メサイヤ・コンプレックス

ドッペルゲンガー的な「まわりに自分にそっくりさんが二人いる」
ということを昨日書いた。
ちょっと「ジコマ」な感じもするけど、若いころ髪がまだふさふさだったころ
「草刈正雄」に似ている、とよくいわれた。大学の友達たちはぼくのことを
「イネカリ マッサオ」と呼んだ。彼も小倉生まれで、小倉の井筒屋デパートでスカウトされ、
資生堂のCMで大ブレイクをした。最近は大河ドラマや朝ドラで、いぶし銀のような人間味あふれる
演技をしている。一度偶然、新宿の酒場でお会いしたことがある。ぼくよりちょっといい男やった(笑)
最近は「軽トラ」のCMが話題だそうだ。田舎暮らしでは、ベンツやBMWよりも重宝な車である。

若くして死んだ米倉くんも草刈さんも、いわゆる「ハーフ」だ。九州人は、大陸からきた人、南の国から椰子の種の
ように漂いながらきた人・・・旅をし、さまよい、たどりついたようなDNAが織り交ざったような人が多い。

仕事がら?(飲食の仕事をする人、喫茶店の主人、飲み屋の女将さん、スナック(バーの)ママさんたち)は
みなヒーラーだと思っている。芸術家たちも同じような人種で、いわゆるスピリチャルな人が多い・・
なので自然とまわりに似たような人が、類ともよろしくあまた集まってくる。
時代的には、渾沌とし、そうゆうたぐいの人たちが大活躍する時代を迎えているはずだが、シンコロさんの
計らいなのか、飲食店や芸術家たちは、生きにくい時代を迎えているように思う。
個人的な意見だけど、「料理研究家」とかと同じように、「いったもんがち」の跋扈する時代であった
のが、「ほんもの」を求める時代に変わったのかも知れない。ヒーローもヒーラーも「ほんもの」しか
残らない。

臨床心理学では、「メサイヤ・コンプレックッス」という言葉がある。
メサイヤとはメシヤ、つまり救世主。
「自殺未遂をするほど悩んでいる人が、悩んでいる他人を救いたがる」というコンプレックス現象。
自分は劣った人間だという気持ちと、自分は人を救える優れた人間だという気持ちが入り混じっているコンプレックス。
劣等感と優越感は紙一重でもある、ということか。
人は「ほめられる」ことで、能力が10のところを12にもっていくことができるし、それを仕事にすることができる。

シンコロさんが静かになった次の世界は、「これまで」とは違った世界になると思う。
ようは、「救われるべき人間は他人なのか?それとも自分なのか?」という問いではなかろうか?
大変な時代を迎えているけど、「自分らしく生きる」以外にない。
今朝、少し荒れた能登の海で「蛸すかし」をやりながら、そんなことを思った。
ぼくもよくスピライフ人間に思われてるふしもあるけど、これからは「タコライフ」をもっと
充実させたいと思っている。         感謝。