Samい夜に「I am Sam 」を観る

昨日、能登の家にきた。ただなんとなく、東京と能登の二か所で暮らしているのではない、
ということが、だんだんわかってきた。若いころのように「目的」をもって生きていない分、
「無為」というか自然体で「生かされている」ことを感じ、自然やまわりの縁ある人
たちとの「ふれあい」に感謝する気持ちが強くなってきた。すると不思議な縁が無限大で広がってくる。
これを「無為自然」という?

途中富山のサービスエリアで「富山新聞」を読んだ。一面は地元の関脇「朝之山連勝発進」だ。
そしていつものように和倉温泉の総湯につかって、旅の疲れをとる。いつもバロック音楽
がBGMで流れていて、ここで静かにお湯につかっていると、自足、というか「何もいらない」
気持ちになる。新宿からも深夜バスがでている(7000円くらい)。入浴料が440円。
キャバクラやスナック、ヘルスなどにいくお金と暇があれば、いつでも気楽にこれる。
その後、近くのカフェで「北國新聞」を読む。一面は「遠藤、連日の金星」が一面。
東京にいると、「地元贔屓」の意識がうすれる。いまだに地方では地元の力士の一戦一戦に一喜一憂する。

「富山新聞」と「北國新聞」・・・その日の一面の下にある、朝日新聞の「天声人語」にあたる「字鐘」
というところが、同じことに気づいた。つまり、同じ系列の新聞社なんやね。
二度読んだので、だいたい頭に入った。こんな内容だ・・

「「ビールは初恋に似ている」・・・一敗目のビールのおいしさに比べると、二杯目三杯目の満足度が下がる。
経済学では「限界効用」とうそうだ。確かに初恋は苦い。だが鮮明に記憶されて、甘い思い出になる。二番目・三番目とは比較にならない。
・・・社会と個人の関係も一杯目が難しい。世の中には学問で説明できる
こととできないことがある。これも酒から学んだ。」そのような文やった。

反論はしないけど、今から思うと「どれが初恋」・・というくらい遠い昔話で、二番目三番めのほうが思い出深いし、年をとり「老いらくの恋か?」
になる境地の恋も、ビールの抜けたような若いころの恋の味よりも、よっぽど素敵なような気がする。これも、若いころの心は自分の目的にとらわれすぎて
いるけど、壮老年期の恋は目的から遠ざかって柔らかい。プラトニックで、片道キップのゆるやかな秘め事が多くなるが..

昨日の夜は、たこ焼きを酒肴に、角の炭酸割を飲みながら、PCで映画を見た。「I am Sam 」
囲炉裏の炭とウィスキーで暖をとりながら映画を観るのも粋なもんだ。アマゾンプライムなるサービスで
O円(Free)で見れた。その映画で辣腕女弁護士がFreeで、知的障害のある主人公を
弁護しながら、「ほんとうの親子の愛」というものを反対に学ばせてもらう・・そんな映画やった。
ユングじゃないけど、人はみな♀(アニマ)と♂(アニムス)の両性具有。それをお互いにバランスよく調和
させながら生きている。これを「おたがいさま」という。親子の関係もしかり。
「たこやき&ハイボール」との最高のマッチングとぴったりの映画で、エンディングの時に
角も空っぽになった。これも「色即是空」か? 映画の後半の犬たちのふれあいも素晴らしい。

鈴木大拙にこんな言葉がある。

野中の一本松が雨にぬれて、しょんぼり立っているのを見て、これに傘でもさしてやれぬかと憐れむ。
二階に寝かしておいた子猫がどうしたものかと気にかかるので、階段の下まで来て耳をすまして、様子を
聞きとらんとする母猫の真剣さ...これらがいずれも大悲の本願から出ている。
この本願にしたがうのが道である。

さすがだ!感謝。

月曜の朝は「卵かけごはん」明日からしばらく能登休み

昨日は日曜日だったので、16時にお店を閉め(実際は二階で満まめをやっていたので19時まで)て、
一階では「そば打ち教室」。そば打ちにくる人の半分以上は以前は「無茶しぃの会」という煎茶の教室
に通ってきてた。いろいろ考えることがあって、突然無茶しぃの会は、緞帳を下げた。
でもほんとうは、「人をもてなすひとたち」には、お茶のこころを知ってもらいたい、と思ってはいる。
蕎麦打ち教室も、「そろそろ」かなと思っている。それがお弟子様たちに伝わるのか、みんな真剣味が増してきた。
昨日は、お茶をまじめに学んでいたお弟子様が、久しぶりにそばを打ちにきた。この界隈でシャエハウスの経営を
やっているボンで、その関係で知り合いになった女性セラピストふたりを同伴してやってきた。

ボンが蕎麦打ちをやっている間、セラピストさんたちは「うめ星」や隕石グッズ、元気シールなどに興味を示した。
盆と正月よろしく、年に二度くらいしか蕎麦を打たないボンのそばがなんとか出来上がった。
セラピストのひとりが、「うめ星」を買っていかれた。6900円。蕎麦打ち5500円。見学したほうが多く出費。感謝。

この春に、近くに「大学」と「専門学校」ができる。このへんは「木密地域」(狭い場所に木造の古民家が密集している)として、今後発生するであろう首都直下型地震の
折に火災で多くの犠牲者がでるといわれている地域。ボンたちは、それが取り壊され、「普通の街」になりさがっていくことを危惧して、取り壊されそうな長屋などを
改修しながら、シェアハウスやシェアオフィスなどを経営している。ふたつの学校の学生の半数近くは「外国人」だと予想されている。

正月早々に中東が危うい雰囲気になってきた。キリスト教もイスラム教も同じ神様を主にする一神教。
でも「十字軍」の時代から、戦争や紛争が絶えない性(さが)みたいなもんを根っこにもっている。
日本を含め、今後難民を受け入れたりすることが必然になる。銀座や浅草も、歩いている人の半分以上は外国人。
京都や金沢もしかり。鳥瞰図のように上から眺めてみると、「世界中がシエアハウス化」しているようだ。
宗教や習慣の違う人たちが、同じ場所で暮らす。肝心なことは「相手のことを許す」寛大さ。
テロリストの幹部を殺したりしても、問題は何も解決しない。

今年の大河ドラマは「明智光秀」らしい。テレビは数年見ていないけど、これは見たいと思っている。
光秀が築城していた場所(京都の亀岡)は、今は「大本教」の本部になっている。光秀も大本も、歴史的には「逆賊」のようなレッテル
がはられている。今年は「大河」の影響で亀岡にいく方も多かろう。ミーハー感覚で行っては見えないかもしれないが、
この地に城をつくり、その後宗教の本部にしたふたりの素晴らしき人間性があふれているところ。かのジョンレノンも
「終の棲家」は亀岡が第一候補やった。今でも予約がとれないので、教えられへんけど、亀岡にいい店がある。
そこで亀岡の地酒「この花さくら」を飲むと、光秀と茶会をしているような気分になる。彼が本能寺の変の前
に開いた茶会で読んだ一句が残っている。たぶん大河ドラマでも紹介されるだろう。

時は今天(あめ)か下しる五月哉(さつきかな )

「天下」をとろうという意味が含まれる、と後の人は読み解いた?つもりでいるが、
彼には、そんな野心はなかったんじゃなかろうか・・・?              感謝。

満まめの会 こころ見つめる日。

今日は「満まめの会」 まーくんがやってきて二階で「気孔整体」をやってくれる。
4年くらい前、ぎりぎり五十肩(今なると六十肩)になった時に、「向島にすごい整体師がいる」
ということをお客さんに教えていただき、すぐにチャリンコにのって整体を受けた。その日は、体が軽くなって、チャリンコをそこに
忘れて、スキップしながら帰ってきた。長く蕎麦打ちをやっていると、猫背になりやすく、背中の筋肉がやたらに発達したりして、普通から遠ざかる。
彼の整体を受けていると、呼吸の仕方や歩き方、毎日そばを打つ前のストレッチの仕方などのアドバイスを受け、何とか五十肩を克服し、
元気な六十代を迎え、毎日朝から蕎麦を打ち、酒は飲むし、たまには養生訓よろしくハグをしたり、謳歌している今日このごろ。

まーくんは、生まれつき目がほとんど見えない。でも勉強家なので本も読むし、酒場もいくし、このブログも読んでいるらしい。
ときどき、目の調子が悪く、病院で「完全に見えなくなる」と言われたりすると、絶望して、酒びたりになったり、夜中に
電話がかかってきたりしていた。生まれつきまったく見えない人と、途中から見えなくなる人、後者は絶望の淵にたたされ、自暴自棄
で自死の道を選ぶ人も少なくないらしい。何度か酒気帯びで整体をするような日もあった。そんな日は終わった後に、立っていられないくらい
ぼくが真剣に怒ってさしあげた。そのたびに「しばらく休業」ということも何度かあったが、今でも月イチで、なんとか続いている。
ブログには書ききれないくらいデリケートな心理学みたいなものも学ばせてもろうた、ような気がする。

神谷美恵子さんという「すごい坊さん」みたいな人がおられた。お医者さんであり、心理学者であり、英文学や哲学書の翻訳をし、長島愛生園でらい病患者さんたちとふれあい実践と思索の日々。一人の女性として、また市井の生活者として、苦しむひとや悲しむひとの傍らによりそい「日常茶飯」のことを、書き続けた人だ。
木曜日、突然かっぽれが休みになり、時間があったので、彼女の代表作の「生きがいについて」を読み直した。
1966年に7年かけてできた本なんだけど、まったく古びていない。まだパソコンもスマホもない時代にこのような文を残した。
「令和のバイブル」になるかもなんばん。

「現代日本の社会、さらには現代文明と人間の生きがいの問題は今後ますます大きくのしかかってくるであろう。
現代文明の発達はオートメーションの普及、自然からの離反を促進することによって、人間が自然の中で自然に生きるよろこび、
自ら労して創造するよろこび、自己実現の可能性など、人間の生きがいの原泉であったものを奪い去る方向に向いている。
どうしたらこの巨大な流れの中で、人間らしい生き方を保ち、発見していくことができるのであろうか」

ひとごとではない、昔のことではない、「今ここ」に生きる人すべてが真剣に考えるテーマがいっぱいつまっている。感謝。

白鳥(しらとり)は悲しからずや

白鳥は悲しからずや 海の青 空の青にも 染まず漂う。 福岡出身の北原白秋のうた。

孤独ではなく、孤高な感じがして好きだ。日本で初めて唱歌をレコード化する時、時の文部省が
白秋先生にお願いした。「先生(シェンシェイ・・福岡弁)、歌にのせるけんが、語尾を削ったり、変更する可能性がありますが、どげんですか?」と
打診すると、「わしの詩は、一語一言に魂がこもってるけん、そげなこつしたら、腹かく(腹立てる)バイ」
といって断られた。困った文部省は、あきらめて西条八十先生に頼んだ。
八十先生は「いいよ、なんぼでも変えてあわせてあげる」という融通無碍な返事をした。
そうして「カナリア」が日本はじめての唱歌のレコードになったらしい。
その後、青い山脈、蘇州夜曲、同期の桜、王将など、唱歌から演歌、軍歌まで幅広い世界で作詞をされた。

先日、味噌作りの人たちに、いっせいにメールをした。「今年やりますか?」「大豆の種類・麹の種類」「何キロやりますか?」
100人以上の人から、ぞくぞくと返事がくるので、筆子さんはその集計やスケジュール作りに躍起な日々。
ラインなんかを駆使して、便利な時代になったけど、なんかその便利さに振り回されている感も否めない。
この季節、そのメールの返事を兼ねて、距離に関係なくお店に新年の挨拶にこられる人もあまたおられる。

昨日は「群馬」と「金沢文庫」から毎年味噌つくりにくる人が、わざわざこられた。
群馬の人は、正確には埼玉で、ご主人が5年前から群馬の里山にセルフビルドで「終の棲家」を
つくっておられる。もちろん、基礎や屋根や水回りは業者に頼んで、壁とか床とかをDIYでこつこつ作ってておられ、
やっと完成した、とのこと。狩猟の免許を採り、罠をしかけたらイノシシがかかった、とのこと。
はじめてのことなので、とどめをさすのに躊躇して、鉄砲の弾を3発使ったらしい。急所に命中できなくて
悲鳴をあげるイノシシの声を断末魔のように感じたらしい。猟友会など、各地にあるけれど、みな高齢化のため、
「技」がうまく伝承されていくのを拒んでいるようだ。これからそんな「技」が大事になってくる。
明治政府が、徴兵と徴税のために、山に住む人たちを都会に住まわす作戦をたて、人は都会で過ごす
ようになった。その延長が「東京一極集中」の今のかたち。一度便利な暮らしを手にいれると、田舎暮らし、
自然とよりそう暮らしに戻すのは、きわめて難しい。これからの日本に一番大切なところが、あやうい。

「金沢文庫」の夫婦はぼくらの子供みたいな世代。ふたりの結婚の保証人をさせてもろうたり、三々九度の会を
親戚あつまってした会も、二階で「普茶料理」をしながらやった。「NUSUMIGUI」というファッションのブランドで
大活躍されている。今年は能登でいっしょにキャンプする予定だ。その業界は不況も真っ只中だけど、彼らは
「ファッション」という定義を、服だけでなく、キャンプや釣りをしたり、「生き方」「暮らし方」そのものを提案していて、
若者のこころをつかんでいるようだ。いっしょにきた「OSAKENTARO」も、今日から近くの長屋スタジオでイベント。
彼らは全国区で活躍中。

まだまだ子育て最中のママさん、孫の世話でてんやわんやのおばあちゃんたちも、日程や材料の打ち合わせに
こられる。夜は「英語でそば会」やった。その前にヨーロッパから留学されている若い女性ふたりがそばを
手繰りにこられた。「海外のウェブに天真庵が紹介されていて、今そばにはまっているので江戸川区からきました」
と流暢な日本語でのたまわれていた。英語の先生家族も毎年味噌作りに家族で参加される。みんな家族や。

みんなこの大都会の中で、白鳥に負けないくらい、子育てやら親の介護をしながら、生き暮らしている。
ぼくらも自分たちの子供はいないけど、子供や孫たちが、名前も覚えられぬくらい増えてきた感じがする。
そのうち、今日食べたものもわすれ、常連さんに「はじめまして」といったり、改札にパスモのつもりで
診察券などをかざすような日が、すぐそこにきているような気もする。そんな忙しさにかまけて昨日はメールの
返事もだしそこねた。

今朝、山村暮鳥の詩を思い出した。明治生まれの詩人。「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」
というイメージのペンネーム。童話作家でもあった。

よくよくみると
その眼の中には
黄金(きん)の小さな阿弥陀様が
ちらちらうつっているようだ
玲子よ
さつきよ
おとうちゃんと呼んでくれるか
自分は恥じる

*子供の天真にふれながら、親として居ずまいを糺したり、子供の未来
を夢みながら、もろもろな問題にもがいている。でもひたむきに前に進んでいる「親」の姿勢が素晴らしい。
人生は今今今・・・・の数珠つなぎ。 人と人との数珠つなぎ。                        感謝合掌。

風が吹くと炭やが儲かる?

中東が火だねになって、第三次世界大戦になる恐れがある。
今年の冬は暖冬で、しかもペレットストーブがあるので、炭を
あまり使わない。二階で「普茶料理」をする時は、京都の樽源の豆腐桶を
使って湯豆腐をするので、その時には必ず炭を使うけど。

ペレットは、東京にはあまり売っていないので、長野のペレット工場に200k
頼んで在庫してある。炭は、旅の途中で炭焼きをしている場所を見つけると、そこに
立ち寄って買ったりする。材料の「木」によって、香りやエナルギーが違っていて、
なかなか奥深いものがある。お茶にも「炭点前」というのがあり、置き方によって
火力や持続時間が変わったりしておもしろい。

まだ炭はいっぱいあるけど、油の値段が高騰しそうだから、いつも買うお店にメールを
したら、「売り切れ」だった。まさか令和のこの時代に「同じような生活」をしている人がいることに
びっくりした。日本人の数は減少しているけど、どこかに同じような人が暮らしているんだ、と思って
少し安堵した。

火曜日の開店前に、スレンダーできれいなひとが、お店の前に並んだ。
12時開店の看板がたっているけど、10分前には開けるので「どうぞ」といったら、にこっとされて「すいません」
といって、窓際のステンドグラスのところに坐った。この席にはじめてきて坐る人は、前世から繋がっているくらい
無駄のない縁で繋がっている人が多い。

「能登そばUFOを食べにきました」というので、「宇宙からきたのですか?」と聞き返した。
笑いながら「新宿からです」とのこと。夏限定なので、「鳥そば」に変更してもらって、だした。
蕎麦を茶人のようにきれいに手繰った後、「ほぼぶらじる」を飲みながら、ぽつんと・・

「わたし 二年前に能登に家を買い、同じように東京と能登のデュアルライフをしております」
とのこと。例のテレビ金沢の映像を見たらしい。「なんで能登に?」「能登で何するの?」と、何百回くらい聞かれた質問を投げかけると、
「取り壊されそうになった古民家にひとめぼれしまして・・」「子供がまだ小さいので、能登には
完全移住するにはいたりませんが、あちらにいくと子供たちも喜ぶのでいずれは・・」
という。うちは子どもはいないけど、能登に子供つれで遊びにくる時の、「子供の顔」が
天真爛漫て印象的だ。「能登のどのあたりの家ですか?」と聞いたら、「志賀町・・・」
「それは、うちから車で10分ほどや」とふたりで顔見合わせながらびっくり。
世の中に、同じ顔したもんが3人いるとはよく聞くけど、こんな稀有な「生き方」を
している人と東京ではじめて知った。

夕方その人からメールが来て、正確な住所と、家の中の様子が添付されている。
グーグルマップや、友人のブログで能登町の「あばれ祭り」の映像まで添付されている。
まだ30代とおぼしき人であるが、「ここに家の鍵がおいてあるので、こんどいかれた時、中をのぞいてください」
とのこと。「シエア」することが、あたり前になった時代ではるが、ほんとうに「新しい時代がきた」と痛感する。
うちの家は海まで徒歩3分。そこの家は、3秒。家も古色蒼然としてるが、調度品や美術品もちゃんと整って
いてやはり美術館みたいな癒し場である。能登がまたまたおもしろくなってきた。

テレビ金沢に紹介されたのに、集落の人たちとお茶を飲んでる映像がある。そこの部屋
は、置き床のところに「木庵」の掛け軸があり、その隣に鎌倉彫の飾り棚があって、そこに
唐津の抹茶茶碗がおいてあって、よく抹茶を点てる。久保さんが土で器をつくり、それに清水公照さん
が揮毫したものだ。小ぶりで「ひとり茶」の時にいい。清水さんは東大寺の館長さんだった人で
「昭和の大仏殿大修理」をなしとげられた「えらい坊さん」だ。生前たくさん久保さんとコラボをしたけど、
こんな言葉を残した「えらい坊さん」。

「自由に生きるって?  歩いてみなはれ」
「息が出入りしているのにフイッて気がついたら、ははっつと納得できるやろが」
「な~んでもないことによ、気がついたら しめたもんや」

ひとりでお茶を飲む時、いつもそんな声が聞こえる。
だまって歩いていても、右足左足と交互にでる。息も意識してなくても吸える。
意識すると宇宙と繋がるような深い呼吸もできる。のどが乾いたら、口から水が飲める。
なんの不足も不自由もない。なのに人間はあれこれ、不満たらたらな毎日をおくっているんやろう。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

味噌作りが始める

今月末から「菌活の会」、つまり味噌作りが始まる。
東京から大分の耶馬渓(やばけい)に移住して、自然農で大豆と米を
つくっているTくんに昨年はお願いして大豆をおくってもろうた。
今年は、あまり収穫できてなくて、同じような農法でやっている友人を
紹介してもらった。この二三年、生徒さんが100人を超えている。
今年も二月は「能登休み返上」で、菌活の毎日。
おかげで、毎朝が「具たくさんの味噌汁」という家庭が増え、終活とは縁遠しの
「健康で持続可能な人生」をおくる軌道にのった人たちがまわりにたくさん。

ぼくも昨年能登の畑に大豆を蒔いた。夏に日照時間が少なかった、ので
思ったほどさやの中に実がつかなかった。でも夏の暑い中で野良仕事を終え、
ビールのつまみに自作の枝豆、というのは、格別美味かった。

昨日は二階で「普茶料理の会」
日本人ふたり、韓国人ふたりの4人。どちらも、誰でも知っているような会社のトップの人たち。
普茶料理とは、隠元和尚が宇治に黄檗山を建立し、「禅」と「食文化」と「書」を広めた中の食文化。
「普(あまね)く、大衆に茶を施す」という意味で命名した「精進料理」だ。
京都や宇治にいくと、専門店がある。派手さはないけど、大皿にのせた料理をみんなで分けあって食べる、
という哲と、茶を中心にした質素だけど健康的な食事、という意味では、食育の原点みたいなものヒントがいっぱいある。
京都のお寺のまわりに豆腐屋が多いのも、隠元和尚のおかげ。もちろんインゲン豆も、そのおかげ。

仏教も儒教などの東洋思想やお茶やお花の文化は、中国から海を超えてわたってきた。
今は、中国とも韓国とも、ガチャガチャした微妙な関係だが、もともとは「根っこ」で繋がっている。
きのうは「お流れ」をちょうだいしながら、料理や掛け軸や茶の文化などを談論風発。
こんな会が広まれば、アジアはひとつになれる。のに。ちょっとした「こころのおきどころ」で、「平和」か「戦争」か
の分かれ道になる。いっしょに生活をする人との関係も、職場の人間関係もみないっしょ。感謝。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

縄文時代にもどる・・・

いややけど、なんやら、また戦争がはじまりそうな雰囲気になってきた。
「第三次世界大戦か・・・」とい懸念が世界中に広がっている。
アインシュタインの予言ではないけど、「第三次世界大戦で核戦争が始まると、
人類がほとどんど生存しなくなり、第四次世界大戦は、石を投げて戦争をしているだろう」。
そんな話がある。家も、石の斧かなんかで、穴を掘り、掘っ建て小屋みたいなものに住む?
また縄文時代か・・?能登の「真脇遺跡」にいくとよくわかるけど、縄文時代にもどると、
国家の単位が「50人」くらいで、一番偉い「長」は、包丁で収穫物を別れれる人がなる。
でも、縄文時代は戦争しなかった。そこまでいくと、武器もいらず、平和という言葉もいらないくらい平和な世界。

「変身」を書いたカフカの本に「『ああ』、と鼠がいった」というのがある。今年の干支だ。

「ああ」、と鼠が言った、「世界は日毎に狭くなってゆく。はじめはだだっ広くて
不安だった。僕は先へ先へと駆け続け、そしてようやく彼方の右と左に壁が見えてうれしくなった。
ところが、この長い壁はみるみるあわさってきて、僕もどんずまりの部屋にいて、しかもあそこの隅には
罠が仕掛けてあり、そこに僕が駆け込んでゆくというわけだ」。「お前はただ走る方向を変えさえすればいいんだよ」
と猫はいい、鼠を食べてしまった。

少しメタボだけど、この鼠が、トランプのような気がする年初。誰にも「エゴの壁」、「自分で自分の居場所をなくす」
ということはある。ある意味、ゴーンも、この鼠かもしれない。これまた太りすぎの鼠や。
「変身」は、主人公が朝起きたら毒虫になっていた、という物語。このふたりは、変身する前から毒虫?
もしかしたら、わたしたち誰もが鼠になる可能性もある、チューことでもある。
どちらにせよ、今年は「大変な鼠年」になりそうだ。チューい、しなければ・・・    

これから卵かけごはん。 夜は「長屋で女史会」 二階では「普茶料理の会」

まだHPにアップしてないけど、月末にニューヨークからアーティストがきてライブ。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

日向ぼっこ

東京に初雪がふった。らしい。今朝のラジオがそのように伝えた。
昨日より3度ほど寒くなるようだ。ペレットストーブの暖かさがこころ
に染みてくる。「火」が見える、というのはまことに幸せなことだ。
ストーブの上には、大根や筑前煮などをのせて「勝手気ままな料理」がいつも・・

ギターの仲内 拓磨 からメールがきて「you tube に日陽(ひなた)をアップしました」
とのこと。彼が天真庵の赤赤と燃えるペレットストーブを題材に、曲をつくってくれた。
「仲内 拓磨  日陽」で検索するとでてくる。昨日は仕事が終わり、それを聴きながら
長野の「天真」という日本酒を飲んだ。

昨日の朝のNHK・FMにアリスがでていた。3人とも古希を迎え、あわせて211歳だそうだ。
ぼんやり蕎麦を打ちながら聴いていたら、なんとなく青春時代(今もそうだけど)を思い出した。
仲内くんが、大阪かどこかで路上ライブをやっていたら、缶ビールを飲みながら千鳥足のおっさんが
「アリスの、「遠くで汽笛を聞きながら」が好きやねん。ひいいてんか」とリクエストされ、
本人はアリス世代でないので「明日までにマスターして、ここで演奏します」と約束して
ホテルでネット検索してマスターし、次の日に演奏しようと思ったら、缶ビールのおっさんはこなかった。
でも「いい曲だな」と思って、その後ときどき演奏するらしい。これも「you tube」で聴ける。

♪なにも いいことが なかった この街で・・・

昨日の話みたいだけど、「生きている」と実感をするのは、平穏無事な毎日より、恋をしたり、
失恋したり、煩悶したり・・・ちょっと苦戦したり、苦労と感じるような日々のほうが、振り返って
みて、「充実感」をおぼえることが多い、ような気がする。
ただ、そんな「思い」は未来に向かって進んでいるほうがいいみたい。
人生の締めくくりを迎えたような人でも、「今ここ」しかないことをしっかり自覚し、感謝すると、
過去も未来も一瞬にして変わってくる。

今日は日曜日なので16時閉店。
明日は「卵かけごはん」 夜は「長屋で女史会」 二階では「普茶料理の会」

まだHPにアップしてないけど、月末にニューヨークからアーティストがきてライブ。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

おやっと思うこと。

福岡の母は、一昨年から施設に入った。妹の嫁ぎ先から徒歩3分の
ところにある。認知はないけど、ひとりで生活するのは、少し心配なので
本人から「いく」と言い出して、そのようにした。でも住み慣れた家を離れて
施設で暮らすことは、「100%よし」という気持ちにはならないようだ。
ぼくから携帯に電話しても、でることがない(笑)気丈な人だ。

昨日は筆子さんの実家にいき、みんなで新年の鮨パーティ。筆子さんの母は、
姪っ子とふたり暮らし。最近認知がひどくなって、洗濯や掃除、食事などが
自分でできなくなり、まわりで協力しながら、病院につれていったり、身のまわりの
ことを手伝っている。「少しマイナー志向なところがある」というのが彼女のまわりの意見で、
一挙手一投足にイライラすることしきり、の毎日だった。

人は年を取ると、みんなわがままになったり、懐疑心をもったり、自分の過去を振り返って
「こんなに一生懸命子育てしたのに、誰もわたしの面倒をみない」ようなことをつい口にだす。
でもよくよく考えてみると、「人間の根源」のところには、「さみしさ」がデンと坐っている
ような気もする。誰の人生も、きついとか悲しいこと、つらいことが多いけど、結局
振り返ると、そんな苦しみとか苦労が、生きがいで、それを乗り切れたことを
「わが人生」として、映画みたいにして見ているのではなかろうか。その時、血の繋がった子供たちに
対しては、少し甘えて、悪態をつきながら、繰り言のように呟いているのではなかろうか?

昨日の朝、近くのアコレで、買い物をしていたら、おかまのMくんが「あら、こんなところで・・
おめでとうございます。頼まれていた本買ったわよ」という話になり、うちに時々こられるヨガの聖者さん
の本を受け取った。2000円払って「おつりはどうぞ」といったら、「わたしは1万でおつりいらない、と
いうほうがいいわ」と笑っている。

その本を読んでいると、「女性の子宮と地球の中心がつながっている。だから恨みとか妬みなんかが
たまると、地震や天災がくるので、わたしは、それをほぐすのが務めだと思っている」ようなことが書いて
あった。
子宮で考えなくても、変なことが多い昨今。福島の原発も、「制御されてます」とは裏腹に垂れっぱなしの状態が続き、そんな環境の中で
各地の原発が再稼働したりしている。まったくもって、「どうなってんの」という話が多い。
正月早々に中近東では、また戦争の火種みたいなコトが起こったり・・・「おわり」がすぐそこに
きてるのでは、という感じも否めないような年。でも「夢」は大事。

みんなはどんな「初夢」を見たのだろうか?
ぼくは、寺子屋のようなところで、長い文机で、論語かなんかの勉強をしている夢を見た。
そう書くと、「まじめな夢」みたいやけど、横に身目麗しき女性が座っていた。
ちょっと意識して近づくと、その女性が「イヤ」だといった。居ずまいをただし、まじめに勉強していると、
その女性がすぐ隣に移動してきた。うれしくなって、手をだそうとすると、
グラッと大きな地震(後でネットにおニュースで茨木で震度4  やった)で、目が覚めた(笑)
ちょっと禅の「十牛図」みたいな夢だ。牛は追うと、逃げていく。最後は「放下」して、あるがまま
にしていると、人と牛の調和が保たれる。悟りの道筋を説いたのが十牛図。
今年64になるけど、まだまだ悟りにはほど遠いようだ。

正月の時くらい、ゆっくり呼吸をして、「来し方行く末に思いを馳せ」、短い人生ではあるけれど、
自分の人生をデザインしてみる、というのもいいかもなんばん。
ヨガの聖者が置いていった「不思議な水」を今年はいろいろ活用してみようと思う。感謝。

下戸の時代・・・ゲコゲコ・・

今日は今年初めてのお休み。毎年蒲田にいって、甥っ子姪っ子たちと「鮨パ-ティー」。
将来どんな職業につくのか知らないけど、「自分の食べ物くらい自分でつくる」
ほうがいいと思い、3年前から始めた。職人世界の「すし」だけど、もともとはファーストフード。
ごはんが炊けて、刺身がひける(できたら魚がさばける)だけで、一丁あがり、の世界。

甥っ子たちは、みな未成年で、お酒を飲むのは、わたくしと、義理の弟のかみさんくらいで、
「湯豆腐や持薬の酒の一二杯」程度を飲む。
今朝の朝日新聞に「下戸の時代?ノンアル活況」の記事。時代がすっかり変わってきた。
厚生省の調査によると酒を飲まない20代は56.5%らしい。30代が54.5%、40代が49.8%らしい。
サントリーも朝日もキリンも「甘酒屋になる」、そんな時代がきた、かもなんばん。

蕎麦屋でかもなんばんを酒肴に一献・・・かろうじて生き残った昭和人が、杖つきながら
やっている・・・そんな美しく懐かしい残像を見るような未来が近い?
養生訓の貝原益軒は「酒は天下の美禄(びろく  びやくではない)ばい」といんしゃった。
酒も飲まず、接せず、漏らさず・・・・なにが楽しみなんだろう?わからんばい。

能登で毎月10日暮らすようになって、🍣(寿司屋)にいく機会が多くなった。能登町にある「津久司寿司」
は、必ずいく。家から車で1時間かかるので、ノンアルコール(お茶を飲む)で、すしをつまむ。
久保さんの備前のまな板皿ででてくる。滞在時間30分。
東京に向かう時、富山の氷見に「すしのや」という寿司屋がある。回転ずしなんだけど、9割が地元の魚で
カウンターの中で、鮨職人がちゃんとにぎってくれる。だいたい2時か3時くらいのアイドルタイムに
お邪魔するので、好き勝手に頼んで、ノンアルコールビールを飲みながら、やはり滞在時間が30分。
お店の人に顔を覚えられた感はあるけど、オフで仏頂面ですしを食べているので、まだ一言も口を聞いていない(笑)

ノンアル、といえば、四国でもち麦をお願いしている農家さんが、火入れしない生の「もち麦でつくった甘酒」を
つくった。年末に少し入れてみたけど、すぐに完売した。これは、ほんまに美味しいし、体にやさしい。
ちょうど「うめ星」ができた日(2年前)に、甘酒を器に入れ、そこに「うめ星」を入れて飲んだ。
隕石には、発酵を施す「宇宙の無限力」があるので、あきらかに美味さが倍増するし、薬事法にひっかかる
くらい体にもいいと思う。今年からメニューに入れる予定。「うめ星甘酒?」・・梅を想像すると売れないかも(笑)

貝原益軒さんが「酒は飲みんしゃい。異性とはふれあいんしゃい。年とったらセックスはひかえ、漏らしたらあかんばい」
と「養生訓」で力説したのは、「長生きせんとあかんばい」とか「無病息災がよかよ」といってるのではない。
「いき」に生きてよ、が、言いたかったに違いない。どんなに頑張っても100年。これから100年たったら、今生きている
いやな上司や姑やつれあいも子供も、この星にはいないのであ~る。悔いないようにしたいものだ。感謝。