如雨露

ジョウロ・・・植物に水をあげる道具。雨露の如く・・・言い得ている。
でも今のモノは、タッションベンの如く?目が粗い。

先日、深谷ネギの生産者、とういうか、農業法人の社長が蕎麦を手繰りにきたとき、
TQ処理されたマカロニみたいなものを土産にくれた。TQの山田さんの親父さんが
つくったものだ。親父さんとは、生前交流があり、よく名古屋の自宅まででかけて飲んだ。
昼間から一升酒という大寅だった。

さっそくベランダにある如雨露に「うめ星」と「TQマカロニ」を入れ、東京水を入れ、表の植物にあげた。地元の職人のつくったものだ。
「根岸産業有限会社 」で検索するとわかる。墨田にある会社で、長いこと如雨露を
つくってきた会社で、知る人ぞ知る名工の技が冴える。これから巣ごもりに慣れ、ベランダで
野菜や植物を育てようと思っている人に、ぜひおすすめする。植物に「がんばって」とか「今日も元気ね」
とか「愛してるよ」とか声をかけると、元気に育つ。「人間の言葉がわかる」というより、「人のために生きている」
使命をもっているのだ。人間がいままで気づかなかっただけの話。不思議な話ではない。

道具というのは「道を具(そな)えている」という言霊。茶道・書道・華道・香道・・・
古来より日本人は「道」を求め、道具をつきつめ、用の美はもちろん、道具そのもの在り方の美まで
追求してきた長い道のりを経て、現代にいたる。芸術などが、シンコロ騒ぎで、開店休業のあおりをうけて
いるけど、無用の用、というのは、ひとの「こころの潤い」に大切なものやと思う。
この緊急事態宣言が開け、新しい時代がきたとき、「潤いのある人」というのが、活躍するのではなかろうかしらん。
これまでは会社を成長させたり、金銭を稼ぐ、とかいう人たちがハバをきかせてきたけど、これからは「量より質」
が大事になってくるし、人間性、とくに「潤い」が大事になるような気がする。

天真庵のHPに「のむら暮らし」というのがある。
先月、斧をつかって薪ストーブ用の巻割りをしている映像をアップした。
♪まさかりかついで きんたろうくまにまたがり おうまのけいこハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ

イギルイス人のユーロ家族と、温床をつくった写真も昨日アップ。
言葉や文化は違っても、使う道具や目的は、世界共通。
カルチャーというのは「耕す」という英語の言霊。
世界中が同時にとまってしまったけど、今はいろいろなコトを耕したり、醸したりするチャンスでもある。

月曜の朝は卵かけごはん!

能登から「根曲がり筍」をもってきた。
直径1cmにも満たない、細い筍。皮を一枚むき、
小さく刻んでお味噌汁に入れると、味噌が「春だね~」
と笑っているような。今朝の「卵かけごはん」の味噌汁は
それを用意した。
一汁一菜と海藻とお茶と発酵食・・・が、この危機を
乗り越えるキーワードだと思う。この味噌汁にわかめを入れたら
「若竹味噌汁」だ。

朝ジョッギングをする人が多くなった。
ぼくも昔は毎日10kくらい走っていた。ホノルルマラソンも3回完走したし、
国内の大会もあまた出て走りまわっていた時期がある。お店をやるようになって、もっぱら
「歩く」さしずめ「ウォーキング メディテーション」。
歩く時、右足と左足を交互にだす。どちらでもいいのだが、「ミギ」のほうが、気持ちがのりたすいので、
その時に「ミギ」と頭の中でとなえる。しばらく行きかう人や、車に気をとられるけど、5分くらい
「ミギ。。ミギ。。ミギ。。」とやっていくと、無我(真我)の世界に入っていく。
京都南禅寺あたりに「哲学の道」というのがある。西田幾多郎先生たちが歩いた道。先人たちもきっと
ご自分のメッソッドで、瞑想しながら歩いたに違いない。

昔から、朝陽を浴びるといい、といわれる。一説には「シンコロさんにもいい」らしい。
朝陽は目が悪くなるほど強くないが、昔からヨガで、太陽に向かって、手で目隠しをし、
口をひらいて、息を「ああああああああああ~」といいながらはく、というのがある。
中村天風先生が、すすめていた。散歩の途中に太陽がでていたら、おすすめ。
最初は人の👀が気になるけど、なあに、命を守ると思えば、なんということない。
ぼくはところままわず、作務衣をきたまま、カタカムナ呼吸法をやったり、そんな
不思議なヨガをやったりするので、まわりに「変人」だと思われているふしがある。

太陽に向かうときは、「感謝」を忘れないように・・・太陽がなけらば地球上の生きとし、生けるもの・・
動物も鳥も魚も、鉱物も植物も・・・みんな生かされていない。

そもそも、太陽の光はこの星で、「いちばん大きく毎日タダで届けられるエネルギー」なのだ。みんなわすれているけど・・
地球に降り注ぐ太陽エネルギーは一秒あたり約「42兆キロカロリー」。

これは、一秒間に世界中で使っているエネルギーの25万倍以上。仮にこの太陽エネルギーを
100%活用できたら「世界の年間エネルギーの消費量」は、わずか45分でまかなうことができる計算らしい。

そろそろ、「お金もうけ」とか「利権」とは違った方向で、そのあたりの活用をまじめに取り組む時がきたように思う。
原発とか、いらないよね。

このチャンスの時に、都会から移住し、田舎の古民家あたりに住む人が増え、一極集中のアンバランスが調整され、
畑で季節の野菜がいきいきと育ち、折々の花が咲き、化石燃料にたよらない生活をする人が増えれば、
この国は、また生き返ると思う。
手入れされず、老朽化した森はCO2の吸収もおとろえる一方だけど、そこにひとが入り、定期的に
伐採などがされると、新陳代謝する若葉更新により、木はいきいきと伸び、CO2の吸収を施す。
木の伐採でできた切り株で薪ストーブを使い、その灰を畑や森にもどしてあげる。
「おおいなる宇宙規模の循環型システム」ができる。もちろんこれからのトイレは「コンポストトイレ」
がいい、と思う。なんとかなる。                           感謝。

阿闍梨餅が食べたい!

昨日からゴールデンウィーク。初日の新幹線はガラガラだとラジオがいう。
訓練中の犬のように「一億総ステイ」だから。中国人などに占領されたような京都から
足が遠のき、行きつけの店や大学時代の友人からお誘いがあっても、この10年くらいは上洛していない。
でも、時々阿闍梨餅が無性に食べたくなる。そんなひとりごとを、勝手にのたまっていると、「京都にいってきました」
と常連さんさんたちが、時々土産に持参してくれたりする。

阿闍梨(あじゃり)様、とは、比叡山の千日回峰行を無事に終え、生き返った修行僧のことをいう。
その中でも「常行三昧」(じょうぎょうざんまい)という、厳しすぎて「死」の世界へいく僧が多く、
明治時代に中止された幻の修行を、二度もやった阿闍梨さまがいた。酒井雄哉さん。
「一日一生」という本は、日本の聖書みたいな本である。その本のはじめにこんなページがある。

・・・山を歩いて自然をながめていると、天気のよい日もあれば、雨の日もある。
春が来て、夏になる。秋になって、冬が来る。それは当たり前なんだけど、自然は常に移り変わり、めぐっていく。
 自分たちの一生もそうで、ずっと幸せ、なんてないし、ずっと不幸ということない。頂上まで登って
「やったな」と思っていても、じりじり落ちていくこともある。その時に不幸が巡ってくるかもしれないし、
でも、やがてまた幸せが巡ってくることもある。何でもずっと続くことはなくて、ぐるぐる、ぐるぐると
回っているもんだな。
(略)
この瞬間の、目の前のものをありのままの姿で見なさいってこと。「いま」「ここ」にいる、という以外は何も
ありませんよってことだね。
 いま死ぬかもしれないんだもの。過去は変えられないし、先はわからない。なるようにしかならない、死ぬ瞬間まで
「いま」「ここ」を大切にして、いよいよ死ぬってときになったら、取り乱さないで、ああ来たんだなあと思いなさいって
ことだよな。

毎日、コロナコロナ・・・のかえるの唄の輪唱みたいなところと、ぐるぐるぐるぐる・・・という繰り返しの部分が
ハモルような気分がしたし、最後のほうは、「死」が身近になった昨今のみんなの不安なこころを、「生きる」ほうに
舵をきってくれそうな言葉。東京の荻窪でラーメン屋を営んでいたこともある酒井阿闍梨さま。
本も江戸弁(べらんめい)と関西弁がブレンドされた話ことばでおもしろい。
なくなる時は「ただ、感謝の気持ちだな・・・」だったとか。               

回峰行の最後の9日間は、「堂入り」といって不眠不臥で水もとらずに、断食断水に耐える厳しい修行。
その前に知人たちと「最後の晩餐」のような儀式があり、「そばがき」を食べるのがならわしだとか。
阿闍梨もちには、塩梅のよいあんこがもちの中に入っている。
「こんなんを食べるんかいな」と想像してつくったのが、天真庵の「そばがきぜんざい」。
とてもそんな厳しい行に耐えられるとは思えないが、阿闍梨餅やそばがきぜんざいを食べる、
くらいなら、「毎日が一生」だと笑いながら、続けていけそうな気になる。   感謝。

ゴールデンがステイに!

ゴールデンウィークが、ステイホームになった。天真庵は、水木以外は営業。(そばの売り切れじまい)
シンコロさんのおかげで、政治家も語彙が少なくなり、横文字が横行している?。
パンデミック、ロックダウン、オンライン帰省、ステイホーム・・。。

ゴールデンがステイに!
昔、知り合いのIT会社の社長宅に招かれたことがある。
そのころうちは、元気という名のチワワがいたが、そのうちには、ゴールデンレトリバーがいた。体重は雲泥の差
があるが、毛並みはよう似とった。
仕事で多忙にしてた?のか、自分で躾ができないのか、躾を外注していた。(今の子供たちと同じような環境か?)
元気は、食事の時に「まて」といえば、いつまでも黙って待った。(躾には、涙ぐましい秘話がある)。
その外注で躾をお願いしているゴールデンに家の人は「ステイ!」といっていた。
「なんで?」と聞くと、犬は「まて、より、ステイのほうが、しつけやすい」とのことだった。
そこの庭でバーベキューをした。しばらくして、家にはいってみると、ゴールデンが、テーブルの上の
食べ物を食い散らしていた。帰り道、「ステイ」の意味をかみしめながら池袋の家にもどった。
そんなことを、先日、厚化粧の知事の顔のステイを聞きながら思い出した。彼女にとって都民は犬か?

とある雑誌社の取材を受けた。昨日更生がメールできた。「香り高い珈琲でリラックス 美味しいいれ方、楽しみ方」
こないだテレビ金沢にでた時、能登のあるものを使うと、珈琲の味がかわった話をしようと思っていた。
まわりが、「やめといたほうがいい」というので、秘密にしていた(たいしたことではないが・・)
今回は、長引く「巣ごもり」で、家で飲む珈琲の一杯がとても大事なことになってきたので、
ぜんぶ公開した。せっかく、家にいる時間が増えるのなら、「至福の時」を演出してほしい。

その中で、「水出し珈琲」が紹介されていた。昔は「ダッチコーヒー」といった。
知らない間に「コールドブリュー」になっている。時代はかわった?(名前がかわっただけ、ともいえる?)

最近、「お持ち帰り」の生そばが、けっこうでる。昨日も5歳の女の子が(徒歩1分のところに住む)
「おそば4つ ガレットひとつ」を買いにきた。「はじめてのおつかい」みたいやけど、二回目。

ただまんじりと「ステイ」ではなく、中身を充実する工夫が、大事なステイホーム週間。
長い時間をかけて身についた悪しき習慣を、改める週間でもある。感謝。

こしあぶら

とある道の駅に立ち寄った。妙高高原の近く。
長い冬が終わり、冬眠してた動物が目覚め、最初に
口にするのは、ふきのとう。その苦み・えぐみが、毒消しになって、
「生きるぞ」という元気の源になる。ここでは、朝、山菜とりの名人さんたちが、
里山でとれた、タラの芽、わらび、ぜんまい、こごみ、かたくり、のかんぞう・・・などが並ぶ。
なかでも「こしあぶら」は、山菜の王様。てんぷらにしてもいい。でも山登りをしていたころ
山男たちが、とってきたこしあぶらを、バターでいため、しあげにちょろっと醤油をいれて、
飯ごうで炊いたごはんにまぜて食べた、その味がわすれなれなくて、いつも「こしあぶらごはん」
にして食べる。やまのエネルギーをまるごといただく気分になる。

先月に、叔父と叔母の訃報が入った。叔父さんは93歳、叔母さんは102歳。
その叔母は、父方の長女。酒がめっぽう強く、「もうひとが一生飲む量の10倍は飲んだ」といって、
90のころに酒を断った。叔父も大酒飲みだったが、やはり米寿のころ、延岡の先祖の墓参り
にいった日、先祖の声が聞こえた(と本人はいった)みたいで、その日に酒をたった。
仙人のようなふたりで、「いつまでも生きる」感じがしていたけど、やはり人は寿命というのがある。
でも、まわりの人たちのこころの中で未来永劫生き続ける。魂というのは、死なないようだ。

ぼくが小学校にいく前、あまりに暴れんぼうだったので、宮崎の美々津(みみつ)という海も
山も風光明媚で自然豊かなとこで養蜂をやっていたオジキのところにしばらく預けられたことがある。
そこで、山の中を歩いて、山菜や鳥の名前を覚えたり、川で泳ぎや釣りをたたきこまれた。
オジキは宮崎の養蜂組合の理事長をしていて、生涯、ハチとかかわった。そのおかげで、
親戚一同は、美々津の「天然のはちみつ」を食べていた。みんな長寿なのは、その「ハチミツ」のおかげ
ではないか、と思う。買うと高価なもんだけど、水あめが入っているような安価なものは、インチキな
健康飲料のようなものだ。「健康」というのは、お金では買えない。

はちの巣というのは、ひとつで、何千という蜂が共同で暮らしている。何千のはちの中で選ばれた「嬢王蜂」
だけ、ロイヤルゼリーを食べて、毎日自分の体重の何倍もの卵を産み続ける。その他大勢は「働き蜂」で
毎日野をかけ、花の蜜や、花粉をあつめてくる。古代エジプトのピラミッドの中からも、ハチミツがでてきたりしている
ので、古代から蜂は、ぼくたち人間のためにも、健康長寿の食を提供してくれた歴史がある。
何千匹の蜂の大半が♀で、♂はわずか5匹くらい。巣のまわりの用心棒として働く。たぶん、嬢王蜂やほかのメスの蜂
たちとは、エッチはしないのだろう。数のバランスからいって、いたしていたら、毎日腹上死?
そんな話をしていたら、「空中でエッチしたら気持ちよさそうね」と、某大会社の美人秘書が笑ったことがあった。
どうも、これから先、人間の世界も蜂の世界のように、男子の数が減ってくる、という予想がある。せめて、
用心棒くらいはやれる武装が、これからの男子には必要かもなんばん。

今日の12時からひさしぶりに営業。今朝元気に蕎麦を打った。感謝。

春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな

与謝蕪村がつくった。

昨日、能登の海にしばしのおわかれをいって、東京にもどってきた。
今年の春の海は、そんな悠長な凪ぎは少なく、風が強く、水温を低く、例年だとわかめを
とったりする季節なんだが、シンコロさんの影響もあり、能登も人影がまばらだった。

和倉温泉の「総湯」につかって帰ることにした。和倉温泉もゴーストタウン状態だ。
いつもは加賀屋を中心に着物をきた従業員や、世界中から観光客でにぎわっている街なのに、
十間橋商店街のごとく、シャッター街になっている。
「総湯」というのは、加賀屋を含め、界隈の温泉旅館の元湯。450円で、日本で有数だと噂される「いい湯」
に浸かることができる。いつも静かなクラシック音楽がかかっているのもいい。
やはり自粛がかかっていて、今は平日、しかも短縮して営業しているようだ。

お湯からあがってマスクをしながら、少し散策。こころなしか「売物件」が増えたような気がする。
このままゴールデンウィークを超え、緊急事態が長引けば、全国の温泉地や観光地も、同じような
光景になるに違いない。車にのって、帰路をのんびり走っていたら、ちょっと気になる「売り物件」
の看板。不動産屋の電話番号が記してあったので、電話。

「はじめまして、あの物件が気になったので・・・」と切り出すと、年配の落ち着いた男性が、「20年前に建った
のですが、ローンが払えなくなり、親戚が保証人になって・・・半年前に、近所のご自分の名義の土地の木で
首吊り自殺をされたんです」とのこと。いきなり、丁寧に、いいにくい、その土地の「ものがたり」を正直に
話してくれたことに感謝して・・・「5月にまた能登にくる予定があるので、それまで売れてなかったら、
中を見せていただけますか?」というと、「お待ちしています」とこと。何人かの友人に「能登の家」を
紹介する約束があるので、声をかけてみたいと思う。できたら、まわりで保証していた人たちが救われる条件で
買ってくれるといい。

自殺された彼も喜ばれるような「すみかた・生き方」をしてほしい、とおも思う。
そもそも、「家を買う」とうのは、リスキーなことだ。
頭金をすくなくてもOK牧場で、賃貸家賃より「お得」なようなセールストークになっているけど、
その家の人たちの、健康や仕事が、その間平穏であること、という不特定要素のリスクが「語られる夢」の中に
隠れてしまっている。だから最終的には、ローンの返済者の「命」が、家代の中に内包されているのだ。
毎年3万人以上の人が自殺している。家の経済的な理由で自殺する人は、その中にたくさんいると思う。
しかも今の新建材でできた「家」(もしくはマンション)は、長いローンの半分の年限まで持つの?

恩師の末川先生の「人生3分割」をもう一度簡単に説明する。
人生60年(健康寿命)。最初の20年は親に食わしてもらっている。真ん中の20年は
「自分のために生きる」。最後の20年は「人のために生きる」
20歳から60歳までは、自分のために生きたり、家族や人のために生きたりする40年。

最近、「安眠ビジネス」の話題がかしましい。不安や恐怖で「眠れない人」が多いらしい。
その40年。睡眠時間が平均8時間。通勤2時間。食事をつくったり、そのために働いたり、する時間
が3時間(外食の場合も含む。) これだけでも一日24時間の半分以上を費やす。(13時間)。
40年の人生の半分は、食べること、寝ること(クウネル)で使われるので、「実質、自分の人生は20年?」

それに「住」のために働く時間(家に費やすお金によって変動するけど)を加えると、
「自分の人生の目的は・・・・・???」・・まだ払えていても、飛び込みたくなるような数字だ。
シンコロの影響は、少なくても2年か・・・という専門家の意見もでてきた。しばらく世界は「とまる」
会社や自治体や国が破産状態になっても、生きていかなければいけない。
まじめに「これからの生き方」を考えるところに、みんな、きている。感謝。

蕪村の悠長な俳句と違う無粋な話になった。
明日から営業します。

梅干しの黒焼き

梅茶翁の三輪福さんに3年くらい前に「梅干しの黒焼き」をもらった。
梅林でとれた梅を30%(普通は20%)以上の塩で梅干しをつくる。
それを土鍋に入れ、蓋のまわりと蓋の穴を、小麦粉と水で溶いたものを粘土状に
して閉鎖する。それを約一日火にかけて、冷めたら種をとり、黒焦げの実を
すりこ木とすりばちで細かくするとできあがり。

ガンの末期の人は、死に直面している人などが助かったりしたことがあまたあるので、
田舎の人たちは、面倒でも年に一度これをつくっている。
24時間というのは寝る暇もないので、朝から晩まで火にかけ、寝る時に七輪に
かけて寝る、といい。能登の人たちは、珠洲の珪藻土の七輪を使ってつくる。

遠赤効果がびっくりするほどあって、魚のカマ焼きや、さざえのつぼ焼きなどをすると、
バーベキューの幸せ感度が3割以上増す。都市ガスやプロパンガスや、電気のグリルとは、
似て非なるものだ。炭をおこしたり、灰の掃除をしたり、「今の生活」に比べたら
便利さも手間も退化するみたいやけど、そこかれ得られるモノは、筆舌が及ばぬ宇宙的な
喜びに満ちている。アウトドアをこれから始めよう、という人がいたら、テントや
ランタンや寝袋を買う前に、「能登の珪藻土の七輪」を買って、体感すると、ベテランのアウトドアマン
たちを凌駕する「技」が身につく。丘釣りを卒業して、海釣りを始めると、これからの時代のサバイバル力
が、めちゃくちゃアップする。へんにかっこつけているより、丘釣り効果もあがっちゃりして。。

先日三輪福さんところで、イギリス人のユーロから教わった温床作りを「踏み込み温床」
というらしい。寒い地方では、昔からやっていることみたい。
さっそく、「さつきの畑」にいき、さつきの隣に、納屋にあったフランスベッドの頭の部分を
柵にみたて、囲いをし、そこに落ち葉や雑草を刈っていれ、下の畑においてあった甕(中にうめ星)
をもってきて、草の上に、こめぬかをまき、その上に甕の中の「星のかけら水」をまき、足で踏んで
かためる作業をした。体を動かすこともあるけど、草の上は、ポカポカの熱がでてくる。
人が勝手に「雑草」とか名付けたんだけど、「大きな自然(神)のはからい」の素には、
無駄なものはひとつもなく調和されている。

その畑の向こうに、栗の木と柿の木があって、秋には実りをもたらせてくれる。その先には
里山につながっていて、今は筍や、山菜(わらび、こごみ、ぜんまい、タラの芽など)がとれる。
今回はシンコロさんのおかげで、外食もせず、東京から持ち込んだ珈琲豆とそばで「原始的ぶつぶつ交換」で
手にした野菜や魚と、この畑とまわりの里山の成果物で、10日間暮らした。(財布がどこにあるかもわからない。
これも新しいキャッシュレス?)
今朝は納豆(梅茶翁のしんごちゃんが自然農でつくったショウガを甘酢漬けしたもんを刻んで混ぜる)。
と、三輪福さんお手製のキムチ。ふたりの能登で生きる「気持ち」が伝わってくる。手前味噌の味噌汁の実
には、畑でとれたネギ、その畑のまわりで摘んだヨモギ、海岸でとった海藻(あおさ?)がたっぷり。

この国も、ぼくたちも、便利な生活をして、スマホやPCでいろんな情報を蜘蛛の巣のように
張り巡らせ、なんかしらないけど、朝から晩までいそがしく動きまわり・・・
「どこへ」行こうとしていたんやろか?その先の未来に「夢」をちゃんと描いていたんやろうか?
そんなことを、みんなそれぞれが、今考えているのだろうね・・?
ひょっとしたら、縄文時代くらいまでコマを戻す、というのが神のはからい、だったりして? 

原発はまだいるんやろか?核兵器とかそれをつむ超音速ジェット機はいるの?
高速道路はまだつくるんやろか?超高層マンションはまだまだ立つの?
オリンピックは世界の人を幸せにしますか?今の「住む家」は、子供や孫に
まで持続可能ですか?野菜に野生が感じられますか?飲んでいる水は生きてますか・・・・???
「今のまま」が続くほうが幸せだと思っていますか?

ぼくも真剣に毎日考え中!

リトル・マエストラ

昨日紹介した「絶メシ」のある食堂は、福浦港(ふくら)の近くにある。
小さな漁師町だ。能登の西側(外浦という)は、千里浜のように車も通れるような海岸も
あれば、松本清張の「ゼロの焦点」の舞台になったヤセの断崖など、人を寄せ付けないような断崖が
ある険しい景色が交差している。

この漁港を舞台にした映画が「リトル・マエストラ」(2013年公開)だ。
音楽好きの漁師さんたちが楽器を奏で、東京から小さなマエストラ(指揮者)を呼んで
コンサートを開くまでのドラマをコミカルに描いている。昨年、「あまぞんプライム」で観た。
主人公のマエストラは、当時まだ無名の新人やった有村架純ちゃん。なんとも大胆でファンキーな
味を醸し出していて印象的。監督は、あの巨匠(まだそこまでいってないけど・・これからなる)
「雑賀俊郎 」。先日紹介した高倉健さんと同じ東筑高校出身。
幹部がみな大酒飲みで、50歳前後で召され、名前しか残っていないが「九州気骨の会」
のメンバーで、昔よく酒を飲んだ後輩だ。これからの活躍を草場の陰で応援している人も
いるので、がんばってほしいものだ。

福岡出身の松本清張が小説の舞台にしたり、映画の舞台にしたり、まこと「能登・志賀」
というのは不思議なところだ。街には鹿を描いたコミュニティーバスが走る。
九州の志賀島(しかのしま)の神社には、鹿の骨が奉納されている。守り本尊。
北前船で、人や物資や文化が日本海を往復した。その前には、九州の海賊たちが、
物資や人を運んだり、海女さんや漁法を伝えた、という記録も残っている。
能登の漁師さんたちは、どことなく彫りの深い九州顔で、方言もどことなく共通していて
「自分らの先祖は九州の海賊」だと信じている。

今回は10日ほど能登に暮している。シンコロ騒ぎがあるので、能登でも「巣ごもり」中心で
朝めし前に畑仕事をしたり、晴耕雨読の毎日。
昨日は、二日ぶりの天気がよかったので、近くの里山を散策した。
道ですれ違う漁師さんたちが手をあげて「きとったん?」など挨拶をしてくれた。
「大笹浪(おおささなみ)棚田」という近くにある棚田百選に選ばれたところから海岸の
ほうに曲がったところに、枇杷の木を発見。昔から漢方などに枇杷の葉が使われる。
「恋泥棒と花泥棒(葉泥棒)は、自然によりそった田舎では、多めに見られる」。
10枚ほど、天にお礼をいって頂戴した。木の頂にとまっていた「ひよどり」がニヤッと
した。たぶん、その昔、彼の先祖がどこかで枇杷の種を食べ、そこらで糞をした、のが
この木の由来ではなかろうか?そんな勝手な物語を自作しながら、ウォーキングメディテーション。

「アナスタシア」という不思議な本で、種を蒔く時、舌のしたに種をしばらくおき、
裸足で土の上におり、空に祈ってから蒔く。という方法を教わった。
人間が本来もっていた、植物との対話を呼び戻すような効果があるらしい。
こんな時代、だからこそ、神への畏敬とか、自然に内包された小さな人間という命、
とか、自分を愛することが他人や地球という生命までも愛する・・という天地自然の理
みたいなもんを、大事にしなさい、ということだろう。
薬というのは、横文字でケミカルな響きのするものでは本来ない。「草を食べると楽になる」
ということだま。まわりにある植物たちが、「わたしを煎じてみて」と言ってくれているかもなんばん。感謝。

ロードパーク 女の浦(めのうら)

ネットで「絶メシ ロードパーク女の浦」
で検索すると、でてくる。
今月のはじめ、常連さんに「昨日、テレビで志賀町のレトロな食堂がでてました」
と教えてもろうた。「絶メシ」・・・絶めつしそうな、絶品メシを紹介さる番組だそうな・・

志賀町のユルキャラは「あかりちゃん」。福浦港というところに
日本で一番古い木造の灯台があり、それがシンボルになった。
その港の近くに40年続くそのお店がある。

今朝は、そんなことをブログに書こう、としていたら、途中で操作ミスで
白紙になった。これから畑仕事の約束があるので、もう一度書く時間がない。。

そこのお店の名物メニューが「能登ラーメン」。地元の漁師さんから調達する海の幸
がいっぱいのってるラーメン。

とにかく「一汁一菜 お茶 海藻 発酵食」
がこの時代を生き抜くポイントのような気がする。

今朝はどんよりしているけど、☂はあがった。
種まきの日。

おたまじゃくしが生きてる・・

昨日は梅茶翁へ・・・
能登の天真庵は「志賀町」にある。売茶翁は
能登町にある。正確な地名は瑞穂(みずほ)。日本のルーツ
のような地名だ。梅林のとなりに、田んぼが棚田のように広がっている。
その言霊どおり、そこでは米をつくっていた。

今回はその一面に、湧き水を流し込み、その水が淀まぬように、下に流し
ながら、無農薬・無肥料で米をつくろう、という試みを始めた。
一部、せき止められた田圃の水たまりに、おたまじゃくしが元気に泳いでいた。
隣の梅の木の頂に、ホオジロがとまって「一筆啓上仕り候」と春を告げるさえずり、とんびがその
上を飛んでいる。
里山のいつもの春の情景だ。

昨日は、田んぼをつくるために刈った雑草をあつめ、古民家にあった本畳をつかって、温床を
つくる・・・という作業をやった。総勢7人で一日かかりで、肉体労働をやった。

7人。3人家族が二週間ほど、売茶翁に居候している。イギリス人のユーリさん家族。
東洋医学のお医者さん(鍼灸や漢方)で、奥様は日本人で、日本に仕事を兼ねて来てたのだが、
今回のシンコロさん騒ぎのため、自国へ帰れなくなり、能登にしばらく滞在することになった。
例えは悪いが、大潮で引き潮になった後に、岩場に残された魚たち、のような感じ。
夫婦でお医者さんさんなのだが、ロンドンから車で4時間くらいの田舎町に住み、自給自足を
しながら、暮らしているらしい。仲間の医者たちも、その町には住んでいて、トレーラハウスを
改装し、ソーラパネルなどを自分で設置し、ガス・水道・電気をひかずに、エナルギーまで自給自足
しているらしい。

ということで、彼らがイギリスの田舎町でつくっている「温床作り」を伝承してもらった。
口でいうと簡単だけど、草を刈り、落ち葉を熱め、竹で杭をつくり、梅林のあたりまで本畳を運び、
畳のプールみたいなものをつくる。夕方になると、ブヨがみんなを襲う。なかなか重労働だけど、みんなで汗を流し
、昼ごはんはしんごちゃんが朝漁でとってきたアジをさばいてフライにし、イカをマリネと甘辛煮にし、
庭でとれた筍を若竹煮にし、玄米ご飯を炊いて、庭のアウトドアで食べた。
イギリスの伝統料理に「ドーバーソウル」といって、カレイのフライがある。ユーリが「くらべものにならない」
といって、うまそうに食べていた。魚を30尾くらい捌く時、一尾を醤油につけてつまみ食いした。厨房の中を見回し、
日本酒を探す、ほど筆舌を超えた鯵の味。

奥様は日本人。「どこのおくに?」と聞くと、「福岡」という。「の、どこ?」というと「おりお」
という答えが返ってきた。折尾、昔電車がはじめて通された時、「次はおりお おりお」
という駅員がアナウンスしたら、みんなが降りた、というエピソードがあり、「かしわめし」の駅弁が
有名。東筑高校という高倉健さんの母校もある街。

ぼくらが小学校のころ、どこのプールも、冬の間はそこで鮒(ふな)をかっていた。
そして、プール開きの前、みんなでフナ釣りをし、その後プール掃除をする、というのが
ならわしだった。きまって、校長先生が最初に泳ぎを披露する、という儀式もあった。

なぜだか知らないけど(今はきっと、安全面とかで中止になっていると思う)、折尾のとある中学
のプールでは、夏が過ぎて、次の夏まで、そのプールが市民に開放されていて、鮒釣りができた。
「釣りは、鮒釣りで始めり、鮒釣りでおわる」という格言がある。ぼくも小学校4年の時、自転車を
こいで折尾で降り、鮒釣りデビューをした。先輩のおじちゃんたちにに、えさ(みみず)のつけ方や、ポイントを聞く。
北九州の子供たちは、そうやってみな太公望の洗礼をうける。丘釣り専門の道をゆく九州男児もいるけど・・

この春小学校2年生になるななちゃんが「釣りをしてみたい」といった。
今回は天気が悪いので(今日からしばらく雨模様)、「来月また会えたら、釣りにいこう」
と約束。釣りを教えてもらった土地で生まれたママのDNAを受け継ぐ女の子に釣りを伝授する・・
これもまた今回の「神のはからい」のひとつ、なのかもなんばん。感謝。