明日の順受の会は「伝習録」をやる。二回目。確か8年くらい前にやった。
同じ教科書を使うので能登の本箱を探していたらでてきた。中の書き込みを見ると、
ぼくの蚯蚓字ではなく、きれいな女性の字。近くで会社をやっていた女社長のM。
5年くらい前に63歳くらいで鬼籍に入られた。せっかちな人で、本をよくわすれるので
2冊買って、自分用に一冊、忘れた時のために一冊。かなり書き込みがあるので、ほとんど
忘れていた、ということだ。「知行合一」の陽明学の王陽明さんの神髄の本。
Mさんがなくなる一年半前に乳がんが見つかり、罹病期間の一年ほど、ぼくに煎茶を習いにきていた。
ワカもそうやったけど、余命宣告を受けて、まじめに煎茶を習いにこられたが、一年で旅立った。
でも、まじめにやれば、一回でいいような気がしている。最近縁ある人には「一回きり」の条件で
そんなお茶をあちこちで伝授している。「茶をほんとうに知るには、ひとり茶にかぎる」というような
ことを書いた文献が中国にある。ふたりになると気持ちがそれ、3人になると趣味的になり、5人以上になると
ただ茶を振る舞うだけ、とある。当たらずとも、遠からじの論か。ぼくは「一客一亭」が一番やと思う(きれいな
人とふたりきりになると、やはり気がそれることはあるが・・)。
江戸時代に隠元和尚が、煎茶と禅を黄檗山に伝えた。黄檗の奇僧・売茶翁によって京都の文人たちに
広がっていった。唐の陸羽の「茶教」や盧仝(ろどう)の「茶歌」を紐解くほどに、文人趣味が日本中に広がっていった。「茶歌」の中に茶の精神を象徴的に表現している有名なくだりが・・。『ただ両脇に微かに「清風」が吹き抜けていくのを感じるばかりである』。売茶翁は、茶道具をかかえ、下鴨の糺の森や南禅寺界隈で茶を供し、「清風」と揮毫
した旗をかかげたり、京焼の老舗に清風与平という名工も生まれた。能登の家では、ときどき清風与平の白磁の煎茶碗で「ひとり茶」を楽しむことがある。
白井晟一先生が生前使っておられたものを譲り受けたものだ。天真庵にある柱時計もそのひとつ。
先週の木曜日に、珈琲の焙煎をしていたら、いつものようにおかまのMが「向島消防士所のものですが、ボヤがあると通報をきいてかけつけました」
といって入ってきた。朝からハイテンションなのである。「雲道人」の図録をカウンターにドカッと置いて「これ貸してあげる。貸すんですからね。返してよ」
と念をおす。彼が天真庵から「この本貸してね」ともっていく本で、もどってきた本はない。これは返さないとまずいな、という本は「あの本かりっぱなしだけど・・」
なんてことをいうこともある。10年以上たった本の話もときどきでる。こちらも貸してあったことさえ忘れていることもしばしだ。
Mも順受の会の25年前からのメンバー。ただし勉強会に出席したことは一度もない。
焙煎したての珈琲を試飲しながら談論風発。「せんじつ、ヤフーオークションに白井晟一先生の軸がでていて、上限5万で
落札しようとしたら、10万以上になって、だめだったの。こんどでたら、変わりに落札してくれない」という。
「白井さんの軸を買ってどうするの?」と聞くと、「それをどこかの茶室に飾り、にいさん(ぼくのこと)が煎茶をお点前し、
そこで幾多郎さんに演奏してもらう・・・」なんていういつもの妄想癖がはじまった。こんな不思議な人とのやりとりも
四半世紀続いている。先月もお金がノッキングして水道が止められてしまったのに、掛け軸や書や古本を買い続けているMくん。
そしてこのタイミングで「雲道人」を伝える彼の意志も伝わってきた。感謝。
今日の夜は「ゆるゆるヨガ」
今日から「味噌つくり」。
明日の朝は「卵かけごはん」
夜が伝習録を勉強する「順受の会」
火曜日が「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」