今日は洗濯日和?16時閉店なり・・

今日で1月が終わる。とても暖かい日が続き、世界中でいろいろな出来事などがあって、
すごく一ケ月が長く感じた。大分で不思議な家族と出会って、毎日彼女たちのCDを聴いている。
聴くたびに、いろんな星を旅しているような気分になる。知り合いの詩人の年賀状に
「尋星」と揮毫したものがあった。ロマンティックで星の詩などをよくかく人だ。
・・・・・これを「じんせい」とかさねた。さすが詩人である。
今日は、翔くんとその仲間と、ニューヨークから洗濯板を(ウォッシュボード)携えたアーティストがやってくる。
だから、お店は16時に閉店なり。洗濯にするか洗濯板ライブにするかの選択も楽し。

先日の朝日新聞に、人間国宝の柳家小三治さんが「朝日賞」をとった挨拶文がのった。
「朝日新聞はとってないが、何十年と通っている近所の喫茶店で朝日を読むのを楽しみにしています・・」
とあった。池袋にあって、ヨネクラボクシングジムに通っていたころ、よくその店にいった。
不思議な話であるが、水曜日はそのお店で本を読んだ。

池袋の東口を新宿のほうに歩くと、左手にジュンク堂がある。水曜日に板橋の歯医者にいき、
ひさしぶりにそこから池袋まで歩いた。いつもスポーツバッグにグローブとタオル、手に巻くバンテージを
入れて、目白のヨネクラボクシングジムに通った懐かしい道。40を過ぎたころ、ポール・スミスのスーツを
買おうとしたら、ウェストサイズがオーバーしていた。なまいきにそのころは、ほとんどがオーダーメイド
にしていたが、体系もオーダーしか着れないないような体たらくな生活だった。
一年間まじめに通って11k減量し、憧れのポール・スミスのスーツを買って悦に入っていった。
でもそれから、ギャラリーの仕事にシフトしたので、ほとんどスーツは着たことがない。
最近はもっぱら葬式に列席する時だけになった。

そんなこと思い出しながら、ジュンク堂の中で「一冊の本」を探す。ひさしぶりにその喫茶店にいこうと思ったから。
一階玄関入ったとこに、今年の「芥川賞」「直木賞」をとった本が重ねてあった。
その脇に、文庫本がいくつかあったので、手にとってみた。西加奈子さんの「iアイ」(ポプラ文庫)だ。
帯に

「この世界にはアイは存在しません。」
入学式の翌日、数学教師は言った。
ひとりだけ、え、と声を出した。
ワイルド曽田アイ。その言葉は、アイに衝撃を与え、
彼女の胸に居座り続けることになる、ある「奇跡」が起こるまでは・・・

小説の中にも「この世界にはアイは存在しません。」が映画音楽みたいにたくさん登場する。
ちょうど前日あたりに、「あいがいっぱいあります」みたいなショートメールをもらった。
不思議なシンクロを感じながら、その本をゲットしてその喫茶店で読んだ。
「サラバ!」で直木賞作家になった小説家だが、この「iアイ」は、ノーベル賞にしてもいいね。

自分の殻に閉じこもったり、ナルシスティクな愛を愛だと思っていたり・・・うずくまる人多しだ。
朝ドラのスカーレットは信楽の女性陶芸家の物語。信楽の花入れのことを「うずくまる」という。
人が悩み事をしながらうずくまっている姿に似ているから、らしい。そんな現代人がごろごろしている。
「うずくまる人」の特徴は、イヤでイヤでしょうがないことを毎日続けていくエナルギーをもっているようにも思う。
そのエネルギーは、人からよく思われたい、人から変な人と思われないためであったり、人から嫌われないためだったり、からである。

この小説の主人公の「アイ」も、そんな「うずくまる人」だったが、いろいろな人と恋愛したり、
ふれあったりするうちに、「愛あるひと」に変わっていく。
この「iアイ」のラストが感動的だ。何かワクワクしたり、ほとばしるものを感じて、玄関を
飛び出したり、海に裸で飛び込んでいく・・・そんな感動がなくなったら尋星(じんせい)もおしまい。

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

恋愛も哲も「雨の日」がいい。

今朝も東京は朝から冷たい雨が降っている。
雨の日はよく大石学さんの「雨の日のためのCD」(雨滴・・なんじゃら?)を聴きながら
「哲」したりすることが多い。バロック音楽も☔に似合う。恋愛も酒も☔の日がいい?

「伝習録」が始まった。王陽明の「知行合一(ちこうぐいつ)」(習ったこと、羽をばたばたさせながら自分で行動し身に着けたことを伝えなさいよ、が伝習録)
まんまで分かりやすい。でも実践になると、いろいろ矛盾だらけ。でも、だからこそ人生はおもしろい。

王陽明は文武両立の人やった。死ぬまで負け知らずの武将でありながら、儒学者であり、陽明学を確立して
江戸時代から日本人の「こころ」に大いなる影響を与えた「哲人」でもある。
来年は三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自決して50周年を迎える。彼の思想の中心には陽明学があった。
江戸時代の官学の中心は朱子学だったが、「文武両立の英雄」の哲が、武士たちにうけたみたいだ。
大塩平八郎、吉田松陰、西郷どん・・・陽明学の信奉者は、壮絶な最後を迎えるのも確かだ。何もしないより、何かをしようとして「ノタレ死ぬ」がいい。
だからか、明治以降は「儒学」が中心になった。今の日本人は「論語も読まず孔子も講師も知らず」ばかりだが・・

王陽明の思想には、ふたつの柱がある。「知行合一」と「致良知」(ちりょうち)
良知とは「本来もっている天真のこころ」人間は生まれながらにして、宇宙の気と感応するこころを持っている。
おとなになって私欲に曇ることがあるが、本来は小宇宙のであり、この良知をいつまでも見つめることが肝心、
つまりそこ(良知)に致ることを「致良知」といった。

ぼくはいつものように厨房の中で、フロムの本を読みながら酒を飲んでいた。
いつも授業の内容は馬耳東風だったが、「伝習録」の中で彼の思想をわかりやすく説明した文の朗読が耳に入ってきた。
こんな話だ。

臭いにおいをかいだ後、人は臭いと感じているような意識をもつ。
しかし、臭いにおいをかいだ瞬間に、人は無意識(宇宙意識)で臭いと感じている。
きれいな花を見て、きれいという。でもほんとうは、そこにただ花があるだけ。それを無意識が美しさに感応しえいる。
人が人を好きになる。ああだ、こうだ、いう理屈の前にすでに無意識世界で恋愛は始まっている。

フロムの哲をかいつまんでいうと

「大事なことは、無意識的なものを意識的にするといい。
ひとは意識は無意識より高い次元のもんと思っている。まぎゃくだよ。
意識の大半は妄想であり、およそ真実とはかけ離れている」

ふたりの「哲」を、足し算してみると、

「人は意識という妄想の中で、もがき、自由に生きることから遠ざかる。
おこったことに自分流の解釈をしていると、生涯「いいわけ人生」になりますよ」

というようなことか?

情報化社会になって、人は意識に縛られ、「知ってるつもり」でその実「なにも知らない」ことが多い。
スマホなどの第三世界には「行動」がないし、本音とたてまえを右往左往してしまうことが多い。
花鳥風月を愛で、ひとを愛し、酒を愛す。そこに理屈はいらない。
「今ここ」の無意識世界に遊べばよろし。感謝。

今日は「書の会」
貞本先生とは、大塚駅前の「江戸一」で出会った。
学芸大から中国に留学し、書を勉強中に天安門事件がおき、帰国して起業した。
いっしょに目白の「ヨネクラボクシング」にも通った。
文武両立のひと。☂に朽ちてきたが、「天真庵」の看板の字を揮毫してくれた恩人でもある。

明日は「おんなかっぽれ」

点前味噌つくりが始まる

「月曜日の朝は卵かけごはん」
311の年に、「なんとなく みんな朝ごはんをちゃんとしてないな」と思い、始めた。
共働きで子育て中の家では、朝ごはんはお米よりパンのところが多くなっている。
何か月も腐らないようなパンを、自分たちの体に入れるとどうなるか?とは想像するだけでゾッと
するけど、現実の生活スタイルの時間割だと「ごはん」というのが入る余地がないみたいだ。
ゆえに、「味噌汁」が朝の食卓にあがることが少ないみたいだ。味噌汁は「飲む点滴」。
現実は忙しいママの天敵?

独身の人たちも、会社でも家でもPCやスマホの第三世界に没頭していて、深夜遅くまでおきておられるのか、
朝めしを喰う時間があったら眠っていたいし、電車の中でも眠るかスマホをやっている人が多い。
こないだまで「就活」に忙しく、今は「婚活」を考え、気がつけば「終活」・・・
日本人は「まじめ?」なのか、なにかと「活」をいれたがる。
髪の毛、は深夜の12時から3時くらいにつくられる、そうだ。その時間に起きている人は「はげる」確率が増える。
男女関係なく、うすくなったりする人が増えている。食べ物と生活スタイルが大きく影響しているのは、「毛をみるよりも明らか」だ。

「家に急須がない」というのが日常茶飯になっているらしい。コンビニにいくと、日本茶や棒棒茶や各地のお茶どころのお茶
までペットボトルに入っている。パン食とお茶もあわへんよね。
急須のない家の台所には「ひね茶」(賞味期限がきれたいただきものの茶など)がきっとあると思う。
それを「ほうろく」(急須のない家にはないな)、なければフライパンで炒る。香ばしい茶の香りと煙を出し続け、
茶色くなった時点で火を消す。部屋中が茶の焙煎臭でつつまれ、なんともいえないアロマ効果がある。
昔の人は、その「ほうじ茶」に梅干しを入れて毎朝飲んでいた。「医者いらず」といわれた。血圧に悩む人にはおすすめ。

昨日から味噌作りが始まった。今年は「ペレットストーブ」の上にも鍋を置き、新戦力になっている。
毎日これから3・4人づつ手前味噌をつくりにこられる。今年も100人くらいの人が参加する。「菌活の会」
味噌汁をつくる時間もない人も、「年に一度がんばれば、菌が醸してくれて、おいしい味噌ができる」と
やってくる。昨日は昨年から押上小学校一年生の子供をもつお母さんふたりがおんなの子供たちといっしょにやってきた。
その子供さんがおなかの中にいるくらいからうちの常連さんたち。味噌をいっしょにつくった後も体力があまった女子たちは、
柱の「ポール」をのぼる、がコロナウィルスのように流行している。ひとりの子がスルスルと天井に届くくらいにのぼる。
もうひとりの子は、負けじと挑戦するが、引力のほうが上手で上にいかない。片づけをしている母親に「靴と靴下ぬがせて」
と半泣きでいう。母親の答えが「ズボンを脱いでパンツみせながらのぼりなさい!」。普通の「生活」にも「活」と「喝」が生きている。

今日の夜は「順受の会」。25年続く論語の会。先生も生徒も還暦を過ぎ、長老は78歳。これだけ続いて
いるのも軌跡だが、みな鬼籍も近い。今年は「伝習録」。漢字や書とともに論語や陽明学など「漢籍」が
日本人にいろんな思想を育んできた功績ははかり知れない。一方で「論語読みの論語知らず」もあまたあまた、だ。
ぼくは「典座」のようにこの会の時は厨房の中で「食事担当」。段取りがいい時は、老師のように酒を飲みながら
「老子」を読んだりしている。老子の「道」(タオ)は、読めば読むほどエロスの曼荼羅宇宙。
能登の家の「お客さんの間」(といっても、雑魚寝しているが)には、白井晟一先生の「道」が飾ってある。

今晩は「順受の会」
明日が「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」

夜が伝習録を勉強する「順受の会」
火曜日が「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」

伝習録が始まる

明日の順受の会は「伝習録」をやる。二回目。確か8年くらい前にやった。
同じ教科書を使うので能登の本箱を探していたらでてきた。中の書き込みを見ると、
ぼくの蚯蚓字ではなく、きれいな女性の字。近くで会社をやっていた女社長のM。
5年くらい前に63歳くらいで鬼籍に入られた。せっかちな人で、本をよくわすれるので
2冊買って、自分用に一冊、忘れた時のために一冊。かなり書き込みがあるので、ほとんど
忘れていた、ということだ。「知行合一」の陽明学の王陽明さんの神髄の本。

Mさんがなくなる一年半前に乳がんが見つかり、罹病期間の一年ほど、ぼくに煎茶を習いにきていた。
ワカもそうやったけど、余命宣告を受けて、まじめに煎茶を習いにこられたが、一年で旅立った。
でも、まじめにやれば、一回でいいような気がしている。最近縁ある人には「一回きり」の条件で
そんなお茶をあちこちで伝授している。「茶をほんとうに知るには、ひとり茶にかぎる」というような
ことを書いた文献が中国にある。ふたりになると気持ちがそれ、3人になると趣味的になり、5人以上になると
ただ茶を振る舞うだけ、とある。当たらずとも、遠からじの論か。ぼくは「一客一亭」が一番やと思う(きれいな
人とふたりきりになると、やはり気がそれることはあるが・・)。

江戸時代に隠元和尚が、煎茶と禅を黄檗山に伝えた。黄檗の奇僧・売茶翁によって京都の文人たちに
広がっていった。唐の陸羽の「茶教」や盧仝(ろどう)の「茶歌」を紐解くほどに、文人趣味が日本中に広がっていった。「茶歌」の中に茶の精神を象徴的に表現している有名なくだりが・・。『ただ両脇に微かに「清風」が吹き抜けていくのを感じるばかりである』。売茶翁は、茶道具をかかえ、下鴨の糺の森や南禅寺界隈で茶を供し、「清風」と揮毫
した旗をかかげたり、京焼の老舗に清風与平という名工も生まれた。能登の家では、ときどき清風与平の白磁の煎茶碗で「ひとり茶」を楽しむことがある。
白井晟一先生が生前使っておられたものを譲り受けたものだ。天真庵にある柱時計もそのひとつ。

先週の木曜日に、珈琲の焙煎をしていたら、いつものようにおかまのMが「向島消防士所のものですが、ボヤがあると通報をきいてかけつけました」
といって入ってきた。朝からハイテンションなのである。「雲道人」の図録をカウンターにドカッと置いて「これ貸してあげる。貸すんですからね。返してよ」
と念をおす。彼が天真庵から「この本貸してね」ともっていく本で、もどってきた本はない。これは返さないとまずいな、という本は「あの本かりっぱなしだけど・・」
なんてことをいうこともある。10年以上たった本の話もときどきでる。こちらも貸してあったことさえ忘れていることもしばしだ。
Mも順受の会の25年前からのメンバー。ただし勉強会に出席したことは一度もない。

焙煎したての珈琲を試飲しながら談論風発。「せんじつ、ヤフーオークションに白井晟一先生の軸がでていて、上限5万で
落札しようとしたら、10万以上になって、だめだったの。こんどでたら、変わりに落札してくれない」という。
「白井さんの軸を買ってどうするの?」と聞くと、「それをどこかの茶室に飾り、にいさん(ぼくのこと)が煎茶をお点前し、
そこで幾多郎さんに演奏してもらう・・・」なんていういつもの妄想癖がはじまった。こんな不思議な人とのやりとりも
四半世紀続いている。先月もお金がノッキングして水道が止められてしまったのに、掛け軸や書や古本を買い続けているMくん。
そしてこのタイミングで「雲道人」を伝える彼の意志も伝わってきた。感謝。

今日の夜は「ゆるゆるヨガ」
今日から「味噌つくり」。
明日の朝は「卵かけごはん」
夜が伝習録を勉強する「順受の会」
火曜日が「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」

天孫降臨の土地の近くの磐座(いわくら)

今回の九州の高千穂近くのA神社はまさに「いわくら」のような場所だった。
道が狭いのと、落石ごろごろの険しい山道は、人や車を拒む、そんな厳かな雰囲気
に包まれているけど、一生のうちに一度はいってみてもいいかも。

高天原から神様が、天孫降臨しておいでになった場所が「高千穂」。私たちの先祖は
神様になっていて、九州にはあちこちに「神話」が残っている。それから五ヶ瀬川を下り、
日向(ひゅうが)、つまり「日の国に向かう」という地名で、伊勢神宮や奈良や京都を
つくっていった。国東(きにさき)半島には、奈良に匹敵するくらいお寺や石仏や祈りの場所が
点在するけど、あまり「日本の歴史」などに紹介されていない。歴史とは、時の権力者が
都合よくねつ造していった歴史である、ことがその地を巡るとわかる。

そこのあるお寺の坊さんが、蕎麦打ちを始めたと聞いたので、車でいってみたら、
不思議な女性と出会い、2時間後には、彼女の住む森の中の家で「ほぼぶらじる」を
飲みながら談論風発していた。東京から29年前に移住し、食物もお米・麦・大豆をつくり、
家族で古楽器をつくり、ときどきその森(カテリーナの森)でコンサート。食べ物も音楽も「自給自足」であり、「地産地消」だ。

昨日の「ダメ中」は、多士済々の女子たちが集まって、皮から餃子をつくる会。「カナタ」という
カテリーナの森の妖精たち作ったようなCDを聴きながら、餃子の会。
アーティストが多い。何人かは映像関係者で、「このCDのジャケットは川村倫子さんじゃない」
といった。木村伊兵衛写真賞を取って、世界的に活躍する写真家である。いったOも日本人なら
誰でも知っているアーティストであるが・・・

そのこのこは、今年7歳になる双子の女子で、北欧の友人ふたりも誘ってくれて、昨日は
総勢13人の「餃子パーティー」。持ち寄りの酒も、日本酒・紹興酒・シャンパン・・などのチャンポン。
いつもの会も「女子風呂の中にいるようだ」けど、昨日は会話の80%が英語で、「ダメ中」より「ダメ英(しかし、みんな英語が達者)」
という雰囲気だった。川村さんも昨日のメンバーも、40代後半のバリバリ世代。令和も女時(めどき)だ。

瀬戸内寂聴さんの本を最近読んだ。文壇の人たちの「男と女」の話。イラストが横尾忠則さん。
寂聴という名前をつけた「今東光」さんの話や、松本清張、水上勉、川端康成・・・女流では、宇野千代さん(寂聴さんが質問して
千代さんが「あの男は寝た。」「寝ない」とか返答する。ほとんど「寝た」(笑う)。相手の男も作家など文人の名前がでて、
世間では「男が浮名を流した風」になっているけど、よくよく考えてみると、女性が喰って、ネタにしてるのではないかしらん。
松本清張記念館で、往年の編集者たちのインタビューや、松本清張さんの本の映画やテレビになった映像があまたあった。
編集者たちもいろいろ「寝た」とか噂になったり、女優さんちとの艶冶な話も数々あれど、みな短い娑婆での酒脱な一コマのようだ。

この世は男と女がいて、陰陽のバランスを保ちながら成り立っている。「谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)と謂(い )う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う」・・・生命の源・女陰やセックスのことを、老子さまが語った有名な言葉。男女とも
自身の中に「アニマ」(男性)と「アニムス」(女性)がある、とユングさんはいった。でも男には「玄牝の門」(女陰)はない。ゆえに女性には、勝てない。
「宇宙的なおとなの交わり」と夜中に声がした。

万物は流動し、ふれあっている。
それゆえ、すべては悦びに満ちている。
性(セックス)は、生命がつくりあげたものではない。
性を静かに見つめれば 自分の道がわかる。人の根源は性である。
性を極めれば宇宙に到達する。魂とつながる。
宇宙の根源もすなわち「性」なのだ・・・・・老子さまもまた女性の股から生まれ出て、尽きることのない至福な宇宙を逍遥した。

会が盛り上がったころ、まいこ先生が「名古屋に戻ります」といってみなに挨拶した。彼女は名古屋の
そばの女将さん(3年前に電撃結婚)でもある。彼女と昔からの親友であるOが
「まいこ、いつからそんなつまらない普通のおんなになったんだ」と叫んだ。
男の世界にはない「刮目」(かつもく)がある。ぼくはいつも三助(お風呂で背中を流す係)でもなったつもりで、不思議な女風呂を静かに体感しながらひとり
酒の友をさせてもらっている。中国4000年の歴史は、スゴイ。

明日から「味噌作り」が始まる。明日の夜は「ゆるゆるヨガ」だ。

九州のチャンポン

なんといっても長崎が本場。全国展開するリンガーハットなどは墨田区のヨーカ堂の中
でも食べられる。昭和50年代には、京都にも個人店で「長崎チャンポン」の看板をかかげて
いるお店があった。名前は失念したが、お店に「長崎新聞」が置いてあったので、ときどき
旅する気分でチャンポンを食べにいった。京大の近くやった。

高倉健さんの映画「あなたに」のロケのお店は、戸畑のチャンポン屋。提灯山笠の街で
あり、正統的な戸畑流チャンポンの生まれた街だ。地産地消ではないけど、ラーメンもチャンポンもチャンラー
も、北九州のお店で食べたほうが美味いと感じる。鮨もそやね。うどんもそやね。黒崎にはうなぎの美味い店「黒崎田舎庵 日日屋」もある。

今回、宗像大社と鎮国寺をお参りした後、母親に「なん食べたい?」と聞いたら「チャンポンが食べたい」
という。「宗像チャンポン」のお店も近くにあるけど、松林を芦屋(関西の芦屋ちゃうねん。茶人好みの「芦屋釜」発症の地があんねん)
のほうに向けて走って、ナビが岡垣にかわるあたりで、松林の中に、「やってる」と小さな声が聞こえるような古色蒼然とした古民家
がある。「松露」(しょうろ)というお店。グルナビなど、バカなコンシェルジュの写真や評価を超えたチャンポンで、筆舌が及ばない。
正統的な戸畑チャンポンのお店だ。芦屋の「芦屋釜記念館?」にいくついでにいってみてほしい。

豊後竹田の滝廉太郎の記念館の近くに「ひらた食堂」というのがある。そこのおやじはカウンターの中に「打ち台」があって、
チャンポンの麺を自分で打っている、のが売りのお店。

滝廉太郎の「荒城の月」(作詞は土井晩翠)で、向田邦子さんの「眠る盃」というエッセーがある。
♪春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして・・・・・これを彼女は長いこと「眠る盃」だと思い込んでいた。
誰でも「思い込み」とか、妄想癖はつきもんである。それが生きがいになったり、創造につながったりするもんだ。
この歌もそうだけど、人生そのものも「夢幻のせつな世界」。みんな形あるものは、消えていくのであ~る。無常そのもんやね、この歌。

ぼくも、欧陽菲菲の「恋の十字架?」、その歌が「へんな出だしの歌やな」とずっと思っていた。
ずいぶん後になって、歌詞を見た時、「なんだ」と大笑いしたことがある。

♪女がひとり出来ること 指をからめて祈ることほほを涙で 濡らすこと・・・

そんな歌。彼女は少し訛りがあるので、ボーッと聴いていると
♪オナラひとりできること。。。と聴こえない?ぼくはずっとそう思っていた。

アイドルが、清純そうに短いスカートはいて、ニコニコしながら、「ブリッこしてた時代」に、
ちょっとかわいらしいオランウータン顔で、ガチンコで勝負する本格派が歌うにふさわしいな、くらいに思っていた。
でもオナラの音がするとこちらも「ブリっこ?」

♪きっと 最後の恋だと思ってた・・ラブイズオーバー・・

きっと、ぼくは「感覚の過敏な子」=「HSC(Highly Sensitive Child)」だったんだ?

今日から営業。夜はダメ中。今日は「水餃子をつくる」会。
東京にもどってきたら、餃子を食べたくなる。亀戸餃子を食べながらハイボール
なんて、詩酒放情の最高峰?食べたくなってきた。
「いぶりがっこ」の第三段もくるらしい。         

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

元祖角打ち・・

無事に東京にもどってきた。今回は、九州の不思議スポットみたいな神社を
お参りし、移住したいNO1の豊後高田で、素敵な女性に巡り合い、その家族に
あいに精霊のいそうな森の家にいき、帰りはその家族でつくった新しいCDを聴きながら
きた。彼女が

「自給自足とは、米や野菜を育て、安全で持続可能な生活をする、だけではない・・
自然によりそいながら自然の恵みや神に感謝し、生きていく術を伝えたり、私ごとではありますが、音楽の原点
みたいなものを、母から子へ紡ぐ、これも自給自足なんだと、ここで生活してわかりました」

といった言葉がCDを聴いているうちに、蘇ってきた。世界中、東京やパリやロンドン・・・
音楽をやるなら「なんやらメソッド」というものを、お金を払えば受けられるし、それなりのスキルはその対価
みたいに身につく。でも「こころに響く」というものは、お金で買えるもんやないし、メソッドやスキルではない。
その音を奏でる人の足の裏についた根粒のなかのひとかけらの「魂」みたいなもんがないとあかん。

門司港から阪九フェリーで和泉大津までの船旅。うまくいけば船上ライブがあるし、満天星を見上げながら露天風呂
につかれる。旅の疲れがとれる。

少し時間に余裕があったのでぼくの生まれた街にある小倉城とその隣にある松本清張記念館に立ち寄った。
豊後高田は、総合的にナンバーワンの「移住したい街」なら、小倉はシニアが移住したい街のナンバーワン。
1902年、八幡製鉄ができて、「鉄の街」として一世を風靡した。そのおかげで最近まで100万都市(今は80万)
として、博多につぐ第二の都会。気骨は博多とは比べもんにならない。病院や美術館など施設は充実してるし、自然も豊っちゃ。
なにせ「パンチパーマ」と「競輪」の発症の場所。あと「皿うどん」と「角打ち」ちゃ。(博多弁とちごうて、ちゃをつける。茶やね。風流ちゃ)

門司港にいく前に手前の「門司駅」に車をおいて近くを散策。北九州名物の「さばの糠味噌煮」を発見。小倉城ゆかりの
小笠原藩は、茶道や華道などの「道」を大切にしてきたのと、糠味噌の文化をこと地にかもした。糠味噌の店の
並びに「立ち飲み さつき」を発見。角打ちのことや。
最近は東京でも「角打ち」がちょっと「おしゃれ」で流行ってきたけど、もともとは、製鉄所の「鉄の街」が、
三交代で四六時中、溶鉱炉の火をけさないような労働体系やったんで、「酒屋さんの一角で酒を飲む」
というスタイルがこの地で生まれたっちゃ。門司には、まだ東京にはでてきてないけど「チャンラー」
というフードがある。風土ではない。麺がラーメン、その具にキャベツやネギやタマネギ、かまぼこ、ぶた・・・
つまりラーメンとチャンポンがチャンポンになっとる。なかなかうまいっちゃ。旅はいいね。「鉄」と「哲」に浸れる北九州。

世界遺産の隣にある古刹

今日は鎮国寺にお参り。
宗像大社は、世界遺産になった。アマテラスさまの三姉妹が、沖ノ島、筑前大島、と玄海町の
三か所に祀ってある。沖ノ島は、神の島として長女が祀られているが、定期便がなく、女人禁制で
男子も島にあがる時は、素っ裸になって禊をしてからあがる。「海の正倉院」といわれていて、勾玉やガラス漆器など
国宝に指定されているものたちも数々ある。今年はそこで発掘された勾玉を、隕石入りでつくってもらった。
ふと本日大社にお参りしてみて、「九州そのものが勾玉の形をしとうね」と思う。人間でいうと妊娠3か月かそこら?
勾玉を最初にもった女性が「地球にも子宮にもよさそう」といった言葉を思い出す。

遣唐使から帰国した弘法大師(空海)が、宗像大社の神様に助けられた、と、宗像大社に礼拝した後、近隣の屏風山に瑞雲が たなびくのを見て、鎮護国家の根本道場として
お寺を建立した。鎮国寺という。高野山よりも前に建てられた歴史がある。今日、母親とお参りした際、見知らぬおばあちゃんが話かけてきた。
「この寺は有名なんやろか?誰がつくったんかいな?」・・・・しかとしたいところだが、何かの縁なので「空海がつくったとです・・・遣唐使・・・歴史がある」
と上記のように答えたら、「空海はどこで生またっちゃろか?」と質問された。「確か、四国だと思います」と言ったら「私も四国で生まれた」といって笑った。
これからまわりが、こんなおばあちゃんだらけになる。ぼくらもすぐに仲間入りするけど、「いずれいく道」のコンシェルジュ。大事にしなくては・・

そういえば、先週の水曜日に、能登の家の近くの集会所で「あつまり」があった。毎月第三水曜日の午後一時にそこに集まって
「カラオケ大会」とか「大正琴」の発表会などが開かれているらしい。
いくと、平均年齢80歳くらいのおばあちゃんたちが、スパンコールの派手な衣装を着て、舞台で演奏していた。
「東京の灯よいつまでも」「無法松の一生」「人生劇場」・・最後の「長良川艶歌」は、長老で85歳のおばあちゃんがマイクを
にぎって歌を披露。歌にも85年の念が籠っている。

♪好きと言われた 嬉しさに
酔うて私は 燃えたのよ
あなた あなたすがって みたい人
肌を寄せても 明日は別れ
窓に夜明けの風が泣く

この集落は「船乗りさん」の多い集落。若いころは年に一度くらいしか返らないような暮らしだった人が多い。
あるじいさんいわく、「年に一度しかかえれんかったけど、子供は4人つくった」といって。抜けた前歯を見せながら大笑い。
男たちは「港港におんな・・・」というやんちゃな暮らしをしてきたような顔をした人ばかりだ。(色気がある)
待っていた「女」の人たちも、操を守ってきた大和撫子も多かったろうけど、振り返ってみると
「花のような艶冶なはなしが残っている」ような女性もいるような気がした。えんやえんや・・・人生一度しかあらへん。(こちらも色っぽい)

明日の夕方のフェリー(門司から大阪)で東京に・・・           感謝

1月31日(金) 開場19時 開演 19時半  4000円(蕎麦会付き)

赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)

2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)

演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

田舎暮らしの本

能登に半分移住するまでは、「田舎暮らしの本」をよく買っていた。
今年の2月号に「住みたい田舎 ベストランキング」というのが発表されている。
総合一位が大分の豊後高田市(国東半島界隈)。毎年ベスト3の中の常連さんだ。

昨日の朝のブログを書くまで、「宇佐神社」と「大豆農家」にいく以外は何も計画をしていなかった。
ブログを書いていたら、「宇佐神社の後にどこいくの?」と筆子さんが問う。反射的に「国東半島の蕎麦屋」
と答えた。宇佐神社は全国の八幡さまの総本山みたいなところ。昔からその神社界隈には卑弥呼伝説がある。
お参りした跡、国東半島のそのそばやを目指す。一時過ぎに着いたら、暖簾がかかってなかった。
「売り切れ」かとあきらめていたら、お客さんとおぼしき素敵な女性がでてきて、「お昼はやってないんですよ」とのこと。
普段は昼めしは食べずに二食が原則なので、「ま いいか」と思っていたら、「よかったら、少し気になるお店が近くにあるので
いってみてください」と教えてくれた。足立ナンバーを見て、親切にその女性が誘導してそのお店まで先導してくれた。
いっしょに中に入ると、「すいません、今日のお昼は売り切れてしまって・・」(古民家を改装した素敵なお店)とのこと。
その女性が「よかったら、なにかの縁なので、もう一軒いっていっしょにランチしませんか?」というので、「ままよ」
とまんまをいっしょに食べることに・・・鱧せいろをいっしょに食べながら談論風発。

今月から「味噌作り」が始まる。昨年は耶馬渓に移住して大豆とお米を自然農で始めたTくんから大豆を調達していた。
今年は不作だったので、友達の農家を紹介してもらって、そこからいただく。そんな話をしたら、そのふたりと
知り合いだった。彼女は20数年前、まだお子様が10歳くらいの時、東京から大分に移住して自給自足プラス音楽活動
という生活をしていることを知る。10年くらい前に、Kという女性カメラマンで天真庵によくきていた子が離婚して女の子
とふたりで豊後高田に移住している。ヨガの先生として、この界隈では有名。やはりその子もよく知っていて「再婚しましたよ」
とこと。蕎麦の師匠の高橋さんも、3年くらい前に杵築に移住して会員制?のそばやをやっておられる。
一度ライブをやってくれた平魚泳さん家族も、耶馬渓で自給自足プラス音楽の生活をしている。
一時間前に、出会ったと思えないらい話がはずみ、そのはずみで彼女の家にいくことになった。
そのお店から10分くらい走ると、田んぼの中に卑弥呼の古墳のような一角があり、その中に古民家がたっていて、
息子さんのアトリエや、ギャラリースペースがある。さっそく持参した「ほぼぶらじる」を飲みながら、息子さん
たちと話がはずむ。とてもいい空間。米と麦と大豆をつくり、彼は楽器の制作、奥さんは近くの古民家で農家民宿を
営んでいる。東京からもお客さんがくるらしい。ここは「はまる」とこやね。

それから「宮町商店街」にいく。レトロな昭和の街商店街で、50軒ほど、スナックや居酒屋が
所せましと鎮座している。スナックの名前を見ると「スイトピー」「まッ赤なポルシェ」「SOS」・・聖子ちゃんや百恵ちゃんやピンクレディーの曲からとったもの。
「みえちゃん」とか「さつき」とか店主の名前をつけたお店・・・・旅の途中に立ち寄るには、「どのお店にしようか?」と迷う。
風光明媚で奈良のようにお寺がいっぱいある街に、昭和レトロなスナック・・・子育て世代の人、終の棲家・・この界隈は「人気ナンバーワン」
になるのがよくわかる。今日はゆっくりと下道を通り、温泉に立ち寄ったりしながら福岡へいく。

うめ星が大活躍・・

能登にいく車の中で「いっちが黄疸で不調・・・」と三輪福さんからメール。
売茶翁の家族のひとり「市松」ダックスフンド19歳。2年前に体調を崩したころ、
ちょうど「うめ星」が誕生したので、ひとつ首にぶら下げてもろうた。ら元気になって
梅林などを走りまわっていた。次の日メールがきて「うめ星とサイマティクスセラピーで、黄色だった
目が白くなって食欲も回復」とのこと。安堵する。
もうひとり(一匹)、サラというダックスフンド(花の仲間が飼っている)も、おなじころ
不調になりうめ星をぶらさげてもろうたら、元気になって19歳を迎えた。
薬事法にひっかかるくらい、元気。

昨日車で九州を走っていたら、木工のあだちくんから突然電話(すこし興奮ぎみ)。猫を飼っていて、昨年そのネコが家出?して
立川の「神社」(そこでお参りしると、家出猫がかえってくる  山下洋輔さんのネコが何度も家出
したけど、そこにお参りするとかえってきた。ので、彼が神社に「ピアノ曲を奉納」して、その曲が流れている、とか)
「ネコの飲み水の中に、うめ星をいれているんですが、それが鳴っているんですよ」
とのこと。「どげなふうに?」(彼は長崎なのですぐ九州弁になる)「最初は耳鳴りかいな、と思ったばってんが、
耳をすましたら、皿の中でビーンて、耳鳴りのごたあ」・・「ふーん???」
「めずらしか猫やけん、UFOが見にきたんやろかね?そげなことははじめてばい。気持ちわるかなら、とりかえようか?」
というと「ものすごく、猫は元気になるし、星(星の陶印をしている)のまわりがピンク色になっちょうとです。
きっとこれはアタリですばい」という。薬事法にも、スピリ法にも抵触しそうな話。

といいながら、能登で2日いて、今九州にきている。天真庵にときどきくる不思議なじいちゃん(ヨガの聖者、と呼んでいる)
から「宮崎のお父様の墓参りにいく時、〇〇神社にいってみてください」と言われ、五ヶ瀬川を高千穂のほうに
走り、「これから地球のヘソになる役目を担う神社」というその神社にお参りにいった。幣立神社ではない!
その後で、豊後竹田市に立ち寄る。荒城の月を作曲した滝廉太郎の記念館とモデルになった岡城跡が
あるところ。頼山陽と親交の深かった田能村竹田のゆかりの地でもある。数々の「文人」を輩出した地。
♪春のうららの隅田川・・・・・「花」も滝廉太郎の曲。23年の短い生涯だったけど、天才は永劫の名曲をつくった。
湯布院とか、阿蘇山とか、いろいろ観光するとこがあるけど、やっぱり九州で一番よかとこは「宗像」と「竹田」
がいい。近くに温泉もいっぱいあるよ。

今年も「味噌つくり」は、大分で自然農で大豆をつくってくれている
農家さんにお願いした。ちょうど福岡にいく用事もあったので、「不思議な神社」「竹田」によって、
調達してから福岡に帰り、東京にもどる予定。相変わらず、「ピン」ときたら現場へかけつける・・
でもこんな気まぐれの旅の途中には「しくまれていた」と思われるような出会いがいっぱいだ。
今日はひさしぶりに国東半島を巡ろうと思っている。