ドッペルゲンガー

月曜日に、おしゃれな自転車にのった人が、蕎麦を手繰りにきた。
ときどき山から下りて、東京に来るときに蕎麦を手繰りにくるヨガの聖者のお弟子様。
「こないだの満月の日から、世の中すっかり変わってしまいましたね」という。
ほんとうにそんな気がしたので、「ほんとうですね」と答えた。

自転車のロゴを読むと、「Doppelgänger」となっていた。「ドイツの自転車ですか?」
と聞くと、「日本のです」という。「時々自転車で銀座のオフィスにいって、帰りはタクシーにのせられるので・・」
といって笑った。能登で自転車を買いたいと思っていた。「釣りにいって、「大物」が釣れた時、電話して車で迎えに・・どう?」
と筆子さんに聞いたら、却下された。釣りはともかく、能登路を自転車でこいでいて、パンクした時のことを考えると、自分でも
却下しまくりである。やはりパンク修理を自分でできるようになって、それなりのものを買うとするか。

ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger)とは、自分の分身?の姿を見る幻覚みたいなもん。「世の中に3人いる」、といわれる自分のそっくりさんのことを表わしたり。第2の自我、 生霊の類だともいわれる。シンクロニシティーのようなものでもあり、映画にもなったりした。

ぼくにもドッペルゲンガーなよく似た男が身近にふたりいる。ひとりはいなくなったけど・・
映画監督や、衆議院議員や、多士済々な人がいる「九州気骨の会」というのがあった。赤坂の「有薫」という九州料理の店で集まり、
梯子酒の途中にボーリングやバッティングセンターに寄り道をし、最後は池袋の朝までやっている「餃子楼」で〆のビール・・
というとてつもなく大寅の集まる会だった。そのおかげで、幹事や発起人たちが50の坂あたりで、鬼籍に入ることが続き、
自然に解散した。その中に共同通信の記者だった「米倉くん」というのがいた。博多出身でひとつ後輩だった。彼とは東京
や博多でよく飲んだけど、どこにいっても兄弟と間違えられた。48歳の時に旅立った。
その会には一度しかこなかったけど、ソフトバンクの後輩で沖縄出身のKがいた。こいつもどこに飲みにいっても
兄弟と間違えられた。沖縄人にしては酒量が普通で、ぼくらのペースで飲むと、酩酊し、無意識に裸になる、という癖(へき)があった。
昔はどこの職場でもいとりふたりいたと思う。

一度、池袋の天真庵の南條先生の個展中にKとIT時代の仲間たちがきて宴会をしたことがある。やはりKが佳境を
迎え、服を脱ぎはじめた。ズボンをおろし、パンツを脱いだ時、酔った勢いで隣にいた男が、ぼくのカメラで
その素っ頓狂な姿を撮った。それを近くのフォトショップにだした時、できあがった写真を渡す時に、写真仲間の
ひとりだった女主人が、吹き出すようにニヤッと笑った。ぼくとKの区別がつかず、変なことを想像しているのだ。
言い訳するのもめんどうなので、その話の詳細な顛末はいわずにおいた。

そんなことを思い出しながら、夕方卵焼きを焼いた。朝の「卵かけごはん」用に八郷から届いた
平飼いの卵。無農薬で育てる野菜をついばみ、平飼いにされ、♂もいっしょに住んでいて、ときどきエッチ
もできる・・・そんな自由な生活空間で生まれる卵の黄身は、薄い黄色。反対にブロイラーのように工場のような
ところでできるのは、いろんなケミカル餌をくわせて、「濃い黄色」になったりしている。なぜだか最近の人
たちは、この濃いのがおいしい、と洗脳させられたいる。
能登へ出発する日なので、プランターに水をやるために、如雨露をとりにベランダにいった。
「能登の畑も大根の花が咲き、黄色い蝶たちが舞っているのだろう」なんて思っていたら、
店の前に黄色いワンピースをきた女性が通りすぎていった。このへんではみかけないきれいな人で
まるで、精霊のような風情があった。これもまたドッペルゲンガーという現象なのか。 
6時に店を閉めて、能登へ出発。 感謝。