恵方巻とこれを呑めば、令和の開運間違いなし!

昨日は「立春」。春が始まる日だ。この日は、東砂の「リカーショップ杉浦」さんが、栃木の蔵元「開華」
にいって、その日に神主さんを呼び、新酒を詰め込む「立春朝搾り」を蔵元にいった足で運んでくれる日。
よその蔵元にも同じようなものが伝達していったけど、ここが元祖で23年目になり、「令和の立春朝搾り」
ということになる。さっそく一本をあけ、「わびすけ」という酒器に汲み、神棚に手向けた。

昭和58年ころ、南砂のマンションに住んでいた。会社が秋葉原にあったころ。車で通勤していたけど、
その当時のアキバの駐車場が月5万くらいやった。今はもっとするのかな?秋葉原の15坪くらいの会社が
借りていた部屋の家賃が15万くらいやった。南砂のマンションは2LDKで12万くらいやったかな。
そのころ株式会社を興すのに、最低資本金が確か1000万。27歳の「かたぎ」の青年にそんな貯金
などあるはずもない。知り合いの「まっかっか(大赤字)」で休眠していた会社を受け継いで始めた。
そのころの信用金庫には、信用をつけるまでに毎月「返済」と同じくらいの「積み立て」をやるのが「ならわし」
やった。毎月返済20万プラス積み立て20万。それに、人数は少なかったけど、社員の給与。若かったけどよくやったもんだ。

アキバの事務所の住所が「外神田」。神田明神下あたりや、アキバにも、ちょっとした小料理屋や居酒屋が
まだあった時代。地方からお客さんがくると、須田町の「ぼたん」あたりで一杯やって、向島あたりで、
仕上げ、そこに泊まっていったり、そのまま南砂にもどったり・・・いい時代やった。
取引先にエプソンさんなんかがあり、そこのえらいのが大島(西?)に住んでいて、大島界隈の一杯飲み屋で飲んだりしてた。
昨日きたピザ屋さん(クアトロフォルマッジが美味いらしい・・舌かみそうなメニュー)は、西大島あたりに、エスプレッソのお店を開店させた、とか・・・
南砂にいたころも、「大島」が、「どこの島」くらいにしか認識がなく、今では歩いていけるくらいの距離なのに
「大島」がどこの海のどのあたりに浮かんでいる?くらい頭の中に地図情報がない。つまり、先天的な方向音痴なのだ。縁のある土地。
もちろん、行きつけの向島の料亭跡?も、皆目見当がつかない。たぶんマンションかなんかになったんだろうけど・・・

料亭で朝飯を喰っているとき、齢80超えの名物女将が「若いのによくがんばっているわね」というので、「なんかむなしいような・・」
と答えたら「むなしい が遊びの真ん中にあるのがよろし」と言った言葉だけが、残っている。男の遊び場が、それからスナックでカラオケ
やったり、キャバクラのねえちゃんをおっかけたりする時代に変わっていったけど、尚古主義よろしく昭和な気分で毎日を過ごしている。
遊びの中には、文化を育む土壌がいっぱいある。お金もかかるし、芸事を勉強したり、努力も必要だけど、むなしさの後には実りもいっぱい。
生まれた年1956年にニューヨークで出版されたフロムの「愛するということ」にも、「恋愛とか家族愛とかは、経営といっしょで、努力
しながら築いていくもんや」と書いてある。不朽の名作。

今日も「味噌つくり」・・・・「カナタ」の家族のなくなったご主人と同じ音大出のアーティストであり、お茶のもとお弟子さま
ほか、今日は5人が菌活にやってくる。先日菌活にきた女子の夫くんは、じんじんさん。ブラジル音楽のギタリスト。
みんな、いい音楽をきかせながら味噌をつくっている。29日のバンドリンとサックスのアーティストとも旧知の仲だった。

2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

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