ヒカルランドな詩人

先日のブログを読んで、星の王子からショートメール。
「ブログありがとうございます。発売日は2月12日です。」とのこと。
今週本屋に並ぶことになる。字は大きいし、わかりやすく「隕石」とか、
「隕石をもつようななって変わった人生」などが、本人と縁ある人たちの
体験談が語られていて、おもしろい。

彼のプロヒールを読むと、「愛媛県松山・・・」とある。お父さんが証券マンで
転勤族で松山で生まれ、上海で小学校・・みたいな経歴。彼のおじいちゃんは、宗像出身で
お父様もそこで生まれ育ち、はじめてうちにきたときに「田舎は?」と質問したら
「福岡県宗像市日の里・・・」まで一緒であることにびっくり。ヒカルランド系の人たち
に限らず「シンクロニシティー」と叫ぶだろう。ぼくも60年生きてきて、東京で日の里
までいっしょの人は初体験だし、王子もそうだった。
彼の実家はぼくの毎朝の散歩コースやった。その界隈にいくとピアノでショパンやラフマニオフ
などの曲が流れている。その時知ったんだが、彼のおばさんのピアノ。
宗像大社の神域で聴くピアノは、神の音そのもの。宗像大社のあるとこの港を「神湊」(こうのみなと)
という。

今朝の「天声人語」は、中原中也のことが書いたあった。

「汚れつちまった悲しみに今日も小雪が降りかかる」
青春の切なさを詩につむぎ、昭和の初めに亡くなった中原中也・・・(略)

真っ白い雪と、汚れちまったの対比がいい、といつもこの詩を読んで思う。
彼の親戚筋の末裔人が天真庵に時々こられる。ええとこの凡(お医者さん)だった彼は、
家を継がせるさめに京都に遊学させるのだが、放蕩をつくしだった。
だいぶ家や親戚に迷惑をかけたらしいが、「美しい詩」が残った、という話やった。
「汚れちまった」に、家の期待にこたえれない無垢な「白」を感じる。
今日日の政治家や官僚やその利権に群がる族たちの「汚れた性根」とは、似て非なるものだ。

ぼくが通ったころの立命館は、京都御所の横にあった。今は衣笠や琵琶湖や大分にキャンパスがある。
昭和51年ころ、キャンパスの近くに、学生御用達の「中島食堂」というのがあった。そのはす向かい
に酒屋があり、そこの二階で中也が有名な女優と同棲していた(昭和のはじめ)。たぶん今は建物もなくなって
いると思うけど、コロナ騒ぎで静かな京都にいってみたい気になった。

「これが私の故里(ふるさと)だ さわやかに風も吹いている(略)ああ おまえは何をしてきたのだと・・・
吹き来る風が私に云う」・・・という彼の代表作の詩も天声人語の結びに紹介されている。

「星の王子」の自伝のような本を読み、彼の隕石との出会いのところがあった。
全財産の所持金が3万円。「ああ、おまえは何をしてきたのだと・・・」そんな気持ちだったのではなかろうか?
スタバ(これが天真庵ならもっといい)で隣に座った見知らぬおばあさんに「あんた、隕石を商売にしたら・・」
と声をかけられ、全財産を隕石に変え、そこをスタートにして、銀座に店を出すまでの話を読んでみると、
彼の天真(もともとあった魂 家庭の環境や教え)は、しっかりしているな、と痛感した。
来週あたり、本屋に並ぶと思うので「ああ、おまえは、これから何をしていくのだ・・・」なんて迷っている
人は、買って読んでみてください。これからの「ヒント」がいっぱい。        感謝。

今日は日曜日なので、16時まで。それから「蕎麦打ち教室」「味噌つくり」
二階は「満まめの会」(気功整体)

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