チャップリンとプッチャリン

水曜日・木曜日も朝から晩まで「菌活の会」(味噌作り)だった。
96人中の70人くらいまで、いった。

昨日は、この春から大学生になるみくちゃんが味噌作りに初挑戦。
彼女は幼稚園にいく前から、おばあちゃんやおかあさんに連れられて天真庵の常連さんやった。
小学校時代は「ねんど教室」を、お年玉から捻出して「自腹」で寺子屋に通った。
勉強の後の蕎麦会は、周りの大人が酒を飲む席で、おなじ目線で、アキバの事情や、
恋愛やファッションの話をしていたのが印象的。

10年くらいのある日「わたしが二十歳になったら、デートしてあげるね」といってくれた。
「どこいこか?」というと「押上文庫」と答えて笑った。
そのころは、まだサンタクロースがいるものだと信じていて、クリスマスの前日に
母親が天真庵に自転車を預けにきた。(次の日、彼女の枕元に運ぶために・・)
大人の10年と子供の10年というのは、密度が違う。
お祝いに勾玉をそっとあげた。受け取る手のマニュキアが「女」になっていた(笑)。
姪っ子の「ゆず」もこの春大学生。「墨田ぶらり音楽祭」の時、ふたりが
おそろいできた「Tシャツ」はSだったけど、あのころはワンピースになっていたな。

古本屋で「独居老人スタイル」を見つけた。都築響一著。スナックの本などは読んだことがある。
パラパラとめくっていると「プッチャリン」(道化師)が紹介されていた。
僕と同郷でしかも、今は両親とお兄さんが「日の里」(ぼくと星の王子のふるさと)
に住んでおられる。天真庵にも「チャップリン」の姿できたことがあるし、すっぴん?
でこられたこともある。「玉ちゃんを偲ぶ会」にもきてくれた。こころやさしき道化師である。

本屋の近くの京島西公園で、プッチャリンの編を読む。母から手紙がのっていた。

「日の里にもどってきて」と3度も書いてある・・・ジーンとくる。

母親はいくつになっても子供の母なのである。子供から見てもいくつになっても母で
、痴呆になっても、寝たきりになっても「生きていてほしい」と思うのである。
ふるさとから東京にくる出発点から「ノマド」の旅が始まる。「放浪者」。
♪線路は続くよどこまでも、ように、人生が「線」でつながっていたならば、みな最後は「ふるさと」を目指すと思う。
でも、「線」ではなく、「いまここ」の刹那の「点」でできている。だからある意味、毎日が一生で、生・滅・生・滅
の繰り返し。だからお金や名誉とはほどおおい人生でも「自分らしく生きる」人が輝いていると思う。
チャップリンになれなかったばってん、プッチャリンとして生きた彼に、拍手をおくりたい。
浅草でそんな道化師を見かけたら、よろしくね。

コロナのおかげで「テレワーク」(これもある意味・ノマドスタイル)というスタイルが流行しそう。
会社なんかいく必要ないし、働く場所や生活する場所を「ここ」と決める必要のない時代がきた。みんな「ノマド」やねん。
小さな細菌(ウィルス)が、いろんなことを教えてくれる。

2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

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