光が降りてくるようなライブやった・・

昨日は国貞雅子がサンタよろしくやってきて、素敵なピアノと歌を歌ってもろうた。
キリストもびっくらするくらい、光輝くコンサートやった。
ふたり病欠でキャンセルがあり、16名になった。
昼間バタバタしたので、蕎麦を4時に追加で打った。お客さんの名簿を
確認したら、「ぼくの数えまちがい」(と、国貞はのたまう)で20名になった。
開演前に「立ち見でもいいのでいれてくれませぬか」という電話もあったけど、
立ち見にすると休憩時間のそばが「立ち食いそば」になるので、残念ながらお断りさせてもろうた。

何度も書いたけど、一昨年の年末の彼女のライブの時、夕方彼女のお父様の危篤の
知らせがあった。弾き語りなので、お客さんには顔が見えへんけど、涙ながらに歌う「スピリッツ」
が伝わり、お客も一体になって泣いた。ピアノの横には、南條先生が書いた「泣くも 笑うも人生よ」
の額が飾ってあった。苦楽、愛憎、生き死に・・・泣くも 笑うも・・・みんな表裏一体だ。そしてみんな一仕事して
から「ふるさと」に帰っていく。
昨日は、父が天国に召された次の日の、あいかたをなくした家族の心象風景を詩にした「かにさぼてん」も披露。

能登からもってきた大根の「風呂吹き大根」がバズった。能登では、青とうがらしのことを「なんば」という。
寒い冬に、鍋に昆布を敷き、十字に隠し包丁を入れた大根を入れ、ストーブや囲炉裏の上で、ゆっくり炊き込む。
湯上り美人になったような艶っぽい大根に「なんばみそ」をのせる、が能登流。
昨日は、あっという間に、大根が売り切れた。一瞬、「おでんや」の風情があった。

天真庵のHPに「のむら暮らし」というのがある。先週剪定した梅林の梅の蕾の写真を三輪福さんが
おくってくれたのでアップした。
藪椿の写真は、能登の家の近くの里山に咲いてた「藪椿」と、その木にからまっていた「蔦」を
越前焼の小壺に投げ入れた。鮨職人の片淵さんが「きれいな人がきたらこれで飲ませてやって」
といって置いていった有田のカップのことを思い出した。「花は野にあるがごとく」である。
そうやって花を生かす、というのも、花の葬式とそったく同時。みんな紙一重、表裏一体のまんだら浮世。

蕎麦を打ったり、珈琲を焙煎したり、能登へいっては、畑で大根つくったり、梅を剪定したり、
・・・・いろいろな役をやらされているが、還暦すぎても「大根役者」そのもの。感謝。

今日は日曜日なので16時まで。二階では「満つまめの会」
夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」だ。

明日の朝は「卵かけごはん」
明後日は「書の会」
水曜日が「おんなかっぽれ」

土曜日が大石学さんの「ライブ」
次の日から「自分で年越しそばを打つ」モードのスイッチが入る。