おからだ おだいずに お足もおだいずに

金曜日に、能登の珠洲で買ってきた「大豆」で、筆子さんが味噌をしこんだ。
二三味(にざみ)さんの大豆。珠洲には「二三味珈琲」という全国区の珈琲屋さんがある。
そこの店主のおじいちゃん。このじいちゃんの大豆でつくる豆腐がまためっぽう美味い。
「おからだ お大豆に」・・・なんとなく東北ぽい発音になる?

細菌のおかげでがらっと、世の中がかわって、最近「足るを知る」ような風潮があちこち
に現れはじめた。「おれがおれが」や「モア モア」で、好きなことやって、世界中の人が
「ゆたかさ」を求めてきたけど、みんなとまって「今までの生き方はちょっと違うかも?」
と反省している。「ほんとうのゆたかさ」をみんなで模索している感じだ。いいこと。

「知足」に足をつかっているのも意味深い。昔からお金のことも「お足(あし)」といった。
入ってきても、すぐにでていく、まるで足がはえているみたい、そんな具合であてられた漢字だと思う。
モノも人もとまってしまったけど、個人、個人商店といわず、企業、銀行、国の「お足」は、
音速以上のスピードで、なくなっている。その先には「お金がいらない世界」が、きっと待っているに違いない。

どうなるにせよ、一番大事なのは「健康」。
いちに健康 にに健康 さんしがなくて ごに仲間

うちの常連さんの父親で、すぐ近くに住んでいるHさん91歳。
若いころは下戸だったらしい。40になってお酒を練習しよう、ということで、毎日浅草の神谷バーまで
散歩をかねて歩いていきはじめた。定休日の火曜日以外、それから☔の日も、風の日も通いつづけて50年、
という怪物のような健脚と健肝のおじいちゃんがいる。知り合いの新聞記者が「取材」を申し込んだ、ら、
「おれは、新聞にのるために、通っているわけではない」と断られた。かっこいい、江戸っ子だ!

昨日の2時ころ、徒歩5分のところに住んでいるMさんが「隕石ぐいのみちょうだい」と
いいながら蕎麦を手繰りにこられた。シャンソンのえりちゃんの応援団長。3月7日のシャンソンライブ
の時、その隕石ぐいのみで酒を飲んだら、7合のんでも平気だった(普通は5合。。。これでも酒豪やけど)
ので、買いにきたらしい。はたして、毎日それで7合飲むのが健康かどうか疑わしい数字ではあるが。
彼はぼくと同じ年で今年64になる。毎週木曜日は新宿歌舞伎町のいきつけのお店で飲む、を40年続けている。
コロナ騒ぎで、電車にのるのがこわいので、ときどきは片道を歩いていき、帰りがタクシーで、とのたまわれた。
押上から新宿まで歩く。このかたも、ななかなの健脚で健肝だ。

そんな話をしていたら、えりちゃんが「ボンジュール」といってカウンターに座った。
「運動不足になりそうなので、大塚から歩いてきた」という。はじめて天真庵に来た時もそうやったし、
その後も何度もそうだったので、さして驚かなかったけど、すばらしい。
ミュージシャンやアーティスト・・・体をはって生きるひとにとって、こんな時は「体」
を鍛えなおす、というのはとても大切なことだ。ひとごとではない。こどもたちも、お年寄りも、
家にいる時間が多いので、運動不足になっている。「歩こう」

今日の「真民さん」・・「足るを知る」を足にした先人たちの哲がにんじで見えてくる!

「尊いのは足の裏である」

尊いのは
頭ではなく
手ではなく
足の裏である

一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしていく
足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ