宇宙的な焙煎

一昨日は、新宿で会社をやっている友達に誘われたので、夕方に御苑の近くの会社を訪ねた。
この界隈には、いわゆる「ソフトハウス」と呼ばれたIT企業がたくさんあった。
わが社も創業は秋葉原だったけど、昭和が終わるころは代々木に会社があった。
新宿で寄席を見にいったり、ゴルフの練習は神宮でやっていたし、新宿の取引先には歩いて
いったものだ。ひさしぶりに御苑を歩いた。秋ですっかり紅葉していて、月が真上にでていた。
「月を見る君を思う」という三線の名曲がある(タケシーがつくった)。まるで「月に心が、映っているような冬の夜空」

昨日は「そったく焙煎塾」
近くでアパレルをやっている「おっさ」が入門してきた。最初は「ほうろく」をつかって焙煎をする。
豆の変化がよくわかるのと、五感を使って珈琲豆と対話するおもしろさ、がわからないと、次の段階に
いきにくい。自然に寄り添いながら、自分自身の感性とか能力、未見の我(新しい自分の発見)に感動できる
ような人間であってほしいと思う。すこし天然だけど、おっさとかぬすみぐい君たちと、いっしょに遊んで(この人らは
仕事と遊びの差がない)いると、あらためてそんなことを思う。

毎日毎日が一生。毎日生まれかわり、普通に平凡に自分らしく生き、当たり前に「いまここ」に感謝しながら
通っていける人は、みな輝いて見える。

昼からは、焙煎歴10年のベテラン女子。新兵器の焙煎機をつかってブラジルを焙煎。
見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、五感を研ぎ澄ますとそんな世界にふれることができる。
とても繊細なところで、幽霊や蜃気楼が見えたり、神も声を具体的に聞くようなものではない。今回の
新しい焙煎機も、原理は簡単で「ふーん、そうなん」くらいなもんや。でもその簡素な部分に、大いなる夢
みたいなものがつまっている。できあがった豆を石臼でひき、久保さんがつくってくれた「白い恋人」
みたいな隕石入りのカップで試飲。宇宙的な珈琲の味がした。銀座4丁目にある「隕石直売所」でその珈琲カップ
が売っている。

夜は「おとこかっぽれ」
かっぽれのあいかたは、「なんやら法?」とかいう、呼吸法を全国まわって伝授しながら旅をしている。
早稲田の政経をでて、亀戸の精工舎に入社・・・世間でいうエリート街道を歩いていたのだが、途中で
「こころを衣替え」させ、そんな道を歩いている。いっしょに篠笛を学んだこともあり、30年近く
つきあっている。「ナンバ歩き」(これもうるおぼえ)とかいう歩き方をし、とても深い呼吸をする人だ。
古希を迎えたけど、どうみても50代に見える。

今日も足の裏が大地をつかみ 精妙に鼻から宇宙と深呼吸

そんな「いわじー」だ。感謝。

年末の「自分で年越しそばを打つ」のスケジュールがポチポチうまってきた。
明日は初雪?があるかもなんばん。すっかり年末。

7日(土) 仲内拓磨ギターライブ

演奏:仲内拓磨(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

20日(金) バロックコンサート

演奏:渡辺佳代子・ラスト恵子(オーボエ)・長久真美子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

21日(土) 国貞 雅子 ソロ LIVE

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

28日(土) 堀 まゆみ&大石 学 ジャズLIVE

演奏:堀 まゆみ(ヴォーカル)・大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

一年一組せんせいあのね・・・

昨日紹介した「一年一組せんせい あのね」(理論社)は、1981年に初版。
発達障害の子や在日の子や、経済的に恵まれない子や、今では隔離されているような子
たちが、同じクラスに混在している。先生たちの、その子たちを見る目線が「家族」の
ように暖かい分、意に沿えず、転校していく子どもたちを見るにつけ、無力感にひしがれて
いるこころが伝わってくる。今は、もっと「家庭」や「社会」が崩壊しているので、この本は
子育て中の人や、その親たちの「バイブル」になるんとちゃうかな。そう思う・・

ぼくらが小学校一年生の時は、昭和37年。北九州市立天神小学校やった。「天神庵」?
八幡製鉄(今の新日鉄)の溶鉱炉や本事務所(本社みたいなもん)があったとこで、
「鉄の街」の最盛期。11月になると、「起業祭」(きぎょうさい)といって、街が祭り一色になった。

ぼくは、きっと今だと典型的な「発達障害者」に認定されていて、主席で違う学校にいっていただろうと思う。
小学校の前に普通「保育園」とか「幼稚園」とかいく。ま、就職したことがないので、履歴書を
書いたことがないけど(もちろん、幼稚園までは書かないか)、「いきなりステーキ」みたいに
「いきなり小学一年生」だった。

幼稚園は、近くのお寺がやってるところへ一応は入園した。スモッグ?スモック・・そんな制服があった。
近所のおばちゃんに「似合うわね」といわれ、なんだかそれがイヤで、次の日から制服を着るのをやめた。まだ自由な雰囲気が
あったので、それは許された?寺子屋の時間に「書道」があった。畳の部屋でやるので、お寺の片隅の部屋で
やっていた。壁が白い漆喰やった。墨をすっていた時、「この白い壁に字を書いたらおもしろいな」と思った。
何秒か後にすった墨に筆を入れ、それを思い切り壁にかけた・・・・・
その始末を母親がどのように解決したのかはわからないけど、ぼくはその日を境に、無職?の身になった。
その一件だけでなく、日ごろから先生の手を焼いていたようだ。

それからしばらくオジキが養蜂をやっている宮崎の日向で暮らした。美々津という風光明媚なところで、川で
泳いだり、養蜂を手伝ったり、オバはそばの製麺工場をやっていたので、毎日そばを食べて過ごした。
「発達障害者」というのは、普通の人より、直感とか、見えないもの、とか、自然の中にあるものを感じる力があるようにも思う。
ぼくは、鳥と会話したり、蜂などと対話する能力をそのころなんとなく身につけたように思う。半世紀たっても、その時
に身につけたものが生きているように思う。
昨年、親父の納骨に延岡にいった足で、40年ぶりにそのオジキの家を訪ねた。従弟のかずさんが「君の小学校一年生ときの
詩がとってあった」といって見せてくれた。八幡製鉄の社内報みたいな新聞で、小学校部門で金賞をもらったものだ。

これにも裏話がある。その詩は、自分が書いたものだが、罰?で「書かされたもの」だった。
11月の「企業祭」に「木下大サーカスがくる」というウワサがあった。
ぼくは、どうしてもそれが見たくて、学校をさぼって、サーカスの準備中の会場へ遊びにいった。
ひとりでいけばよかったのだが、ゴロク人を連れていったのがあかんかったみたい。
そのリーダーいうことで、職員室(ひょっとしたら校長室)で、事情聴取?を受けた。
ダルマストーブがその部屋にあって、校長が紙と鉛筆をくれた。今思うと「始末書」でも
かかせるつもりだったのだろうか?と思うけど、そこにつたない「詩」を書いた。それが金賞になった。
でもそれを見るたびに「たくらみ」のある詩で、始末書以上に始末がわるいので、記憶から消したい詩でもあるのだ。

昨日紹介した在日の自分と折り合いのつかない「よしむら せいてつ」くんの詩が、ぼくの詩とすごく似ていた。
素直な一年生に違いないけど、どこか屈折したもの(作為)が内包されたいる。だからこの子と飲んでみたいな。

「かい」

耳にかいをあてるとうみの音がきこえた
かいにはうみがはいっとるんやな
うみにずっとすんどったから
うみの音がしみこんでいる
うみはかいにいのちをあげたんかな

こんなのもあった。いのうえ あきえさん。素直な小学一年生。

「おかあさん」

おるがんで
ねこふんじゃったをひいとったら
おかあさんが
おしりふりふり
おりていった

今日は「英語でそば会」
二階は「普茶料理の会」  なんか年末らしくなってきた。

木曜日が「そったく焙煎塾」夜が「おとこかっぽれ」

小学一年生・・・あのね

昨日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ち教室」だったけど、生徒が
風邪をひいたので、お休みになった。毎週のように、「昼そば」と「そば前」を飲みに
くる常連さんと四方山話をしていたら、筆子さんがたっくん(押上小 一年生)を、近くの児童館
から連れてきた。音楽家の両親をもつので、ときどきふたりが仕事の時は、幼稚園の時はお迎えにいったり、
卒園式は、地方にいるじいちゃんばあちゃんの代理でお招きを受けたり・・・さながら「押上のじじばば」であ~る。

昔読んだ河合隼雄さんの本を能登の家で見つけた。日本を代表する臨床心理学者でユングなどにまつわる本や、子育て
の本などをたくさん著した人。学者とは思えないほど、慈悲深い顔をされていた。その本の中に「1年1組 せんせいあのね」(理論社)
が紹介されていたので、アマゾンで買って、読んでいる。正確にいうと、この3日の間に、三回読んだ。神戸の先生が、
子供たちに「あのね帳」というのを書かせて、子供たちの「いま」をお互いに見つめあうような日々が綴られている。今でいう「発達障害」
みたいな子がいれば、家庭で居場所がないような子、日韓問題の根本の民族問題・・・1981年初版の本だけど、教えられること多しだ。

いくつかあげてみる。

「どくしん」(よしむら せいてつ)・・・この子は韓国籍のため、学校にいかない、と泣いたりしてた。でも文が「おもろすぎ」。

おかあさんはよその人に
どくしんやゆわれてよろこんどう
としいっとう人かって
どくしんの人がおるのにな
けっこんしている人は
どくしんになりたくて
どくしんの人は
けっこんしたがる・・・・・・・・・・・・・・・感想・なかなか哲学的だ。たぶん50近いおっさんになっているだろうけど、神戸で飲んでみたい。

「男と女」(おかの まり)

せんせい
男と女とけっこんしたとき
あいしあっとうけど
1しゅうかんか2しゅうかん
たっていったら
なかがわるくなるな
どうしてやろ
にんげんがぼろぼろになってくるからかな・・・・・・感想・もうきっと結婚していると思うけど、「やっぱそやな」と悟ったんちゃう?

「けっこん」(せきぐち ひでひこ)

おとうさんとおかあさんは
れんあいけっこんしたそうや
おとうさんはまじめで
いままで げっきゅうぶくろも
いっかいもふうふうをあけずに
もってかえってくれるねんて
おかあさんがおとうさんをすきになったのは
おとうさんから
ぼくはあなたのじんせいこうろのとうだいや
というてがみがきました
それで けっこんしたそうな
だから ぼくはとうだいのこどもです・・・・・・・・・感想・あかりを灯して生きていることでしょう。

「おとうさん」(おおたに まさひろ)

おとうさんは
おこめややのに
あさ パンを食べる

これから「卵かけごはん」40年前から、だんだん朝ごはんにパンが当たり前になってきた。
今日は松本の「大久保醸造店」の田舎味噌を使うそうや。

天真庵は おそばやなのに あさ たまごかけごはんを 食べる

今日の夜は「長屋で女史会」
明日は「英語でそば会」
木曜日が「そったく焙煎塾」夜が「おとこかっぽれ」

命のスープ

先週、能登から松本経由でもどってきた。
蕎麦を打つようになって、ずっとお世話になっている「大久保醸造店」の名物会長の
大久保文靖会長にあいにいった。100冊の本よりも、ひとりの人物。まさにそんな邂逅やった。

もどってきて、水曜日に曳舟のブックオフにいった。2012年8月の「dancyu」(噂のカレー大図鑑)
があったので、パラパラとめくっていたら、カレー特集の前に「巻頭特別企画」というのがあって、
「命のスープ」の辰巳芳子さんの「いのちを養う大豆」があった。彼女の本は、天地自然の理(ことわり)の
ことが理路整然と書かれていて、古本屋で見つかると、大概買うようにしている。

青森県で自然農法で大豆をつくっている福士武造さんの大豆を、小学生たちがいっしょに育てている写真と、
その大豆を使って醤油をつくっている大久保会長がいっしょにでていた。不思議な縁を感じて買ってきた。
辰巳さんの言葉に「大久保さんは、たぶん職場を離れても味噌・大豆の状態と心を離して生きたことのない人です・・・」
とある。続いて「その人を血がたぎるような思いにさせたのが福士さんの大豆なのね・・」と続く。

そして〆に辰巳さんが、大久保醤油を使って炊いた「大豆ごはん」の🍙おにぎり。
まじめに大豆をつくる人、その大豆をつかってまじめに醤油をつくる人、命の根源の料理をつくる人・・
どれも「ひとつごと」をこつこつやってきた人のコラボ。足すことも、引くこともない「ホンモノ」にふれた。

昨日は「ゆるゆるよが」だった。かすみちゃんの髪型が少し変わった。会社を辞し、
新しい道を歩んでいこうという証だろう。なにをやってもヨカヨカ。ヨガも続けるがいい。

今日は日曜日なので16時まで。それから蕎麦打ち教室。
明日の朝は「卵かけごはん」  夜は「長屋で女史会」
火曜日が「英語でそば会」
木曜日が「そったく焙煎塾」と「おとこかっぽれ」
新しい焙煎機で焼く「ほぼブラジル」の味を堪能する会。言葉で尽くせない感動がある。感謝。