花は野にあるように・・

千利の言葉。「あるがまま」のこころを今に伝える。

朝、百姓の師匠からショートメール。
「大根、スイカ、はちゃんと種をとっておいて、未来の命とつなげてください」とのこと。
市販されている「種」は、いつのまにか、いろいろな種と交配され、遺伝子が組み替えられ
たりして、一代限りの「エフワン種」というのが幅をきかせている。在来種がすべていいわけでは
ないが、その土地にあったものが、その土地で元気に生きようとし、子供の種、孫の種まで
しっかり受け継ぐと、その土地にあった「命」がそこで育ってくる、らしい。

午後、石岡の「暮らしの実験室 やさと農場」から、元気な野菜と卵が届いた。
今回は「そら豆」が豊作だったようで、いっぱいおくられてきた。
さっそく、なべにお湯をわかし、皮をむいて、入れる。湯上り美人のような豆を
口でほうばりながら飲むビールのうまいこと。半分は、梅肉とあえて食べよう・・
といつもは思う。でも今年はなんだか「梅おろしそば」が大人気で、来月の能登梅の
収穫までは、自家用に使う余裕がなくなったので、がまん、にあいなった。
でも新鮮な野菜は、「野にあるように」に限りなく近い状態で食べるほうがよろし。

今朝の朝日新聞の一面、天声人語の上のコラム「折々のことば」
に、辰巳芳子さんの言葉が紹介されていた。

「三つ葉は生でも食べられる。三つ葉は生でも・・・」と、おまじない
にように唱えながら、塩を入れ熱湯で茹でます。(お肴(さかな)春秋)

花と同じように、自然の中でどうやって生きていたか、にふれると、おのずから
「野にあるように」に近づいてくる。花も野菜も同じだ。さすが辰巳先生、千利休と同じレベルだ。

夕方、能登の三輪福さんからメール。羽の付け根にケガをしたトンビが、庭に降りてきた、
とのこと。どのような手当をしたらいいか・・・という質問。
今月お邪魔した時、「ごま油に百足(むかで)を漬けていた」。昔から田舎ではそうやって
「田舎の赤チン」みたいなんをつくっていた。
たぶん、それを傷にぬって、まわりの田圃のおたまじゃくし(もうカエルになったか?)とか、ミミズ
や、魚肉を食べさせてやると元気になって、また能登の里山にもどれるのではなかろうか。
傷ついて、いく病院もないトンビが、梅茶翁を訪ねてくる、ものがたり、が素敵だ。

茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ  利休

今日は日曜日なので16時閉店。二階は「満まめの会」  16時からは「蕎麦打ち教室」

明日の朝は「卵かけごはん」 暮らしの実験室の卵を卵かけごはんにすると、野にあるような滋味がする。感謝。

一番いい季節 一番いい人が生まれる季節

春から夏にかけての数か月がいい。
とくに今年は、巣ごもり自粛生活を余儀なくされ、やっと開放的な季節になった。
お店の前の矢羽薄(やばねすすき)も元気な若葉をたたえ、春の風にそよいでいる。
プランターの茗荷(めうが)も、透明感のある若葉が織部色に輝き、つい足元に
芽がでないかと👀がいく季節。

子供のころは、こんな季節は近くの皿倉山(さらくらやま)に登り、黄緑色の若葉にまじって、真っ赤な芽吹きの虎杖(いたどり)
なんかを摘んで食べたり、近くの川でうなぎやあゆをとったりして遊んだ。
北九州人にとって、皿倉山はこころの原風景。わずか622mくらいの山だが、遠足というより、
日常茶飯のように、スキップしながら山に登った。今は感染の第二波で毎日ニュースになっているけど、
はやく終息して、小倉祇園太鼓や、戸畑の提灯山笠や、黒崎のファンキーな山笠を見たいものだ。

「1年の中で、こんないい日は3日とない」というような1日がありそなこんな季節に、いい人が生まれるのだろう。
ひさしぶりに、真民さんの「一番いい人」を思い出す。感謝。

「一番いい人」

何も知らない人が
一番いい
知っても忘れてしまった人が
一番いい

禅の話もいらぬ
念仏の話もいらぬ
ただお茶を飲みながら
鳥の声を聞いたり
行く雲を仰いだり
花の話などして帰ってゆく人が
一番いい

別れたあとがさわやかで
過ぎた時間が
少しも惜しくない人が
一番いい

銀座で稲作り

昨年、押上から銀座に「隕石直売所」なるお店を引っ越した王子
から、はやめのお歳暮が届いた。「空也モナカ」。120年の老舗で、
夏目漱石の小説にも登場する。
自粛もとけ、久しぶりに銀ブラをするか、と、お返しに久保さんの
織部の六角盃をポケットにいれて一ケ月ぶりに電車にのって、東銀座で
降りる。まだ閉まっているけど、歌舞伎座の出口から、テクテク歩いていく。

先週まではゴーストタウンみたいだった町に、人が半分ほどだけどもどってきた、かんじ。
ときどき女将が蕎麦を手繰りにくる「銀の塔」も少しお客さんがもどってきた。
歌舞伎座が始まれば、役者やファンでまたにぎわいをとりもどせればいい、なんて
思いながら、「隕石直売所」へ。王子が一階の通路においた花に如雨露で水をあげている。
なんやらコロコロと音がする。隕石が中に入っているのだ。天真庵のお店の前の
木賊(とくさ)やツワブキやしゃがたちも、同じように如雨露に「うめ星」を入れて
かけてあげる。月に10日くらい留守にするけど、すこぶる元気だ。

「これ稲です」と王子。「銀座で稲・・?」というと、「鎌倉に家を見つけ、
敷地も広いので、農業をやろうと思って・・」とのこと。
銀座に店をかまえ、近くのマンションで暮らしていたけど、このシンコロ時代の
新しいスタイルを考え、「終末は鎌倉で農業」というデュアルライフにシフトするらしい。
テレワークが浸透し、第二波がきたりしたら「東京にいる必要がないんじゃない?」
から「東京から離れて生活する」というような流れは加速するに違いない。

お店はまだ自粛中で、ネット販売中心だけど、さすがに「銀座の新しい老舗?」
四方山話をしてる最中でも、電話がなり、注文に対応している。大きな声では
いえないけど、うちにも少なくない発注をいただいた。
「骨董屋めぐり、いっしょにいってもいいですか?」というので、その後、ふたりで銀ブラ
・・・ショッピングモールの中に入っているようなお店は、モールそのものがまだ自粛中なので、
「銀座骨董めぐり・初心者コース」は、「また次回ね」ということにあいなった。

そのまま有楽町で山手線にのり、秋葉乗り換えで錦糸町で降り、ブックオフで
本を探していたら、おかまのMくんからメール。
「猿田彦の掛け軸を買ったら、なかなかいいので、15万で買ってくれない~」
とのこと。「20分後にもどるので、見せて」
と返し、しばらくして、チャリンコにのったMがやってきた。
カウンターの上に鎮座する三番叟(さんばそう)の猿の置物も、Mくんが
ネットで注文して買ったものだ。最近はそれに「隕石入りの勾玉」をかけ、手には
宗像大社の稲穂のお守りを持たしてある。不思議な「お猿さんの神棚?」
そこにまた「猿田彦の掛け軸」・・・そのうち猿回しでも連れてきそうな勢い。

火曜日の閉店間際、「梅林ガールズ」のMちゃん(この人はおかまではない。)が、
一か月ぶりにきて「そばがきぜんざい」を食べた。すると煎茶仲間のMさん(洗い張り屋の女将)
がきて「一杯つきあって」ということになり、3月にインドにいった話などを聞きながら談論風発。
世間ではオンライン飲み会なるものが流行っているらしいが、やっぱり酒は、徳利持つ手が届く
距離がいい。

酒飲みを左党(さとう)という。大工は鑿(のみ)を左手、トンカチを右手に持って仕事をする。
鑿と「飲み」をかけて、そうゆう風にいわれるようになった。徳利も「徳ある人が利かせる」
つまり、お金がなくても「おごるよ」と声をかけられるような徳ある人は、上手なタイミングで徳利の
首をもって、「どうぞ」と注げる人。つまりは「気が利く」という人が好かれる、ということでもある。

どうせオンラインでやるなら、キャバクラ店の人たちが苦肉の策ではじめた「チャットレディー」たちがやっているライブチャット
のほうが格段おもしろそうだ。感謝。

自然農という生き方

川口由一さんの名著に「自然農という生き方」という本がある。
能登の羽咋(はくい)といういうところは、「UFO」と「自然農」で
町おこしをした。氷見の神代(こうじろ)温泉につかり、能登の入り口あたりに神子原村(みこはらむら)
という集落があり、そこの集落の人たちで経営している「直売所」は、自然農でつくったお米や野菜や
野でとれた山菜などが並んでいて、いつも立ち寄ってから、能登の天真庵にいく。

能登で知り合ったご夫婦で自然農という生き方そのもののご夫婦がいる。「自然農ガットポンポコ」
で検索すると、彼らの生き方が紹介されている。梅茶翁のペチカプリジェクトの力強いスケットでもある。

その直売所には、コロッケが都会のコンビニのような感じで売られている。オミヤにできないけど、
都会の人に食べてもらいたい味だ。「土を喰らう」そのものの滋味。
自然農というのは、基本的に、「耕さない、農薬・肥料を使わない。虫や草を敵としない」で、最近
都会から移住する人たちにが関心をよせている。彼らと縁のある人たちのカフェとかにいくと、本箱の中に
「自然農という生き方」が置いてあったり、「誰でも簡単にできる!川口由一の自然農教室」という雑誌が
必ずといっていいほど、置いてある。だから、サラダがでてきても、カレーを注文しても、野菜の味が、野生の味なのだ。
これまでは「効率」とか「お金」とかが優先するような世の中だったけど、これからは、「手間暇かけても・・」
のものつくりや食に注目が集まっていくのではなかろうかしらん。似て非なる筆舌を超えた領域の世界に
ぜひみんなでいってみたいものだ。日本の「今」は、いろいろ危機的だけど、このあたりに「チャンス」
があるように思う。

能登の畑には、辛味大根と、大豆、九条ネギなどを育てている。
辛味大根は、昨年は8月くらいから二度連作して成功した。今年は暑いので、先月に種を
蒔いたら、今月大根の花が咲き、蝶々が乱舞していた。でも大根はできていない。
畑のまわりには、柿の木と栗の木が2本づつある。二年前からその周りの草を秋に刈り、土の上にねかせ、
「土」をつくりながら、その上に、土を耕さずに、辛味大根の種を先月蒔いた。なんと、不耕の土地に
蒔いた種が同じように、花を咲かせた。もちろん、大根はできていないけど、「自然農という生き方」
に一歩近づいてきた喜びがあった。

その畑は、里山に続く畑で、30年近く耕作放棄地だった。こんな場所に畑を作るのは、いっけん大変
なように思えるけど、自然農という観点からいうと、ほったらかしの年月が長いほどいい土地らしい。
昨年は、いのししくんが、畑を耕すのを手伝ってくれた。農薬をまかない土には、みみずが多くいて、
それを目当てに、畑仕事を手伝ってくれた。
ときどき天真庵にくるヨガのじいちゃんの話によると、「ちゃんと動物たちと、共存する気持ちが
あると、被害にあわない」らしい。そこには「祈り」があり、「豊かな実り」があるそうだ。

柿の木も、鳥が食べるぶんを残してあげると、収穫時に鳥の被害を受けない。
「また、そんなスピライフ的な・・・」と都会の人は疑い深いけど、ほんとうに、それが「天地自然の理」
というもんだ。
たった10坪くらいの畑に、そんな宇宙レベルの真理を教わっている。
月に10日しか畑仕事をしないし、雑草もそのまま、肥料も水もあげないけど、今のところ
うまくいっている。畑の端っこに、甕(かめ)をおいてあり、雨水をためている。その中には
「うめ星」を一個いれている。それと今月から「パラダイス酵母」を薄めて、畑にかけた。
来月は「梅仕事」が忙しく、畑はほったらかし(いつもだけど)・・・いろいろ新しいチャレンジと
プログラムを用意していて、内心はワクワクしている。

青山翁の「福」ではないけど、「田圃でとれた収穫物を神棚に供える」というのが「福」だ。
それを、生きとし生ける仲間たちと、いっしょになってこの星で共存する、という「祈り」
が加わると、天下無敵、鬼に金棒、田んぼの収穫祭の時に男のモチモノも金棒になり「寿」になる。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

なんとなく緊急事態宣言が解除され、「もとにもどる」ような雰囲気
がでてきたけど、世の中はある意味、いい方向に変わってしまった、そんな気もする。

昨日の朝、十間橋通りを明治通りのほうに向かって散歩していると、おかまのMくん
の家のドアが開いていたので、「おはよ」と声をかけた。2007年に天真庵ができ、
翌年2008年に、そこに引っ越して、古本屋カフェを準備中。彼が紹介してくれた縁で、
「お花の教室」ができたし、予言したように「梅の本」を貸してくれてから、お弟子さま夫婦が
能登の梅林付きの家に移住し、「梅林ガールズ」が結成され、その流れで、ぼくらも半分能登で
暮らすようになった。

一階のカフェにする予定だった(この建物がこの秋、取り壊される)ところに、何千冊かの本とか
掛け軸なんかが置いてあり、傍らに檜のテーブルと椅子が置いてある。池袋時代にうちにあったものを
受け継いでもらったものだ。冷蔵庫もあげたけど、「オフグリッド」(電気・ガスなどを極力使わない生活)
の先駆者のような生活をされているので、一度もコンセントに差し込んでいない。

古本屋のオヤジよろしく、「茶事」の本と、「一茎有情」という、宇佐美英治(詩人)と志村ふくみ(染色家)の
本を、重ねて倒れそうな本の中から抜き出し、「前からさしあげようと思っていた」といって、くれた。
その本の下に「自休自足」という雑誌があった。表参道に煎茶のお稽古にいく時、近くの青山ブックセンターで
よく買った本。今は「ターンズ」という名前に変わった。
創刊五周年号(2008年)創刊号とその五周年号には、「つばたしゅういち・英子さんの暮らし」が紹介されて
いたのを思い出し、「これちょうだい」といって、ふたりでその本を抜こうとしたら、その本の山が
がけくずれをおこした。

「つばたしゅういち・英子」さんの暮らしは、その後「人生フルーツ」になったし、本も
たくさんでて、田舎暮らしや、老後の暮らしを考えている人たちの「バイブル」になりつつある。

今回のシンコロのおかげで、「家族のありかた」「住みたいところ」「今後の人生」・・・
いろいろなことを考えたと思う。縁があったら「人生フルーツ」の映画の中に、いっぱいヒント
が見え隠れする。その5周年記念の「もう一度、自休自足な人々を訪ねて」という文章を紹介する。
シンコロ明けの今にピンとくるようなメッセージだ。

「私たちは生きています。
だから、今生きている以上
私たちの毎日の暮らしは心地よくなければいけません。
私たちは自然の中で暮らしたいと思います。
忙しすぎる世の中だから
もっとゆっくり暮らしたいと思います。

太陽の光を浴び、土と戯れ、種をまき
育て、収穫して食べる。
森の匂いをかぐ。海の風を感じる。
そんな毎日をおくりたいのです。
そんな生活こそが人間本来の生活だと思うのです。」

本といっしょに、軸をひとつくれ「これ能登の天真庵に飾って」とくれた。
「趙陶斎」という煎茶人あこがれの翁の一行書だ。
ついにこの街で、素敵な古本屋カフェがオープンすることはなかったけど、
欠かせない存在であった。明治通りの「旧邸」というシャアハウスの横に、
道場のようなものができ、琉球畳の部屋に、屏風が飾ってある。その屏風も
Mのコレクション。なかなかいい感じに飾ってある。押上文庫のカウンターの
上の額も、そうだ。感謝。

テレビ電話

先日、筆子さんのスマホにラインが着信した時の音が、ピコンとなった。
「あ~ お母さん・・・」と、おらんでいる。
福岡の88歳になる母が、「練習したら、できたけん、かけてみた」とのこと。
LINE(ライン)のビデオ通話ができるようになった、らしい。
どこの高齢者施設も、感染予防のために、身内でさえ面会できない状況が続いている。
そんな中で、はらかく(腹をたてることもなく)こともなく、施設の若いスタッフを
たぶらかし?(設定とかを手伝ってもらったらしい)新しい武器を手にしたらしい。

夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」をZOOMで30分。
シンコロさんが世界中をまたたくまに止め、これまでの経済や生活を新しい世界へ誘っている。
明日あたり東京の自粛が解除される見通しだが、「生き方」とか「価値観」とかが、
これまでとまるっきし違う次元になりそうだ。「もとにもどる」と思ってるような人は
ついていけへんちゃうかな。ぼくなんかとおくに脱落組だ~

こないだ錦糸町をブラブラしていたら、ホームレスの新人さんみたいな人がスマホをやっていた。時代だ。充電どうする?
ぼくはあいかわらず、ガラケーでお店の代表電話もその電話番号だ。テレビの取材も、HPの更新依頼
なんかも短いショートメールでこなしている。そろそろスマホにかえたら、と筆子さんにもいわれるばってん、
毎朝散歩をする時、じゃり銭入れのがま口の小さいのをポケットにいれとくだけで、作務衣のズボンが
ズレ落ちそうなのに、そこにスマホを入れたら、いつもパンツ見せながら町を徘徊せなあかんことになるし、
電車の中や散歩しながら、指動かす仲間になるのを、どうも生理がうけつけない。ガラケーがなくなったら、
糸電話でもいい、とひそかに思っている。

天真庵のHPに「のむらくらし」というのがある。
梅茶翁の5月の梅林の写真がアップされた。いつも、かすみちゃんや三輪福さんや筆子さんたちが、スマホで
とったぼくのPCにおくってくれ、それを熊本の友達におくってアップしてもらっている。
「藤の花を掛花にいけた写真」も三輪福さんが遊びにきたときにスマホのカメラで撮っておくってくれた。
ベンガラの床の間、頭山満翁の掛け軸、久保さんの焼き締めの掛花・・・なかなかいい感じ。
(これを、自分で生けて、とってアップする・・・そんな生活になると、なんか露出狂?になった気分になるんじゃない。
もっとも、毎日食べるもんをスマホで撮って喜んでる輩たちはみなそうやけど・・)

お客さんも少なくなったし、お店をいつまで続けられるか・・・そんなことを思う日々。でも・・

朝まずめに釣りをして、朝飯前に畑を耕し、春夏秋冬の移り変わりを楽しみながら、晴耕雨読な
生活・・・・・

もう少し東京に住もうか、などと思っていたけど、そろそろ本格的に田舎暮らししようか、などと思いはじめ、
昨日はおかまのMくんに借りていた掛け軸を返したり、能登の行きつけの寿司屋に器をおくったり、一昨日
は粗大ごみを5個だしたり、荷物を軽くする日々。宿便がやまんごと、とれていくげな気分。日々是好日。

十牛図(じゅうぎゅうず) 自分も牛も開放する旅か?

多治見に青山翁をはじめて訪ねた日。
かれこれ四半世紀前になる。焼き物に興味がわき始めたころで、
やはり染付をやっている知人のコンシェルジュで「草の頭窯」
という不思議な名前の工房の主、青山禮三翁と邂逅。

当時どの家にもあった象印?の「押すだけ」のポットが工房にあって、翁ご自身がウェルカムドリンクよろしく、
自作の抹茶碗に、棗(なつめ)から無造作に入れ、ポットを押しお湯を直接入れ、使い古した茶筅で
シャカシャカと抹茶をつくり、相伴させてもろうた。談論風発がはずみ、3杯も飲んで、抹茶で少し酩酊したころ
・・(でもぼくもそれと似た無手勝手流のお茶を毎日楽しんでいる。)

その時、「ずぼん脱いで!」といわれた。「?」と思っていたら、「ろくろを教えてやる」というので、
スラックスを脱いで、翁の作業ズボンにはきかえ、生まれてはじめて陶芸体験をした。
ろくろの脇に、「十牛図」の本が一冊。中国から日本に伝わった禅の本で、日本の禅林たちが
好んで読んで大流行した。かの鈴木大拙じじぃの英訳により、「禅」と「十牛図」はシンコロよろしく
世界に広がったものだ。

その本をパラパラと、めくってみた。挿絵がなんと、青山翁であった・・・質問する前に、
「コケイザンの坊様が本を書いて、わしが挿絵をしたんじゃ」とこと。さっそく帰りに、
友達の運転で「コケイザン」にいく。お寺の案内のところに、その「十牛図」が売られていたので、
さっそく買って読んだ。
読んで字のごとく、十枚の絵が「段階ごと」にかかれている。失われた牛を求めて、
世界中を放浪し、捕まえ家に連れてかえる・・という禅の悟りの道しるべ。
しかしその実わかったことは、「探していた牛」というのは「おのれの心」であった、みたいな話。

ちょっと「壷中天」の故事にも通じる。結局、天(「悟り」)は、自分の心の中にある。
また話が脱線するけど、「壷中天」の壷が「壺」
の字になると、女性器の意味になる。「おまん壺」(口に出すと下品やけど、こう書くと高尚?)。
どちらも天国のような気もするけど、男女の陰陽というのは奥深いな~。

コケイザン・・
虎渓山と書く。夢窓国師がつくった禅寺。彼は美濃出身だった。
その後、南禅寺の庭とか天竜寺の池を配した庭、極楽浄土みたいな西芳寺(苔寺とかいう)の庭も、
夢窓国師が作庭した。京都も空いてきたらしいので、巣ごもり生活をやめ、名庭をめぐる旅
にでるもよし。カバンに「十牛図」を入れ、電車の中で読みながら、京都と美濃を旅する・・なんて「悟りの旅」
みたいで、いいね。
美濃にいったら、美濃焼をぜひ購入して、日常茶飯の友にしていただきたい。
シンコロの後の日常が、輝いてくるに違いない。日々是好日。

草の頭窯 チンポが立つような話

「福」の話をしていたら、青山禮三翁のことを思い出した。
岐阜の多治見というところで、陶芸一筋の人生を99歳(平成29年没)まで
やられた仙人みたいな人だ。「草の頭窯」で検索すると、翁の生前の写真が見れる。少し気骨がありすぎて、若いころは「ひとこと」
がいろいろ世間を騒がしたり、それがおかげで、しばらく仕事を干されたりすることが
たびたびあったことを、仙人のような笑顔で話された。たぶん、普通にしていたら(芸術家が普通。。はないか)
人間国宝になったのではないかと思う。

今月のはじめに、釣り具を買いにいく帰りに、錦糸町のラブホ街を散策した。世間では自粛中だが、
自粛できないエレルギーをもったカップルがマスクをして、お店に入ったり出たり、していた。
本能、というエレルギーは、すごいなあ、と思うた。その出口あたりに、亀戸餃子がある。
昔、その店の近くに「美濃」というギャラリーがあった。
美濃出身で、焼き物好きな女性が、古い一軒家を買ってやっておられた。青山翁は、年に一度
新宿伊勢丹で陶展をやっていたが、美濃でも毎年やっておられた。池袋から新宿にも錦糸町にも
通ったものだ。

晩年(最後の東京での陶展の時)、先生の蕎麦猪口と湯冷ましを買って、談論風発。こんな会話。

「皿に『福』」と書くじゃろ。この字は、田んぼで収穫したものを、神棚に供える、という象形文字や。
人間はどんな暮らしになっても、田んぼや畑はやるべきだ」というような話をされた。
その流れで「この皿は『寿』書いてあるじゃろ。これはな、田んぼの中でチンポが立っている象形文字や・・」
という。「先生、どう見てもチンポが立ってるように見えませんが・・」というと、伊勢丹の女子の定員さん
に紙をもってこさせ、筆ペンで、それらしき達筆の寿を書き、女子の定員さんに、「どや、チンポに見えるやろ」
とかいって笑っておられ、定員さんも少しハニカミながらうなずいていた。なるほど、こんな下ネタをお茶を飲みながら
飄々と語れる境地になられるのは、「悟り」でもあり、「寿」だなと思った。
田圃の稲刈りが終わり収穫祭。「福」であるし、お祭りの夜は昔から、男と女が結ばれる日。寿の日。

ちょうどその時、池袋のギャラリーが引っ越しをする時で、寒山拾得のギャラリーをやめようか、
などと思っていて、そんな話をしたら、
「君は若いのに、寒山拾得の絵を飾るような風流人かと感心していたが、まだまだ勉強が足らないな。
寒山の有名な言葉に『白雲は幽石を抱く』があるじゃろ。宇宙が一体となった姿じゃないか。
場所がかわる、とか時代がかわる、くらいでへこたれたらあかんで・・」ときた。
その人言で、ギャラリーを続け、寒山拾得の絵や、青山さんの器などが、能登の「寒山拾得美術館」
に飾ってある。もちろん久保さんの器をいっぱい。

昨日久保さんから荷物がきた。新作の「小福茶碗」だ。
袱紗(ふくさ)も使わず、手前勝手に自分流の茶を入れ、「ひとり茶」にぴったりのお茶碗。
「寿」の若さは遠くなりにけりだが、自然に寄り添いながら、できる範囲の自給自足で
足るを知る生活の中の「一服」は、なによりの「福」がある。
朝おきて目覚めに飲む梅干し茶、でもよし、珈琲の一盌もよろし、「一服は一福」やね。

今日からひさしぶりに営業。元気に蕎麦を打った。この10日の間に、近くのスーパー
の棚から「クリームチーズ」が消えた?みたいなので、しばらくチーズケーキはなしで営業。
甘いもんが食べたくなったら、「そばがきぜんざい」にしてください。
自粛期間中につき、18時閉店。

梅花皮 福来魚    読めたら風雅人?

昨日は、福ちゃんこと、三輪福さんが遊びにこられた。
いつもなら、東京やいろんな神社で「奉納舞」などをする季節だが、
今回の騒ぎで、ほとんど能登の瑞穂(みずほ)という国始まりのような場所
の古民家で、田んぼをやったり、山水の道をつけてそこに流したり、藍染をやったり
、山菜をとったり・・・そばとお茶のお弟子様であることには変わりはないけど、
田舎暮らし、特にホフグリッドの世界では、ぼくの先生。梅茶翁のペチカもほぼ完成。
夏には太陽光でお風呂にはいれるように準備を始めたそうだ。水も、ボイラーも自前になりそうだ。

踊りも教えていて、そこの踊り場?も梅茶翁の横に自分たちでつくっておられ、
漆喰の壁が完成すれば、みんなの歓声をあびるくらい、素敵な空間ができる。
その部屋の横の部屋には、薪ストーブが設置され、一年分くらいの薪も斧にて、切って
乾燥している。二日分?くらいの薪割りを手伝った。昨日はその稽古場に飾る「絵」
を見にこられた。先日染めてもろうた風呂敷と「原始的ぶつぶつ交換」。
能登の天真庵の玄関に、大きな版画が飾ってある。長崎剛志くんが芸大を卒業する
時の作品。彼の作品で、まるで三輪福さんが神が憑依したような舞をしているようなんが
あったので、どう?、ときくと、すごく気に入ってもろうたので、もってかえってもらった。

ちょうど、海の見える「茶室」(この集落の人のお茶のみ場所)で待っていたら、そこに近所
の漁師さんが海を見ながら、ビールを飲んでいた。彼の先祖さんが、漁をしていて、台風に遭遇し、
命からがら、この前浜の港にたどりつき、海辺に小屋をたて、真垣(風よけのための竹であんだ垣)を
つくったのがきっかけで、この集落に人が集まってきた。そんな原点みたいな人。
生まれつき漁師さんみたいな人で、方言は少しわかりにくいけど、海をみながら、魚や漁の話を
していると、頭で半分、魂で半分、つまりだいたい理解できる。寒山と拾得の会話みたいに
「宇宙」とか「神」みたいな話になる。

「いまなにしよんがな・・」と聞くので「そばの弟子が遊びにくるので、まっているんですねん」
とかいう会話のタイミングで、三輪福さんが車でやってきた。運転手側の窓をあけ、「こんにちわ」
と微笑んだ。「じゃ、また」と漁師さんに挨拶したら、「あのべっぴんさんに、これ食べさせて」
といって、軽トラに積んだクーラーの中から50cmくらいの魚をだして、買い物ぶくろにいれてくらた。
「小さいけど、フクラギ」とのこと。出世魚のブリの子供。関西では「ハマチ」いいますねん。
北陸では「福が来る魚」という縁起から「福来魚(フクラギ)」と呼ばれている。
ちなみに、この界隈は「富来」といわれた地名。「富が来る」で「トギ」

さっそく台所で、フクラギをさばく。舟の上で生き締めをし、エラのところで血抜きをしていて、
見事な鮮度を保ったままの姿に感動した。いつか、この〆方を習ってみたい。

フクラギににた言葉に「カイラギ」というのがある。
高麗茶碗や、唐津の茶碗を裏返し、高台(こうだい)というところに、鮫肌のような縮緬(ちりめん)模様
がみることができる。それを昔から茶人たちは、カイラギと呼び、抹茶碗の最高峰のものとしている。
漢字にすると「梅花皮」。

来月は「梅仕事」・・・世界中がとまってしまったけど、大自然の運行は、神のはからいと、人々の思いで
滞るなく流れている。
これから経済や社会は大きく変わっていくけど、「お米」と「味噌」と「うめぼし」があれば、
なんとかなるんじゃないかと思う。お米は玄米で買って(もしくは自分でつくって)、もみ殻とかぬかは
畑にまいたり、ぬか床にしたり・・・ちょっと前まで、日本人が普通にしていた生活にもどせば、
なんということないんじゃない。そんなことを、この10日の能登暮らしでつくづく思った。
三輪福さんが、庭でとれた蓬(よもぎ)でつくったパンを食べ終えたら、東京へ出発。  感謝。

すいかの苗を植える

毎朝、朝まずめ(お日様が顔をだすころ)に、タコ釣りをする。

今日は朝から☔なので、5時から「アナスタシヤ」の残りの二冊を読んでいる。
本来の人間の暮らし(婚礼)のことが記述されていた。結婚をきめたふたりが、森の中に暮らし、
その地でどのような楽園を築いていくのかを「創造」していく2年のことがかかれてある。
その2年はエッチはしないそうだ。愛し合う魂を磨き、両親からもらった生き方の智慧(季節の花を
植え、ハチミツをとったり、人生フルーツよろしく、リンゴやみかんや栗などの木を植えたり・・)
多種多様な植物を配置することに費やす・・・そんな話が書いてある。
やっぱこれからは「人生フルーツ」とか「農」やね。

昨日は珠洲の「ジャム屋」さんにいってきた。定年を迎えた夫婦が、珠洲に移り住み、
おとうさんは陶芸家、お母さんはジャムをつくっている。季節季節に近所のフルーツつくりの
名人のおじいちゃんおばあちゃんが、ガラガラのような荷物入れにいっぱい成果物を入れて
その家にやってくる。能登の「人生フルーツ」のような暮らし。

その前に、「揚げ浜方式」で昔ながらの塩をつくっている名人じいさんのところへ。
昔はどこの地でも、とてつもなく面倒なことをやって塩をつくっていた。政府がお金ほしさに
「専売公社」なるものをつくって、ケミカルな塩化ナトリウムを「塩」として家庭におしつけたので、
昔ながらの塩つくりは耐え、あげくのはてに日本人の体は、へんな塩ずけにされ、バカのひとつおぼえ
のように、ついに「減塩だ」なんてことを吹聴していった。ホンモノの塩は、ミネラルがたっぷりあり、
海のエナルギーに満ちていて、味噌作りや梅干しつくりの時に使うと、「違い」が体中の細胞から聞こえてくる。

それから、「縄文真脇遺跡」に。縁あって、そこに建っている縄文の家の柱の穴、は、自分たちが
その当時の石の斧をつかって掘った。昨日書いたけど、縄文人たちは、藤の花が咲くころ、
イルカがくることを知っていて、歴史の教科書などによるのと違う暮らしがあった、ように思う。
能登で暮らしていると、衣食住が、自然によりそった智慧、に満たされていて、都会での生活を
反省させられること多しだ。

その後、能登町の「津久志鮨」で食べる。さかなくん、や、そのまわりのスタッフが
くるようになった縁で、主人が「神経じめ」とか「血ぬき」に工夫をかさね、
一ランク上の鮨の世界にあがった感じになったきた。津本式の血抜きはすごい。手抜きちゃう!YouTubeで「津本式 血抜き」見てみて!
主人の「離婚祝い」におくった久保さんの「牡丹餅の備前の長皿」にのった季節の魚たちが
オーラをはなっていた。ふたりで1500円(地魚のすし10貫 天然のりのお吸い物 )
金沢や東京から「わざわざ」の人も増えてきたらしい。来月は梅林ガールズたちと打ち上げする場所。

その帰り、ホームセンターにて「すいかの苗」を買って、さつきの畑に植えた。
夏が楽しみ・・・