令和の大掃除・・・

さきの「平成」というのは、世界中が大掃除されて、「平たく成る」という
ような意味が含まれていた。それまでの行き過ぎた資本主義で貧富の差は広がるし、
地球の環境も悪くなる一方で、人のこころもささくれだち、人心は荒廃し、
「このままでいいの?」と思っていたら、災害や天変地異も矢継ぎ早で、「神様がおこっているようだ」
と思っていたら、令和になって「シンコロさま」が現れて、世界を瞬く間に「とめた」。

この流れからいくと、「おこっていた神様」が「今ここ」の世界をつくったのかもの知れない。
つまり「感染(シンコロを含め、これからやってくるシンシンコロ、シンシンシンコロ・・・はみな神様かも」。

犬を飼っている人は「そうだ」と思うけど、「この星で神様が見えるのは、犬だけだ」と思っていた。
彼らは、飼い主を「神様」だと思っている。
結婚する前までは、男はみなその女の人をある意味「神様」だと勘違いしているけど・・・
結婚して「かみさん」になると、まったく別なものになる。逆もまたしかりだけど。

まわりくどい言い方だけど、この人類がこの星に生まれてから、今はじめて「神様」の存在
がわかったのかも知れない。
「平成」で予言されていたことが、令和になって、一瞬しかも世界的に「平たく成った」ような感じがする。
みんな、これまでの「忙しすぎる」毎日の中で、できなかった掃除や家族と対話や、ちゃんとした食事や、
珈琲を飲みながら音楽を楽しんだり・・・・ゆっくりと過ごしているようだ。(子供たちは、少し退屈ぎみだけど)

近くの家から「粗大ごみにするにはもったいなくて・・」といって、古い裁縫道具箱と溜塗(ためぬり)の茶櫃(ちゃびつ)
をもらった。近所で小さな印刷工場を営む40代のきれいな女社長が、「社員とゆっくりお茶を飲む幸せな時間をとりもどしました」
といった。「よかったら、社員さんのお湯のみ、急須をこれにいれて」といったら、喜んでもっていかれた。中に常滑(とこなめ)の急須も入っていた。
社員思いのやさしさがにじみでている。急須のない家が多いらしい。ましていわんや、会社に茶櫃や急須なんてあるはずもない。
「無用の用」ではないけど、「お茶のある暮らし(会社)」を、この機会にぜひ取り戻してほしい。さきの「スペイン風邪」の時、
日本人(韓国も)も死者が少なかった。「お茶が日常茶飯だった」ことと「味噌汁」の実に「海藻」が日常だったこと、が要因といわれている。
お茶請けには、のりがまいた煎餅など如何?

昨日は、やまね組の組長が「リチャード・スルツマン」のCDをもってきてくれた。「整理していて、だぶっていたんで」
という。とても情緒的なクラリネットで、令和の新しい空気感にぴったり。
お貸ししていた本のお礼も兼ねて、ということも。古本屋カフェのおやじになった気分で、しばらくクラリネットの音の
中で幸せな気分を味わった。感謝。