能登くらし 二日目

昨日はブログを書いて、本を読みながら角のハイボールを
飲んでいたら、すぐに眠くなった。
「うめ星」を枕の下に置いて寝たら、ぐっすり眠れた。朝6時に目覚ましのように
この集落では「さざえさん」とか冬はホワイトクリスマスのような曲が流れる。
今朝は気が付かなかった。夏は網戸にして寝るし、外が明るく、しかもじいちゃんたちが
「朝まずめ」を狙って釣りにいくのでカブ(本田のバイク)の音、伝馬船の舟(小さな釣り舟)の音で目が覚める。

今日は「プラスティックごみの日」。東京と違って、分別ゴミの分別が細かい。
人口の数も違うので、焼却炉の性能もちがう。あたりまえの事だけど・・
田舎暮らしをするようになって、ゴミの出し方、洗剤の使い方なんかも、こころ
を使うようになる。自前で合併浄化槽を作ったけど、「なんでもOK牧場」のような都会
の生活とスイッチしなくてはと思い、油ものはまず、「端切れ」でふいてから洗う。
これだけでも洗剤、お湯、水を使う量がずいぶん違ってくる。
二月は、東京では洗剤を一滴も使わない。同じように、カレーとかブレンダーなどにつく汚れは
まず「端切れ」で拭く。そして「大豆の煮汁」(2月は味噌作り)をペットボトルに入れていて、
それを洗剤替わりに使う。手も荒れないし、環境にもやさしい。

コロナ騒ぎで、能登でもマスクが売っていない。
群集心理で、トイレットペーパー、ティッシュ、マスク、食料も買占めが顕著。
311の時と同じだ。でも今回は、世界規模で感染が広がり、長びきそうなので、
これから「資本主義の終焉?」みたいなことが日常になってくると思う。
買占めの後に、お金がなくなり、銀行にいくと長蛇の列。つまり「取り次ぎさわぎ」
も起こることもあるかも。1946年に我が国でも「預金封鎖」がおこり、銀行に長蛇の列ができた。
「戦争」という事態で、金持ちたちの財産にも税がかかり、「平成」のように、「みんな横並び」
な時代だった。ハイパーなインフレになると、お金を持っていてもしかたないよ。
今のうちに、お金があまっている人は、縁のあるお金をもっていない人に、くばるといい。
はっきりいって、コロナの前から「世界大恐慌」に入っているのではないかと思う。
今回は、世界規模なのと、金融のシクミがデリバティブやらレバレッジなんやら、「現実」とは乖離された
ものが多くなったので、、どれだけの規模になるのか、金融機関の優秀な人たちでもわからないんじゃなかろうかしらん。

でも国の財政が破綻しても、そこに住むぼくたちは、生きていかねばならない。
お金が銀行にもなく、財布の中にもなく、お店にいっても、食べものがない。
ないないずくしになる日も近い?
でも、今全国には1000万戸近い空き家がある。「空き家バンク」なんどを検索しても、
全国津々浦々、素敵な空き家がいっぱいでてくる。「老後の終の棲家にいいね~ ボリボリ」
と見るのもいいけど、そろそろ、「今ここ」で決断を迫られるようなことになるかもなんばん。
限界集落の不動産屋に長蛇の列が・・・そんな光景は非現実的な空想みたいな気がするだろうが、
「今の東京で自給自足できますか?」という問いに、答えが窮したら、「今」ということになる。

今朝、朝ごはんを調達しに海で釣り糸をたらしていたら、IT企業の社長で、農業法人の社長でもあり百姓をしている友達
からメール。「資本主義が終わったので、自然塾をはじめよう、と思っています」とのこと。
新しい「松下村塾」ではないけど、「寺子屋」で、「これからの時代の生き方」を学ぶような時を
迎えている。あせることはない。みんな持ち時間は、一日24時間。土を耕したり(仕事をして)、飯を三度喰って、くそして、
そして陽が落ちたら布団にはいり、ときどきエッチして・・・寿命がきたら、あの世に帰っていく。
一生のうちに「ふたつの時代を経験できる」と思ったら、今の時代に生きていることに、感謝。