・・そんな時代やった。

今日は、朝はやくおき、朝まずめに30分釣りをした。フグが2匹とマゴチが一匹。外道のフグではない、マフグ。
あまり知られていないけど、輪島は、フグの漁獲高が日本一。きれいに処理すれば、大丈夫だろうけど、やはり毒は怖い
のでリリースした。免許をもっている「ながや」のながやくんが遊びに来た時は、調理してもらいたい。
その後、珠洲の市役所を目指して車を走らす。月に二度(日曜日)に、そこで「えー市」という市場がたつ。
若い農家さんたちが無農薬で育てた野菜や、それを使ってできたチャツネやドレッシングが、ところ狭し、で並ぶ。
「ガットポンポコ」や「梅茶翁」なんかが、出店しているのと、「栄一」(えー市)の縁で、気になっていた。
しばらくシンコロさんの影響で中止になっていたけど、やっとまたポチポチいこう、てな感じで再開した。

梅茶翁ととなりのブースに「なかまして」というテント。若い女子が、黒板に「あげたいもの」となりに「ほしいもの」
と手書きしていて、左に「ガスコンロ 魚も焼ける」とかが張り紙してある。
ほしいものには「軽トラ」という張り紙があった。そのかわいらしい顔した女子に、「なかまして、って?」と問うと、
「東京(彼女は世田谷うまれ)から移住してきて、こちらの方言でシェアーすることを、なかまする、というのを知って、
いい言葉だなあ、と思って・・・」とのこと。誰かのいらないもの、が、ほかのだれかのほしいもの、で、それがマッチング
したら、「ごみにならない」という運動だ。「なかまして」とか「原始的ぶつぶつ交換」というのは、これからの時代のキーワードやね。

今日は「梅仕事」が残っているので、そこに30分ほどいただけで、志賀の家にもどった。少しどんよりした雲から雨が・・・
昨日は「青梅雨」という言葉を紹介したけど、今日の新緑の雨は、昔から「緑雨」(りょくう)といった。
明治時代の文人に「斎藤緑雨」というひとがいた。簡素な言葉でアフォリズム(物事の真実を簡潔に鋭く表現する)
で人の胸をグサッとさしまくった人だ。こんな風に・・・

「恋は親切をもって成立す、引力なり。不親切をもって持続す、弾力なり。疑惑は恋の要件なり。」

本質を言い得て、妙なり、でしょう?時々は、素直にメールの返事をださず、うっちゃっておく、というのも、
長続きす、弾力になるんだ・・・・・・でもやっぱり、はやく返事をするほうが、いい?

「己を知らざるもの、詩人を以て最とする。狂人之に次ぐ」
そのとおり、です!みんな「自分のことがわからない」のです。感謝。

日焼け止めを塗って、畑仕事をすると・・もてる?

この季節は「青梅雨」という言葉があるように、まわりに「緑」が多い。
田植え、夏野菜の種まき、畑の草むしり、松の手入れ、梅仕事・・・毎日のようにいろいろな「作業」がある。
近所のおばあちゃんが、「これ食べて」とじゃがいも20個、玉ねぎ20個、サニーレタス、筍を
もってきてくれた。能登暮らし5日目くらいになるけど、まだ一度も買い出しにいっていない。
おかえしに、珈琲豆と、珠洲でいただいてきたトマトジャムで、原始的ぶつぶつ交換。
冷蔵庫の中には、さざえ多数、めばる(ハチメ)2尾、するめいか5尾、津久志鮨の親父にもろうた「熟成させたオコゼ3尾、太刀魚半身」
などが入っている。みないただきもの。昨日の夜は、その津本式血抜き法とやらで、5日目くらいになるオコゼを、蛸引き包丁でさしみにして食べた。
ひらめと間違うくらい、歯ごたえと白身魚どくとくの甘みがある。寿司屋の隣にある数馬酒造の「竹葉」の純米がぐびぐびなきながら、嚥下していく。

今年はスルメイカがよくとれていて、それをたまねぎ、にんじんを刻んでパスタにした。もう一度、リセットして40代かそこらに
もどれたら、「パスタ屋」をやってみようかしら?、と思うくらい、うまいのができた。山海の珍味がこんなに日常茶飯の能登、
ならではの話と、自画自賛めいた、うぬぼれのなせるわざ、ではあるが・・

今朝、釣りをしようと海にいったら風が強く、踵をかえして畑にいき、草むしりをしたり、昨日植えたイチジクの木に水をあげたりした。
百姓の先輩のMからメール。「農業女子がいわく、日焼けどめ塗ると蠏に刺されます。」
いつも、彼とは一行のショートメール。同じ農作業をやっているので、阿吽の呼吸。でも蠏?
ガ、でも、カでも、アブでも、ブヨ・・でもない。
返事に「それなに?」とショートクエッション。すぐに「節足動物。ムカデなど、かに、と呼びます」とのこと。
畑のある小屋にムカデが歩いていたけど、そいつが「カニ」なんて、還暦過ぎた今まで知らなんだ。一時のハジ。

「さつきの畑」というその畑には、さつきがきれいに咲いた。その花を見るのが、大好きなおばあちゃんが、
その畑の隣の畑を耕していた。先々月に、いつものように手押し車で、近くの浜から急な坂をのぼって、畑仕事
をしている時、「このたまねぎを収穫したら、わたし、畑を引退する」とのこと。短い時間だったけど、畑仕事のこと、いろいろ教わった。
85歳。時節柄、ハグはできないので、ギュッと握手した。
「花のあとさき」という映画と、同じようなお話だった。「いつも、さつきの花を見るのが楽しみだったけど、
今年は見れんわ」と寂しそうにいったのが印象的だった。この集落は、日本のどの田舎もそうなように、限界集落
みたいなところ。なにせ、還暦過ぎたぼくが、一番若い(もちろん、筆子さんがいちばん)。
でも「順番」やし、歳とるというのは、敗北でもなければ、負い目に感じることでもない。

家に帰ってきて、「ほぼぶらじる」を入れ、玄関のいすに座って、本箱にあったヘルマン・ヘッセの本を
読んでいた。宗像の実家にあったので、たぶん高校時代に読んだ本だ。その時は「若いがわ」だったばってん、
今日は「年よりがわ」になって、珈琲がこぼれるくらい、頷きながら、人生の妙味を一杯の珈琲に感じた。
人生は後半がだんぜんおもしろくなりそうなメッセージ。蚊やカニや、なんの虫も寄ってこないようなおばあちゃんに
なっても、日焼け止めや、お化粧をして、おしゃれして、いつまでもさつきのような「色香」を持ち続けてほしいものだ。

「若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、私たちのぎこちない歩き方や、
白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことが
あったことを思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年をとってそのような年代を卒業し、
ちょっぴり賢くなり、辛抱強くなったと考えよう」

『人生は成熟するにつれて若くなる』(ヘッセ著)

今年の小梅ちゃんを摘む

昨年もそうだったけど、雨の中で梅仕事。
梅は梅雨の雨にうたれるほど、成長する。今年は雨が少ないので
こころなしか、小ぶりのような気がする。
収穫の60日前までに、一度剪定をする(切り上げ剪定)。
そうすると、和敬静寂というか、枝同志がけんかせず、梅の実
のなり方も調和される。植物と対話していると、自分たちの「今」
と同じ「今」を、共に生きていることを、自然に理解できる。

雨の日は蒸すけど、Tシャツの上から雨がっぱを着て、すずめばちから刺されないように
首のまわりにタオルをまき、ブヨにやられないように、養蜂やさんみたいな網付きの帽子を
かぶって作業をする。もちろん、靴は長靴。日当たりのよい場所の梅から成長するので、
手で感触をたしかめながら、一個一個もいでいく。だから軍手はせずに作業をする。

二時間くらいで、かご一杯(約25k)を収穫し、みんなで昼ごはん。かっぱを脱ぐと、Tシャツがボクシング
をしていたころのように、汗ダク。腹もぺこちゃんだ。
能登発症の合鹿碗(ごうろくわん)というぬり碗に古代米、わかめと自家製トマトサラダ、ごんぼのキンピラ、
朝に小木(おぎ、イカ漁で有名)でとれたスルメイカのマリネ、海藻入りの卵焼き・・・・
都会ではかんがえられない地産地消のまかないごはん。ヨモギ茶の冷えた茶を飲むと、デトックス効果ばつぐん。
〆はいつものように、不肖のむらの「ほぼぶらじる」。
山の「湧き水」で入れる珈琲の味は、ブラジル人も知るよしもない。「生きている水」を飲むと生きている、を実感。

その水を引き入れて、今年から水田も始めた。田植えと梅仕事が同じ6月なので、来年は
うまく時間を配分して、稲作にも挑戦したい、と思っている。
しばらく、閉まっていた「じんのびの湯」で汗を流し、志賀町の家に帰ってきた。

味噌、梅干し、お米を自分たちで作れる、というのは、天下無敵の令和生活に、
なるっちゃないかな?
おいとまするまじかに、しんごちゃんから「のむらさんち、竹ブロイラーにしたら・・?」と
提案があった。かえってネットで検索しながら、「いけるかも!」なんて思った。
中国あたりの文人は、なぜだか竹林の中に住んでいる。うちの近くの里山にも竹がいっぱいある。
「竹林の中でお茶を飲んだり、竹取り翁になったり、ときどきは海でタコをとったり・・」♪タコタコ、タケタケ・・
新しい時代の文人スタイル?

海のとび職

おとなりさんが、「とれた」といって、トビウオを10匹もってきてくれた。
「すぐにさしみにして、残ったら、背開きにして、海水より少し濃いめの水に浸して、干したらいいよ」
とこと。すぎに台所にいき、能登のマキリ包丁で、うろこをとり、鳥の羽のようなヒレのところから頭を落とし、
内臓をとり、腹びれもひねってとり、小さな腹骨もそぎ落とし、さしみにした。
はじめて能登のトビウオを見た。九州で「アゴ」といわれているのと、大きなが違う。(こちらのは、でかい。)
自分でさばいてみて、なるほど、すしのねたになるな、と納得する。
大きくわけて、「 丸トビ」(九州のあご)と角トビ(能登の大きなの。体の形が角型)にわかれる。
背開きにして、梅酢をかけて、ほしたら、ホッケのようだった。

昨日はそれから珠洲の塩や(揚げ浜式)に車でいく。同じ海で採れる海水を、同じような古式の揚げ浜塩田で
つくるのだが、このじいちゃんにかなう味はない。二月の味噌も、今月の梅干しも、このじいちゃんの塩で
仕込む。「一味」というより、まったく異次元の塩。蒸し暑い日ではあったばってん、じいちゃんが汗ダクになって
「ようきた」いって、笑っていた。「あごしこんどるけど、見るや?」というので、「ぜひ」という返事をして、
納屋に連れていってもろうた。夏の暑い最中、あごがきたら、それを釣り、さばいて、金串にさし、七輪よりふたまわり
大きな珠洲の珪藻土のものをつかって、遠赤でアゴを焼いているのだ。
こちらも、汗だくになりながら、昨日まで目の前で泳いでいたアゴが、焼きあごになっていく様子を見学。
塩の作り方と同じく、「手間を手間と思っていない」時間間隔に驚愕、まさに、アゴが落ちるごた感じ。

その後に、能登町まで足を延ばし、「津久司鮨」へ。先月から、「津本式血抜き&神経締め」という、今のレベルでは
一番手間がかかるけど、魚の日持ちレベルが宇宙的な方法でやっている味を確かめにいった。
1時過ぎやったけど、満席だ。主人が「週末は50人くらいくるようになった。」とのこと。
少しまって、カウンターに座り、大盛750円(普通が550円 算数ができないの?とよく聞かれるらしい)を食べる。
「金沢からわざわざきた」というカップルが二組いた。超繁盛店になってきた。離婚祝いにあげた備前の長皿が
大活躍している。おまけに「鯵」を三種。本日、昨日、3日前。「津本・・・式」でやると、鯵の味の変化が著しい・・
この説明は筆舌が及ばないが、ぜひ一度「津久志・・」にいって確かめてほしい。熟成の鮨は土曜日のみ・・
アメックスカードといっしょ?(昔、ジャックニクラスが宣伝で、ドヨノミ(知ってますか?、と宣伝していた)

今日はこれから、梅茶翁で梅仕事。今にも降ってきそうな天気になってきた。

捨てない暮らし

日曜日、蕎麦打ちと満まめの会が終わり、かたずけをして、能登に出発。
クーラーボックスの中には、冷たい蕎麦茶と、アイスコーヒー、無限シードル
、そばかす(がれっとの材料)、そば(お土産用)・・などを入れ、すき間があれば、
野菜や卵や、冷蔵庫の残り物をつめこむ。今回は、梅仕事があるので、二度ほど能登町に
いく予定だけど、いつもは、「コモリー能登」状態なので、なるべく食べ物は、東京の冷蔵庫
のものをもっていく。
今月冷蔵庫を新しくしたので、いつもの動線と違っていて、冷凍したカレーをもってくるのをわすれた。
あまりたいした問題ではないけど、イメージでカレーにタコを入れ、タコカレーをつくるつもりでいたので、
なんとなく悔しい。

高速道路を降り、氷見にはいると、いつもめざす温泉「神代温泉」(こうじろおんせん)に立ち寄る。
そこでひとっぷろ浴びるのが、禊(みそぎ)みたいなもんだ。水道から透明な源泉が湯殿にかけ流し状態
なのだが、不思議としゃばの空気に暮れると濁色する。手前の1mくらいが膝上くらいの浅い風呂で、
そこから先が、おへそくらいの深さになる。「奥は深くなってます」と注意書きがありそうなくらい
な風呂だけど、何も書いていない。くるのはみな常連さんで、我が家の風呂よろしく状態なのだ。
都塵を流す、というより、しゃばでよごれちまったこころまで、浄化されそうな温泉。入浴料500円。

それから車で10分くらいのところにある「すしのや」で鮨ランチ。ランチメニューは、「おまかせ」とか「地魚・・」
とか5種類くらいあってみな限定10食ほど。1000円から1500円前後。開店寿司なんだけど、厨房でふたりの職人さんが
にぎってくれる。
ぼくは三種盛りの中で、いつも110円の「地魚盛り?」、昨日はいわし、トビウオ、鯵を
3皿頼む。(いわしか鯵か、タコかイカか、酒飲む時は、塩辛か卵焼きがあれば充分なのだ)、
お昼どきで混雑していたので、目の前に回ってくる皿の「げそ」とか「いか」なんかを食べながら、
ノンアルコールビールをグビグビ(ノンアルコールはグビグビ鳴らないけど・・)やる。
そして、最後にかんぴょう巻で〆る。だから、ランチセットの人よりも、安く、しかも毎月くるので
「10%引きのおまけ券」をもっているので、びっくりお得なランチ。

それから「どんたく」(能登のスーパー)で、お酒などの買い物をして能登の家に到着。
一日目は、何も料理はせず、そのまま、酒を飲みながら本を読む。
今朝は5時に起き、30分朝まずめの釣りをしていたら、帰りに地元のあまさんに「釣れた?」
と聞かれ、「まだ」と空のビクを見せたら、それを見て笑いながら、ザザエを20匹その中に入れてくれた。
「いきなりステーキ」な栄螺を大漁。いつもこんな風に「能登くらし」が始まる。感謝。

キャンドルナイト

今日は「夏至」。天気がよければ、夕方くらいに、新月と日食が重なって
珍しい現象が見える、と友達がメールで教えてくれた。
何年か前の夏至の前日、全国を旅しながら、手作りのローソクを販売している女性と銀座のギャラリーで
たまたま知り合って、愛で藍色に染めた和ろうそくを買った。夏至の夜の二時間、電気を消してローソクを
つける、という静かな運動が広がっている。「キャンドルナイト」。
この三か月、コモリーよろしく、家で家族と過ごす時間が増え、みんな「これから」のことを、
真面目に哲した。「エコ」とか「もったいない」といいながら、プラスチックのゴミは環境を汚染し、
食材の何割かが、食べずに捨てられていく。そんな矛盾した生活を見直そう、とまじめに考えた人も多いハズ。
今日は夜8時から二時間、家族でローソクを灯しながら、静かに過ごす、というのは如何?

今日は日曜日なので16時で閉店。それから「蕎麦打ち教室」二階では「満まめの会」
まーくんが、仕事の関係で向島から練馬に引っ越しをした。その関係もあり、時間が短くなり、
5人くらいしか見れないけど、いつも満席御礼。
これからいろんな意味で「サバイバルな時代」を迎える。「体」や「健康」がますます重要になってくる。

明日から「能登休み」 卵かけごはんは、二週お休み。
今回は梅仕事が中心なので、草むしりや野良仕事中心になる。そろそろ投げ釣りで、キスが
連れ始める季節だけど、海にいけるかどうか。。?梅茶翁にいって、梅仕事で汗をかき、
近くのマルガージェラートで能登塩ジャラートを食べるのが、楽しみ。
今日の三輪福さんは「天真神楽」で検索したらでてくるけど、オンラインで不思議なライブ。
今年の夏至は、特別な日らしい。

ときどき、山から下りてきた時、そばを手繰りにこられる仙人さんの今日の言葉を紹介。

6月21日夏至の日。大きな分かれ目です。

今年の夏がすべての本番のときです。

今日は数百年に一度の、

特別な夏至です。

もうすでに、大きなエネルギーが降りてきていますね。

今日の、6:45に夏至を迎えました。

さらに15:41に蟹座の新月。

その後、地域によって違いますが、

概ね16時頃から部分月食が始まり、

18時頃に終わります。

6:45分の夏至点

夏至は一年の中で一番日が長くなる、

陽のエネルギーの頂点にある日です。

ここから徐々に日が短くなって陰になっていきます。

この間に、おおきく宇宙エネルギーが開いて、

半端ない力がぼくたちをつきあげています。

新月のすごいエネルギーを感じる。

そうは感じませんか、、、、、、。。。。。。。

このエネルギーを自分の中でいままでどうりの

生き方をして使っていたのでは、使いきれなくて

腐ってしまいます。

そうすると、うつになったり、気が狂ったり、自殺したくなったりします。

いま、思い切り、自分を解放する時です。

いいかげん 自由になりなさい

と宇宙は語りかけているようにつよく、強く感じます。

ふくべ鍛冶

能登に、そんな名前の鍛冶屋さんがある。「ふくべ」とはひょうたん、のこと。
能登の漁師たちは、「マキリ」という道具を必ずもっている。
海で魚を釣り、〆る時に使うし、それで刺身までできる。しけでロープが
もつれたりしたら、それで切ることもできる。陸にあがれば、鉈かわりに
蔦のからまるチャペル、もとい樹木の蔦を切ったり、山菜をとったり・・・アウトドアの万能包丁。
能登に住む、と決めた時、ひとつ注文した。一年待ちだったけど、できた。魚釣りに行く時、トートバックの中に
忍ばせてある。古くから使われている「和鉄」をつかっていて、ものを切った時に「違いがわかる」のだ。

シンコロ影響で「百姓」を始めよう、という人が多くなった。
「のこぎり鎌」と「鍬(くわ)」と「スコップ」が三種の神器。新規の人も、
このみっつは必需品。ふくべ鍛冶には、男性用、女性用があり、また鍬の刃の形状も、
二種類あって、輪島を境にして、丸い刃と平たい刃がある。
人生の途中から百姓を始める人には、「一生もの」なので、できたら、こだわって、
納得のいくものを手に入れるといい。「ふくべ」までいって買うもよい。
女性の場合は「長靴」もお忘れなく。原宿で買う必要はない。日用雑貨のお店で、
お似合いのものを買ってほしい。

今朝はやく、百姓の先輩のMくんからメール。
「能登で梅仕事、草むしりがんばってください。草のまわりは虫や微生物、小宇宙ですね。
蟻と人一緒に感じます」とのこと。
そのとおりなので「蟻がとう!感謝☆」と返信した。トウモロコシの収穫時期なので、毎朝3時
くらいに起きて野良仕事をしているらしい。IT企業の社長だった時と、別人のように元気になられた。

「アナスタシヤ」(ロシアの本)7巻を読んだ。
7巻目に、ロシヤの刑務所で、囚人たちが、ひとり1ヘクタールの土地を与えられ、そこに
独房と、畑、フルーツの木を植える話がでてくる。
アナスタシアを囚人たちは読んでいて、どこでもやるような木工ではなく、大地と対話しながら、
楽園を築いていく、そんなお話。絵空事のような話だけど、老後にいくらあっても足りないような不安の中で
人生をおくっていくよりも、大事なことだと思う。畑を耕さないで終わる人生を「不耕の人生」という。
ある囚人が、種のことを語るところがある。

「種は絶対水に浸けてはいけません。特に塩素の含まれる水や一度沸かした水などの、必須バクテリア
がすべて殺されてしまった水に浸けてはいけないのです。自分自身の唾液に種が浸かるようにして、自分の
情報を十分に与えなければいけません。人間の口の中、つまり唾液中の人体特有の温度である36度によって、
種は9分後に休眠から目を覚まし、すべきことを理解します。誰のために実をつけるべきなのか。
もしその人に何かで腫物や具合の悪いところがあれば、種は正常に戻させるような実をならせようと頑張るのです」

世界中がとまって、東京も空気がきれいになり、鳥の声もよく聞こえるようになった。
みんな自然によりそうような、本来人間が生きてきたような生活にもどろうとしている。
畑を耕し、種や苗木を植え、もしくはまわりに、フルーツの若木を植え、四季折々の旬を楽しむ。
罪を犯し、なにももたずに収容された囚人が悟るまでもなく、物質的なゆたかさではない、
本来もっている内面の「ゆたかさ」みたいなものに、気づきはじめたみたいだ。

「花のあとさき」のムツばあさんが、落ち葉を拾って土をつくってるシーンが泣ける。
他府県をまたいで、移動するのもOK牧場になったけど、まず銀座のシネスイッチ銀座(和光のうら 煉瓦亭の通り)
で、この映画を見てほしい。
8月には「もったいないキッチン」も放映される。今日の天声人語に「もったいない」の話がでていた。
「おもてなし」「もったいない」・・・きょうびの政治家よろしく、美しい言葉を一言いって印象つける風潮があるけど、
有名無実というか、中身がともなっていないものが「おーい にっぽん」だ。

銀ブラに花が咲く

水曜日に、シネスイッチ銀座にいって、「花のあとさき」を観た。
ほんとうは前の週に観に行く予定だったのが、冷蔵庫の調子が悪くなり、
新しい冷蔵庫を買い、それを新旧交換させるのが、想像以上に大変で
2日を要した。文明の利器に頼りすぎる生活を反省。

「花のあとさき」も5月から放映の予定だったのが、シンコロ騒ぎで、6月からとあいなった。
18年にわたって、NHKが記録したドキュメンタリー映画で、ちょうど、シンコロ新時代の今、見ごろ
というか、いろいろ考えさせられる映画だった。家族で観られる、といいね。マスクと別に涙ふくハンカチが必要。
自粛が晴れた、とはいえ、まだ、銀ブラするような陽気
な気分になれず、4丁目の交差点の人もまばらで、デパートやお店の店員さんたちも、機動隊がするような
フェイスなんじゃらをかぶりながらお客さんと接しておられる。映画館も、椅子をひとつまたぎながら、半分で満席
の状態でソーシャルディスタンス、とかいうのを守っての上映だ。

少し時間があったので、煉瓦亭にいって、チキンカツレツをつまみにビールを飲む。(この店にくると、そのオーダーしか頼んだことがない)
壁に歌舞伎のポスターが貼ってあるけど、しばらく歌舞伎座も緞帳が下がったままで、橋之助(今もそう?芝翫か)の顔がオモヤツレしているように見えた。

映画が終わった後に、銀ブラ・・・
まつやの7階の福光屋さんのカフェ?にいって、福光屋の日本酒を飲む。石川の酒蔵さん。
器が展示されている一角にあるので、銀座に来るときは、必ず器をチラミしながら、カフェのカウンターで
お酒3種盛りを頼む。陶芸家で「これからどんな器をつくろうかしら?」なんて悩んでいたら、そこで酒飲むと、
アイデアが浮かんでくる、かもなんばん?とくに酒器は、酒を飲みながら上から降りてくるのを待つ、にかぎる。

「花のあとさき」・・・ムツばあさんの歩いた道。
秩父の山間の限界集落みたいなところで暮らす老夫婦が、畑ができなくなり、そのまま
放置するには忍びないと、そこに花を手向け、自分たちの終わり支度と歩調をあわせるように、自然に戻していく、という
そんなお話。プロデューサの伊藤さんが、うちの常連さんの弟さんであったという偶然から、お店にきていただいたこともあり、
この映画のことを知った。こんな時期なので、「みてみて」と声高に叫べないけど、九州弁でいう、「おらぼーごたる」(叫びたくなる)

秩父には、よく蕎麦を手繰りにいく。「両神温泉」でひとっぷろ浴び、それから山奥にある蕎麦屋で
「武甲」を飲みながら、蕎麦を手繰る。そのお店に、おばあちゃんが蕎麦を打っている白黒の写真がある。
なぜだか、そのおばあちゃんの写真が好きで、それを見に、わざわざいく、という感じ。
映画の中で、ムツばあちゃんが、うどんを打つシーンがある。そばやうどんを打つ、というのは、花嫁修業やったんだね。
花嫁になる前から「床上手」っていう子はあまたいるけど、「麺上手」っていう子は少なくなった。
「厨房の技術」よりも「閨房の技術」のほうが、大事な時代?

家庭菜園に「隕石水」

長引く自粛生活、巣ごもり生活で、家でごはんを食べる人や、家庭菜園をプランター
などでする人が増えたらしい。近くのオリンピックにのコーナーでも、腐葉土のような土や
夏野菜の種や苗が売れているそうだ。
飛行機が飛ばなくなったり、車が走らなくなったりして、東京の空気もこころなしかきれいになり、
鳥のさえずりなんかもよくきかれるようになった。

先週は、文庫ちゃんが、「屋上で蒔いた大根の葉っぱを間引きしました」といって、間引きした葉っぱを
土産にもらった。お返しに、うちのプランターになっていた小松菜の種をあげたら、昨日りっぱな
小松菜をもってきてくれた。「もうできたんか?」と冗談でいったら、「はい。隕石水でつくっているので!」といって笑ってる。

その前に、銀座の「隕石直売所」の王子が、「隕石水でつくったイチゴです」と、朝摘みの自然農(宇宙農?)
のイチゴをもってきてくれた。霞ヶ浦の農家産。種を蒔く時、その種を舌の下の唾液につけ、裸足で蒔く土の上に建ち、星(空)に
向かって「元気に育ちますように」とお祈りすると、星が願いを叶えてくれ、その人のために病気にならないような野菜
ができる、と「アナスタシア」という本に書いてあった。ときどき、王子が摘んでもってきてくれるイチゴは、
市販のそれとは別物の「自然な味」がする。お返しに久保さんの黄瀬戸の六角盃をあげた。(最近、久保さんの酒器にはまっている様子)
文庫ちゃんに、小松菜のお返しにお裾分けした。ら、10分後にお酒一升瓶をもってきた。
「原始的ぶつぶつ交換」のスパイラルラッシュ。家庭菜園に夢中の彼に、「うめ星」のちっこいのをあげた。
きっと、それをペットボトルに入れ、屋上にためた雨水を移し替え、それをまた野菜たちにシャワーさせ、できあがった成果物が
天真庵にやってくるだろう。「星はなんでも知っている」・・だ!

来週は能登で「梅仕事」。飛行機が飛んでないので、梅林ガールズたちの遠征は中止になったが、車を走らせ、
ふたりは参加してくれる。ロンドンからやってきて、かえれなくなった家族が売茶翁に居候しているので、
だいたいいつもの人数は集まった感じかな。
ときどき書くけど、能登の羽咋(はくい)は、UFOと自然農で村おこしをした。

シンコロの影響だろうか?そばの注文の半分近くが「梅おろしそば」だ。
京都の蕎麦屋さんなんかでは、夏の人気商品だが、東京でだす店は少ない。
そんなこともあって、昨年つくった梅干しが、なくなりそうな気配。ほんとうは7月から「能登そばUFO」
といって、義馬藻と梅をつかった冷たいそばをやる予定だったけど、この夏は中止。
かわりに、ギョギョ?という新メニューを頭の中に描いている。

お米と味噌と梅干しを、少し多めに貯蔵し、できたら梅干しをつくる時にできる梅酢で漬物をつくったり、
お米を自分ちで精米して、できた糠で「ぬか漬け」をやったりすると、貯金が増えるより、ゆたかさの貯金ができる。
ひとり10万円の給付金がきたら、その一部で、家庭菜園のものを買ったり、ぬか漬け用の樽を買ったり、
鍬や如雨露(じょうろ)なんかを買ったりすると、「未来の貯金」ができるのではないだろうか?
アメリカで最近公表されたUFOがたくさんやってきても、シンコロ時代が長く続いても、こわくない。
売り上げが半減して、「持続なんやら給付金」がでたら、今の仕事が「持続可能かどうか..」をよく考えて、
もしもNOだと思ったら、「違う道」にお金を使う、という選択肢もある。
一億人がみな大きな分水嶺にたっているような暑い夏。今日と同じ明日がずっと続くようなつまらない人生
とは違った意味で、「うきうき」する。感謝。