如雨露

ジョウロ・・・植物に水をあげる道具。雨露の如く・・・言い得ている。
でも今のモノは、タッションベンの如く?目が粗い。

先日、深谷ネギの生産者、とういうか、農業法人の社長が蕎麦を手繰りにきたとき、
TQ処理されたマカロニみたいなものを土産にくれた。TQの山田さんの親父さんが
つくったものだ。親父さんとは、生前交流があり、よく名古屋の自宅まででかけて飲んだ。
昼間から一升酒という大寅だった。

さっそくベランダにある如雨露に「うめ星」と「TQマカロニ」を入れ、東京水を入れ、表の植物にあげた。地元の職人のつくったものだ。
「根岸産業有限会社 」で検索するとわかる。墨田にある会社で、長いこと如雨露を
つくってきた会社で、知る人ぞ知る名工の技が冴える。これから巣ごもりに慣れ、ベランダで
野菜や植物を育てようと思っている人に、ぜひおすすめする。植物に「がんばって」とか「今日も元気ね」
とか「愛してるよ」とか声をかけると、元気に育つ。「人間の言葉がわかる」というより、「人のために生きている」
使命をもっているのだ。人間がいままで気づかなかっただけの話。不思議な話ではない。

道具というのは「道を具(そな)えている」という言霊。茶道・書道・華道・香道・・・
古来より日本人は「道」を求め、道具をつきつめ、用の美はもちろん、道具そのもの在り方の美まで
追求してきた長い道のりを経て、現代にいたる。芸術などが、シンコロ騒ぎで、開店休業のあおりをうけて
いるけど、無用の用、というのは、ひとの「こころの潤い」に大切なものやと思う。
この緊急事態宣言が開け、新しい時代がきたとき、「潤いのある人」というのが、活躍するのではなかろうかしらん。
これまでは会社を成長させたり、金銭を稼ぐ、とかいう人たちがハバをきかせてきたけど、これからは「量より質」
が大事になってくるし、人間性、とくに「潤い」が大事になるような気がする。

天真庵のHPに「のむら暮らし」というのがある。
先月、斧をつかって薪ストーブ用の巻割りをしている映像をアップした。
♪まさかりかついで きんたろうくまにまたがり おうまのけいこハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ

イギルイス人のユーロ家族と、温床をつくった写真も昨日アップ。
言葉や文化は違っても、使う道具や目的は、世界共通。
カルチャーというのは「耕す」という英語の言霊。
世界中が同時にとまってしまったけど、今はいろいろなコトを耕したり、醸したりするチャンスでもある。