昨日の朝は「卵かけごはん」だった。今日は3月10日。東京大空襲で10万人が犠牲
になった日から75年。その年に今の天真庵の建物が建った。うちの建物も75歳。
わたくし事だけど、うちの母親も本日88歳。隕石の「勾玉」をおくったら、電話があって
「これ身に着けとったら100までいくばい」とのこと。どちらが先か・・競争になりそう・・
2011年の3月11日に大震災があった。
その年の春から「月曜の朝は卵かけごはん」になった。
味噌作り教室が始まったのも、その前かそこらの2月。
はじめは、ねんど教室のまいかさんが「やってほしいわ」と関西弁でつぶやいたのがきっかけ。
今はそれが98人になった。継続は力だ・・
昨日の「卵かけごはん」は、常連さんがいつものカウンターの「自分の席」に座って、
いつものように10時に終わった。それからいつものように香取神社にお参りし、
オリンピックで買い物して、お店で珈琲を入れ、新聞を読んだりしていた。
11時半くらいから、いつもは誰も通らない「うらぶれ十間橋」に、見知ら顔の人がいったり、きたり。
11時50分くらいに、店の前に自転車がとまったり、並んだり・・・あまりもたもたすると「行列ができるお店」
だと勘違いされるので、少しはやめにのれんを出す。やはり5分で満席。
そして2時くらいまでそばが完売。後の5時間は、ほらふきの政治家状態?「ゆー(そば湯)だけ」。
かたずけが終わって、能登に出発。高速道路もコロナさまの影響?すいすいやった。
佐久平で仮眠をして、松代で朝ごはん。昼前に「ころ柿の里」という道の駅につき、温泉に浸かる。
やはり「コロナさま」の影響で、いつもより空いている。樽風呂のある露天風呂でBGMのクラシック音楽
を聴きながら「これからの日本、世界はどうなるんやろ」と思う。10分くらいうつらうつらしながら空を見上げて
いたら「どうにかなるさ」と思えてきた。焦土となった地獄から、みんなで歯をくいしばってがんばってきた日本人のDNA
が、いざ、という時に大きな力になるに違いない。
風呂からあがって近くでタコ焼きやをやっている集落のおばちゃんのとこへいき、「タコ焼き」を買う。
そこで「おかえりなさい」と言われて、いつも「かえってきた」という気持ちになる。
能登の一日目は、「料理をしない。即飲みの日」にきめている。
そのたこ焼きとハイボールを飲みながら、このブログを書いている。
おばちゃんの話では、金沢の市場もガラガラ。北陸新幹線もガラガラ。能登の観光も影響を受けてきた、ということだ。
どこにいて、どんな仕事をしていても「世界的な規模で、自分の仕事のあり方、や、生き方」を考えなくてはいけないということだ。
なにか神様の大きな「はからい」があるに違いない。地球も大きな「記念日」を迎えつつあり、ここらまた10年、50年、75年
・・・とみんなで紡いでいくのだろう、きっと。感謝。