今日・明日は年越したそばで通常営業

あけましておめでとうございます!

ランナーズハイのように、昨日も朝はやくからバンバン蕎麦を打った。
なんとなく、通りがかりの人たちが「年越しそばありかすか?ボリボリ・・」みたいな感じでくるような気がして・・
大晦日は、ベテランのそばもんたちが蕎麦打ちをやるので、挨拶にきた人や、年越しそばを受け渡しをしながら、
あっという間に一日が終わってしもうた。60を過ぎてから(ひょっとしたら、39歳くらいから、「目標をきめない」
「いやなことはしない」「数字とか結果にこだわらない」・・そんな風に生きてきたけど、たぶん、お店を始めて一番年越しそば
がでたんじゃなかろうか?さきほど、蕎麦農家に注文のファックスを流す(笑)

3人分くらい蕎麦が残ったので、筆子さんと「ざるそば」を手繰りながら、「竹葉」のぬる燗を飲む。
かえし、は、松本の「大久保さん」ちの醤油。まじめに自然農でつくった大豆で醤油をつくっている。
今年は、その「かえし」で、数の子をつけた。(もうひとつは、大久保さんちの白みそで西京ずけ風に数の子をつけた)
今朝もそばをバンバン元気に打って、これから、それら「天真庵風おせち」で、一献の予定。
(12時から19時まで通常営業をするので二合でやめとくけど)

昨年のそばには、能登で自作の「辛味大根」をつけることができた。里山の畑を二年かけて耕し、
無農薬・無肥料・無除草で、限りなく「ほったらかし」で、自然農に挑戦してみた。
「かけがいのない命」と、ただ漠然使ってきたけど、自分で畑をやってみて、「命をいただく」
という意味が、体でわかった。これまでは、不耕な人生やった。
それと同時に「自給自足が目標」とかいうけど、結局大自然の恩恵のおけげで、作物も育つし、
自分たちも「生かされている」ということがよくわかる。ほぼぶらじるよろしく、ほぼ9割が自然のおかげだ。
人間の力なんて、シレテル!

田畑を耕すというのは 自分の人生 自分の命を 耕すということでもあります。

都会で暮らしていると、始終幕無しで、働き続けている人ばかり。便利なハズのスマホも中毒のように
なって、ごはんを食べる時も、トイレでもカシャカシャ動かしている。ねずみが、かごの中で、くるくる回る
ような「ラットレース」・・・今年はねずみ年やけど、ラットレースには参加せぬようにしたい。スマホの生みの親、ジョブスは2011年56歳で召されたけど
「その日その日が自分の人生の最後の日のつもりで生きよう」(今ここ Here Now)がモットーやった。
ちゃんと禅をやっていたらしい。Stay hugury! Stay foolish!(貪欲であれ、愚直であれ)。アホにならんとアカン。

せっかく斜陽のように、日本が高齢化や少子化の社会にスローダウンしている。これも自然なので
今年はみんなでスマホなんか捨てて、自然に寄り添うような生活をめざすのはどうやろか?
へんに「がんばりすぎの日本人」ばかり増えてきてる感じがする。
スマホやSNSに使われ、会社に使われ・・・使われっぱなしで、「自分」を発揮せずに人生が終わってしまわない?

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
一度生を享け 滅せぬもののあるべきか    (幸若舞(能や歌舞伎の原型)・「敦盛」の一節)

15歳の人もあと35年。20歳の人もあと30年しかないよ。今年43の人はあと7年しかないよ。感謝。

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