与謝蕪村がつくった。
昨日、能登の海にしばしのおわかれをいって、東京にもどってきた。
今年の春の海は、そんな悠長な凪ぎは少なく、風が強く、水温を低く、例年だとわかめを
とったりする季節なんだが、シンコロさんの影響もあり、能登も人影がまばらだった。
和倉温泉の「総湯」につかって帰ることにした。和倉温泉もゴーストタウン状態だ。
いつもは加賀屋を中心に着物をきた従業員や、世界中から観光客でにぎわっている街なのに、
十間橋商店街のごとく、シャッター街になっている。
「総湯」というのは、加賀屋を含め、界隈の温泉旅館の元湯。450円で、日本で有数だと噂される「いい湯」
に浸かることができる。いつも静かなクラシック音楽がかかっているのもいい。
やはり自粛がかかっていて、今は平日、しかも短縮して営業しているようだ。
お湯からあがってマスクをしながら、少し散策。こころなしか「売物件」が増えたような気がする。
このままゴールデンウィークを超え、緊急事態が長引けば、全国の温泉地や観光地も、同じような
光景になるに違いない。車にのって、帰路をのんびり走っていたら、ちょっと気になる「売り物件」
の看板。不動産屋の電話番号が記してあったので、電話。
「はじめまして、あの物件が気になったので・・・」と切り出すと、年配の落ち着いた男性が、「20年前に建った
のですが、ローンが払えなくなり、親戚が保証人になって・・・半年前に、近所のご自分の名義の土地の木で
首吊り自殺をされたんです」とのこと。いきなり、丁寧に、いいにくい、その土地の「ものがたり」を正直に
話してくれたことに感謝して・・・「5月にまた能登にくる予定があるので、それまで売れてなかったら、
中を見せていただけますか?」というと、「お待ちしています」とこと。何人かの友人に「能登の家」を
紹介する約束があるので、声をかけてみたいと思う。できたら、まわりで保証していた人たちが救われる条件で
買ってくれるといい。
自殺された彼も喜ばれるような「すみかた・生き方」をしてほしい、とおも思う。
そもそも、「家を買う」とうのは、リスキーなことだ。
頭金をすくなくてもOK牧場で、賃貸家賃より「お得」なようなセールストークになっているけど、
その家の人たちの、健康や仕事が、その間平穏であること、という不特定要素のリスクが「語られる夢」の中に
隠れてしまっている。だから最終的には、ローンの返済者の「命」が、家代の中に内包されているのだ。
毎年3万人以上の人が自殺している。家の経済的な理由で自殺する人は、その中にたくさんいると思う。
しかも今の新建材でできた「家」(もしくはマンション)は、長いローンの半分の年限まで持つの?
恩師の末川先生の「人生3分割」をもう一度簡単に説明する。
人生60年(健康寿命)。最初の20年は親に食わしてもらっている。真ん中の20年は
「自分のために生きる」。最後の20年は「人のために生きる」
20歳から60歳までは、自分のために生きたり、家族や人のために生きたりする40年。
最近、「安眠ビジネス」の話題がかしましい。不安や恐怖で「眠れない人」が多いらしい。
その40年。睡眠時間が平均8時間。通勤2時間。食事をつくったり、そのために働いたり、する時間
が3時間(外食の場合も含む。) これだけでも一日24時間の半分以上を費やす。(13時間)。
40年の人生の半分は、食べること、寝ること(クウネル)で使われるので、「実質、自分の人生は20年?」
それに「住」のために働く時間(家に費やすお金によって変動するけど)を加えると、
「自分の人生の目的は・・・・・???」・・まだ払えていても、飛び込みたくなるような数字だ。
シンコロの影響は、少なくても2年か・・・という専門家の意見もでてきた。しばらく世界は「とまる」
会社や自治体や国が破産状態になっても、生きていかなければいけない。
まじめに「これからの生き方」を考えるところに、みんな、きている。感謝。
蕪村の悠長な俳句と違う無粋な話になった。
明日から営業します。