みそか 味噌か 蕎麦か・・・

いよいよ大晦日。。

京都では、晦日には「おから」を食べる習慣がある。「きらず」という。
きらずに食べれる、の縁起から、来月もまた縁が切れませんように、との願いが込められている。
大晦日には、そばを食べる。そばは江戸時代に16文やった。二×八そばの洒落。
そばは、二割の「つなぎ」(小麦粉)を入れてつくる。これも「つながる」という縁起をかけて大晦日に
食されるようになった。

29日は、親子・家族の蕎麦打ちやった。まだ年少組の子らも、エプロンとバンダナを巻いて
参加。「ぼくが先だ」とか兄弟喧嘩しながら、蕎麦粉と戯れている。餅つきもそうだけど、
みんなで協力しながら食べ物をつくっていく、というのは「食育」の中心にあっていいと思う。
そして、一番大切なんは、地球の環境を整えること。今はギリギリのところへきている。
天真庵デビューが、母親のおなかの中・・という子も多い。子宮にいるころから、そばを間接的に
食べている子らは、蕎麦アレルギーがなく、もの言わぬころから、そばを手繰って(正確には、手繰る練習)
いる。玄米をたべる時、ひじき煮とか野菜中心の副食を好むように、小さいころから蕎麦を食べる子も、
それに近いものを好む方向にすすむような気がする。

昨日は、年越しそばも佳境を迎える。打つ人がいて、地方の発送もあるので、朝から坐ることなく、
そばを打ち続ける。一番弟子で毎年30人分打つお弟子様が、風邪をひき、その分も打つことにあいなって、
昨日は130人前くらい蕎麦を打った。時間をみながら、表にほした干し柿を喰ったり、差し入れのシフォンケーキを
食べたりしながら、陽が沈むまで立ちっぱなし。毎年神社にも、買い物のもいけない日。でもありがたいこっちゃ。
終わった後、風呂吹き大根や、数の子をつまみに、「鍋島」をわびすけ(隕石猪口)で飲みながら反省会。
酸の強い鍋島あたりを、隕石猪口で飲むと、酸が無駄なく際立ち、酒そのもの味が、あぶりだされる、そんな気がする。

先日、近くの「粋香」の主人がかいらしい嫁はんを同伴で蕎麦を手繰りにこられた。大学の3つ後輩で、お店を始めたのも3年後輩にあたる。
遅ればせの還暦の祝いに「隕石入り器」をプレゼントした。日本酒のことを知り尽くしているので、これから
いろんな酒を、隕石とふれあわせ、味の変化を楽しみながら推敲して「日本酒と隕石」の本でも著してほしいものだ。
今朝の朝日新聞のカラー見開きに「20年後にアメリカ大統領を輩出する」というハデな広告が・・・我が立命館大学だ・・
それが実現する日までこの星にお互いにいたら肩組んで「グレータ 立命」を歌わなければいけない。

いけない、そろそろ、買い物にいかないと、「そばもん」たちがやってくる。

明日明後日は、営業しております。時間があるひとは「年越したそば」を食べにきんしゃい。感謝。

自分で年越しそばを打つモード

昨日のライブで、今年の行事はおわり、今日から「自分で年越しそばを打つ」モードに・・

明日、明後日は「年越しそばを打つ」のと、「年越しそばを受け取る」のふたつ。
ので、初心者の蕎麦打ちは、本日。4組の人がくるけど、9時から始まって、
まず自分がお手本を打ち(約30分で打つ)、初心者は、一時間から一時間半はかかるので、
陽が暮れるまで「鬼の特訓道場」と化す?
子育てがそろそろ卒業組のお母さんが午前中にふたり、午後はばりばり子育て中のお母さん・・
最後は、「パプリカ」を応援歌にして、蕎麦打ちするパパを応援する家族。

昨日は大石さんのピアノと堀さんの歌。堀さんは亀戸に住んでいて、歩いてこれる場所に
住んでいるジャズシンガー。ニューヨークでレコーディングした経験もあり、歌が妖艶な
オーラの波動に包まれていて素敵だった。大石さんが「天真庵のテレビ金沢に映像の中で、野村氏が釣りを
している場面で曲がひらめいた」という新曲も披露してくれた。来年のアルバムに入れてくれるそうだ。

先週の「国貞雅子」も、大石さんも下関出身。関門海峡を渡ったらすぐにぼくの生まれた街(小倉)がある。
飛行機にふたりで予約して、通路側をふたつするのを「通路はさみ」という。だからぼくらは「関門海峡はさみ」
みたいなもんや。N響の山根さんも大石さんと同じ高校。ピアノの調律をやってくれるカリスマ調律師も
下関。そのあたりを相称して「下関音楽マフィア」と呼んでいる。彼らが、ライブをやってくれると、
なんとなく「潮」や「ふく」(河豚)の香りがする。

昨日はジャズのスタンダードで日本語にすると「なんとかなるさ」という曲を歌ってくれた。
お財布のお金を見る・・・年を越せそうにない・・・でもなんとかなるさ・・・

新しい時代を迎えたけど、暗いニュースや「どうなるんやろ」というようなことが世界中で起きている。
でもこれまでも「一寸先は闇」のような時代やった。それを、「一寸先は光」と感じるのは、
そのひとの「こころのありかた」。なんとかなる・・・

「迷中又迷」(めいちゅううめい)
昔の人は、うめいことをいう。迷いがあるからこそ、それを受け入れたりしながら悟りの境地にいける。
泣いたり笑ったりしながら、ひるむことなく、毎日に感謝しながら歩いていく。
それで、いいのではなかろうか。音楽には、そんな悲喜こもごもな人生が吐露されている芸術。
そしてこの星で一番の芸術は「人と人が出会い、愛し合っていく」ことだと思う。感謝。

今日はライブ 16時で閉店します。

28日(土) 堀 まゆみ&大石 学 ジャズLIVE  19時開場 19時半 開演

演奏:堀 まゆみ(ヴォーカル)・大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

インフルエンザで数名がキャンセルしたので、もしも「!」の人はドタサン大歓迎。

そして、明日からは31日まで「年越しそば」モードになる。

木曜日の休みに焙煎をしてたら、自転車がとまった。おかまのMくんが年末の挨拶にやってきた。
重そうな本をかかえながら、「やっぱり、焙煎機をかえたら、香りがちがってきたわね」といって、
ドスンとその本をカウンターに置いた。「炎色野さん、昨日でおわりだったわ。さみしくなるわね」と。

「行ってくれたんか?何か買ったか?」と質問したら、「いい抹茶茶碗があったけど、今お金がなくて・・」
という。「どうした。女に貢いだりした?」と質問したら、「わたしは童貞よ そんなわけないでしよ・・・
先週友達にお金を貸したら、約束の期日にもどってこなくて、水道が止められたの・・」
という。「君にお金を借りる・・・そのひとはなかなか達人やな」といったら、苦笑い。
焙煎したての珈琲を試飲しながら、四方山話。
カウンターの中に置いてあった塩谷さんの「自在力」を手にとって、「この本は、ゴルフダイジェストに連載
されたものね。写真はわたしの友達のカメラマンがとったのよ」という。ゴルフもヨルフとも無関係なMだけど、
日本の芸能や、宗教、整体とかヨガ・・・知らないことがない、くらい博識なおとこ、もといおかまなのだ。

彼が持った本は「豪潮律師」の遺墨集。
江戸時代の坊さんで、良寛さんや、白隠さんと並ぶくらい、いい書を残した。
熊本の玉名の出身。ぼくのHPに「たまな創生館」というのがある。橋本太郎館長が
実家を改装してカフェやギャラリーや時々音楽会などをやっている。橋本さんは天真庵で
お茶やお花を学ばれて故郷に帰った。夏目漱石ゆかりの「草枕温泉」もある。よかとこ。

珈琲を飲みほすころ、Mくんの携帯がぶるった。「やった、お金が振り込まれた!」とのこと。
さっそく自転車にのり、郵便局めざしてこいでいった。
酒もおんなもやらないけど、たまったお金は、芸術家たちの応援をしているので、いつも自転車創業。
ままちゃりで、あちこち走りまわる変な人だけど、「らしく生きている」という点では、最高峰に鎮座している。

もう一冊、不思議な本を置いていった。昨日の夜、竹葉を飲みながら読む。
こんなところを赤鉛筆で囲ってあった。たぶんMではなく、その本を最初に買って
読んだ「だれか」が囲ったのだろう。

自分のために生きることを始めてみよう
自分を見つめ直して 前を向いて進んでみよう
あなたがこのタイミングをバネに使えるならば
今までにない充実感が味わえる
あなたが進んでいけるなら
まわりが 再びあなたを支えてくれる
あなたは 今ここ を生きている
この世に必要な人だから
あなたは 今ここ を生き続けている

事実をどう受け止めるかによって人生は変わる

火曜日が書の会、水曜日がおんなかっぽれ・・・これで今年の寺子屋は終わった。
明日の「大石組のライブ」が終わると、明後日から「年越しそば」だ。

火曜日に、背のすらっとした若者が蕎麦を手繰りにきた。顔を見て「まさくん!」と叫んだ。
「佐賀のがばいじいちゃん」「気骨のすし会」を末期がんにかかわらず、亡くなるまで3年やって
くれた「片淵さん」のお孫さん。まさくんは、じいちゃんと時々きて、宿題したり、本を読んだり
しながら、天真庵のすし会に参加していた。そのころは、まだ恥ずかしがり屋で、口数も少なかったけど、
背筋がちゃんと伸び、挨拶もしっかりしている。普通なら大学1年のはずが、「どこかで修行している」
のが伝わってきた。

「すしでいくか?」とガチンコ質問してみたら、「いまフレンチを修行中です」と返ってきた。
「ひょっとしてKで修行してる?」と聞くと、びっくりした顔して「よくわかりますね」といった。
フレンチは、おごってもらってもいかないタチだが、なんとなく不思議にKのような気がした。
「時間があったら、ナガヤ、にいってみて。」というと、興味津々な顔をした。

彼のじいちゃんは、まさくんが高校に受かった朗報をきいた2日後に召された。
昭和31年、高校生のころ夜汽車をのりついで、東京駅に着いた時に財布の中には、じゃり銭が
何枚かしか残っていなかった。住み込みの寿司屋に弟子入りし、3年間必至で働いて独立。
自分でリヤカーを改造して(5000円でできた、と自慢しながら笑っていた)、渋谷の今の文化村
あたりで「うどんとつまみと酒」を売った。当時そのあたりをしきっていたA組のヤクザに脅されたり、
反対の警察にも注意されながら、5年くらい死に物狂いで働き、渋谷で「佐賀」というお店をつくった。

還暦を過ぎ、それを後輩に譲り、長野の松川に移住して自然農でリンゴをつくっていた。
奥様がガンになられて、東京にもどってこられ、看病しながら看取った後、ご自分もガンになられ、
一度手術をしたけど、その後は「自然にまかす」という生き方にきめ、「元気なうちは、天真庵で
すしをにぎりたい」ということになって3年やられ、八十路の前に旅立たれた。時代は違うけど、
「夢」を抱けば、現実になる時代。そんな社会にもどさないとあかんばい。学歴やキャリアがなんだ、「おれの道はこれや」でいけた時代。
隔世遺伝で覚醒されたまさくんの将来が楽しみである。

「許せない人がいる自分」を許すと、人も許せるようになる。
「手放せない自分」をただ受け入れると、捨てられぬ荷を担ぐくらい軽くなる。
「自信のない自分」を受け入れると、その自信のない自分を受け入れることができる自分が「いまここ」にいる。

◎事実をどう受けとめるかによって 人生は変わる。            感謝。

テンカウント(人生にはテンカウントはないよ)

昨日は、ボクシング。村田が初防衛した。
拳四郎も7度目の防衛。いつも村田の興行といっしょにやるので、
テレビにも露出しないし、階級もフライ級なので、あまり知られて
いないけど、これまでのボクサーとは次元が違う。
彼がはじめて後楽園ホールにデビューした時、たまたま応援するボクサーの試合
があったので、カリスマ動物病院の医院長と観戦にいった。セミファイナルに
そのボクサーがでて、メインイベントの時、リングにあがる「拳四郎」の童顔な姿
にびっくりした。でもゴングがなった時、各上の相手に、余裕の顔で、相手のパンチを
よけ、左一本で戦う姿を見て、医院長と「これは世界にいくわ」と、はもった(笑)
すぐに、世界にいって、知らない間に7度防衛。楽しみな選手。

36歳の八重樫選手は、彼らしいボクシングをしたけど、一歩及ばなかった。
大橋会長が「タオル」を用意している姿が印象的だった。(レフリーが判断する前に、選手サイドでタオルを投げると、試合が中止される)。
大橋会長も、トレーナーの松本好二さんも「ヨネクラボクシングジム」出身。ぼくも、目白にあったヨネクラジムに通った時期があり、
いろいろなボクサーたちとふれあった。柴田国明、ガッツ石松、川島、中島、大橋・・・5人の世界チャンプを育てた。
松本トレーナーは、東洋チャンピオン。日本チャンピオンもたくさん輩出した。

一昨日の朝、携帯が鳴った。「いわもと ボクサー」で登録(英語の先生も岩本なので、そちらは 「いわもと 英語」)
開口一番「おはようございます。間違え電話です。すいません。のりや と のむら を、間違えました」とのこと。
昔もらったパンチのせいではないだろうが、時々同じようなことがあった。ちなみに彼は、大山で「岩もと」という寿司屋をやっている。
岩本弘行。ぼくと同じ年で、元はヨネクラジム所属の日本Jフェザー級チャンピオン。11回防衛(その当時は記録)した。
初防衛が難しい、といわれるけど、挑戦する時はみんな勢いがあるし、ソレ(勝)ことしか頭にないので、やるしかない。
防衛する時は、そんな勢いのいい(岩本いわく・・「みんなぼくより強い相手だった」)ので、彼は毎回瞼を切って、
流血した。彼のトレーナーで今は天国にいかれたけど「血止めの松本」といわれた名トレーナーがいた。松本清司さん。

「テンカウント −奇跡のトレーナー松本清司」で検索すると、アマゾンで、その本が買える。
この天才カットマン(血止め)のトレーナーがいなければ、岩本さんのボクシング人生はもっと短かったし、
彼が、自分より強い相手にいつも挑戦者の気持ちで向かっていけってのは、後ろで「松本さん」が見守って
くれていたから。いまでも、「岩もと」のカウンターの後ろには、タオルを巻いてゲキを飛ばす松本さんの
写真が飾られてある。彼は、すしやというリングで、闘い続けているのだ。

「テンカウント」というのは、ボクサーが引退するセレモニーの時、ゴングを10回鳴らして、名誉をたたえる儀式のこと。
なかなかその機を自分で判断するのはむずかしい。岩本にテンカウントの印籠を渡したのが松本さんで、そのふたりの「ボクシングもよう」
が、本に綴られている。八重樫もきっと今回の試合で緞帳を下げ、テンカウントの儀式を迎えると思う。ほんま、ええボクサーやった。
岩本は世界に一歩及ばなかったけど、松本さんといっしょにヨネクラジムに「血止め」のノウハウを残し、今は横浜の
「大橋ジム」がその伝統を受け継ぎ、世界で戦うボクサーを育てている。井上尚弥は、その代表であり、これまでとはスケール
がまるで違う選手。

ときどき、大山の「岩もと」に鮨をつまみにいく。往年の世界チャンプや、現役のボクサーたちも
よくカウンターに並んで鮨をつまんでいる。ボクサーの「平均現役時間」は、3年くらいだろう。
「それから」のほうが長い。11度流血しながら防衛し、すしやに転向して、いまだ現役ですしをにぎっている。
岩本のすしは、なんとも晴れ晴れしく、一貫一貫に「魂」がやさしくにぎられているようだ。
裸ひとつで、こぶしをにぎりしめて、リングで戦うボクサーは、「生きかた」を教えてくれる。
肩書や名誉や財産は二の次三の次。「無為」・・・「あるがまま」なのである。

今日は「書の会」
貞本先生は、大塚の「江戸一」(ここの主人も、昭和31年うまれでいっしょ)で知り合った。
彼もぼくに「あこがれて」(ウソ)、ヨネクラジムに2年くらい通ったことがある。

明日は「おんなかっぽれ」
土曜日が「大石さんのライブ」

愛情の通り道をきれいに大掃除 

昨日は「満つまめの会」やった。まーくんが、最近忙しくなって、月に一度だけ
二階で「気孔整体」をやってくれる。半年あいたけど、日程がきまると、その日に
満席御免になる。他所で武者修行をした成果もいっぱいあるようだ。

昨日の一番手は、そばのお弟子様の奥様。だんなの方は、少し体調が悪くて
2か月ほど蕎麦打ちを休業している。まーくんが「どうしました?」と問い、
「ちょっと首と左手が痛くて」・・・というと、首のほうに手をかざして、
「頚椎の5番・・・ここが原因ですね・・・気を入れてみます」といって3分ほど注入。
そして、奥方の整体のため二階にいった。

そのお弟子さまは、不思議な顔をして「手をかざしただけで、何で?」と問う。MRAまでやってやっと
わかったことが、目も見えない彼がどうして・・
「目に見えない世界に、いっぱい不思議がある。でもその不思議を信じる人と、信じない
人の間には、深くて長い河があるんじゃない」と答えた。
奥方を待つ間に、「お酒」を所望されたので、竹葉をぬる燗にして、「わびすけ」(うめ星・・隕石入りの酒盃)
でだした。ら・・・・「なんですか、このお酒・・・今まで飲んだことがない味」とのたまうので・・
「やっぱり目に見えない宇宙のパワーちゃう」と答えた。そして、しばらくして「年越しそばを打ちます」
と元気にいった。やはり人生は、こころひとつのおきどころ、であ~る。病気になることも、何かを教わる「そったくの機」。

7時まで「満つまめ」があり、二階は「ゆるゆるヨガ」になって、交代するようにまーくんが降りてきた。
ルービとガレットでプチ忘年会。彼が「今日は、みんなに深い呼吸をするコツを伝授しときました」とのこと。
「最後の人(そのあと、ヨガをうけた人)に伝えるのを忘れたので、マスターから伝えてください。」とのこと。

その後、ヨガった後の女子たちと、新そばを食べながら談論風発。日々是好日。

コツ

息をゆっくり鼻から吸う。そのままだと肺に空気がはいるだけなので、意識をチャクラ(眉間あたり)に
集中して吸う。そして数秒とめて、口からゆっくり吐く。その時は、臍下丹田に集中する」
とのこと。余計だけど、「吸う時に、肛門をキュっと〆るともっといいよ。中村天風さんはクンバハカといってた」と教えた。
ら、カウンターの椅子の上で深い息をして、キュッと実験した。「マスター ほんとだ これはすごい」
といいながら、ルービで乾杯・・・この「意識した深い呼吸の通り道は、愛情の道、でもある」
血圧、脈拍、心拍・・・は、自分の意識では変えることはできへん。呼吸は、「いまここ」から変えることできるヨ。
金もかからへん。すると、お金にかえられへんくらい「しあわせな人生」の一歩を歩きはじめる。人生のコツでもある。
地味なことやけど、毎日コツコツやった人のカチ。

これから「卵かけごはん」
明日は「書の会」
明後日は「おんなかっぽれ」

光が降りてくるようなライブやった・・

昨日は国貞雅子がサンタよろしくやってきて、素敵なピアノと歌を歌ってもろうた。
キリストもびっくらするくらい、光輝くコンサートやった。
ふたり病欠でキャンセルがあり、16名になった。
昼間バタバタしたので、蕎麦を4時に追加で打った。お客さんの名簿を
確認したら、「ぼくの数えまちがい」(と、国貞はのたまう)で20名になった。
開演前に「立ち見でもいいのでいれてくれませぬか」という電話もあったけど、
立ち見にすると休憩時間のそばが「立ち食いそば」になるので、残念ながらお断りさせてもろうた。

何度も書いたけど、一昨年の年末の彼女のライブの時、夕方彼女のお父様の危篤の
知らせがあった。弾き語りなので、お客さんには顔が見えへんけど、涙ながらに歌う「スピリッツ」
が伝わり、お客も一体になって泣いた。ピアノの横には、南條先生が書いた「泣くも 笑うも人生よ」
の額が飾ってあった。苦楽、愛憎、生き死に・・・泣くも 笑うも・・・みんな表裏一体だ。そしてみんな一仕事して
から「ふるさと」に帰っていく。
昨日は、父が天国に召された次の日の、あいかたをなくした家族の心象風景を詩にした「かにさぼてん」も披露。

能登からもってきた大根の「風呂吹き大根」がバズった。能登では、青とうがらしのことを「なんば」という。
寒い冬に、鍋に昆布を敷き、十字に隠し包丁を入れた大根を入れ、ストーブや囲炉裏の上で、ゆっくり炊き込む。
湯上り美人になったような艶っぽい大根に「なんばみそ」をのせる、が能登流。
昨日は、あっという間に、大根が売り切れた。一瞬、「おでんや」の風情があった。

天真庵のHPに「のむら暮らし」というのがある。先週剪定した梅林の梅の蕾の写真を三輪福さんが
おくってくれたのでアップした。
藪椿の写真は、能登の家の近くの里山に咲いてた「藪椿」と、その木にからまっていた「蔦」を
越前焼の小壺に投げ入れた。鮨職人の片淵さんが「きれいな人がきたらこれで飲ませてやって」
といって置いていった有田のカップのことを思い出した。「花は野にあるがごとく」である。
そうやって花を生かす、というのも、花の葬式とそったく同時。みんな紙一重、表裏一体のまんだら浮世。

蕎麦を打ったり、珈琲を焙煎したり、能登へいっては、畑で大根つくったり、梅を剪定したり、
・・・・いろいろな役をやらされているが、還暦すぎても「大根役者」そのもの。感謝。

今日は日曜日なので16時まで。二階では「満つまめの会」
夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」だ。

明日の朝は「卵かけごはん」
明後日は「書の会」
水曜日が「おんなかっぽれ」

土曜日が大石学さんの「ライブ」
次の日から「自分で年越しそばを打つ」モードのスイッチが入る。

愛媛からみかんが届く

愛媛の先輩のところから「みかん」が届いた。
ギャラリーをやるきっかけをつくった寒山拾得の南條先生は、今治に住んでいる。
今年卒寿の祝いに、6月にいってきた。
「もち麦」や「黒豆茶」をつくってくれてる農家さんも愛媛。
みかんを毎年おくってくださる大学の先輩(50の手前で召された)
は、立命館大学のELS(英米文学研究会)の先輩。DHロレンス(どえっち ロレンス というあだ名。チャタリー婦人の
描写で裁判沙汰などになった)の「息子と恋人」の原書を、一年勉強した。

毎日のように荒神口の「安兵衛」というおでんやで酒を飲み、学食の定食(200円くらいやったか)
も食うお金がなく、「ごはん」を注文したら、食堂のおばちゃんが、あまったおかずをのせてくれた、ような目立った貧乏学生やった。
そんな体たらくな後輩を見かけて、ある日、「今度の土曜日三条京阪の駅にきなさい。」といわれ、いってみたら、電車で京都競馬場につれて
いかれた。臨時従業員のバイトを紹介してくれた。当時喫茶店のアルバイトが自給280円。珈琲一杯が250円。ショートホープ
が50円の昭和51年度。大学の授業料が198000円。それを半分づつ分割で払っていた。たぶん国立大学と変わらないくらい、安かった。
そんな時代に、競馬場の給与は40日で40万になった。京大、同志社、立命館の「乗馬クラブ」の人たちがアルバイトにきていて、
彼らは、もらったお金をクラブに寄付?し飼葉代にする、というシステムだった。ぼくたちは、「貧乏学生を救済する」という
名目で、京大3人、立命館3人(同志社とかは、ボンボンが多かったのでおらんかった)の枠があった。その枠の中に入れて
もらった。

喫茶店のバイトと、家庭教師もやっていたので、当時の大卒の初任給が9万円くらいだった時代に、3倍くらい稼ぐ
ようになったと思う。銀行に預けるのが嫌いだったので、ネスカフェの空き瓶の中に、ぎっしり入れて箪笥預金ならず珈琲貯金
のようにしていた。家庭教師は、その先輩の下宿屋のボン。京大生とかが教えても、まったく勉強しないアホボンやった。
そんな手ごわい奴だったけど、いっしょにおでんやに連れていったり、パブにいって、女子学生をナンパしたり、
花脊峠まで自転車でサイクリングにいったりしてやっと勉強するようになり、紫野高校に合学した。
でも、家庭教師の悪影響か、一年で退学して、ミュージシャンになって、ニュヨークに渡り、今はロンドンで活躍している。

今年は柿もいっぱいとれて、干し柿にした。渋柿は干し柿にすると美味い。お茶のお茶うけの「原点」
また「一客一亭」の茶でもあれば、そんな茶会をしてみたい。能登では渋柿のヘタに焼酎をかけ
ビニール袋で10日くらい発酵させる食べ方がある。「ずくし」という。

世の中は澄むと濁るで大違い。 刷毛(はけ)に毛があり、禿(はげ)に毛がなし・・・そんな調子のうたがある。

世の中は澄むと濁るで大違い。 ずくしに柿あり  つくしに牡蠣あり・・・・・・・能登町の津久志鮨をしってる人にしかわかんない?

今日は「国貞雅子のライブ」があるので16時閉店。  

今日から3日間 12時から16時営業

残りすくなくなってきた。(10日も能登休みをとりながら、なんであるが・・)
今日は、かよちゃんの素敵なバロックコンサート。彼女のバロックオーボエは
聴いているだけで元気になる。13年くらい前に「ここでコンサートしたい」
と彼女にいわれ、その時にチェンバロ持ち込みで、やった。チーズケーキとほぼぶらじるとバロック音楽。
天真庵の「原点」みたいな音楽会。ラストさんのオーボエも、かよちゃんに負けないくらい、元気な音。
まみちゃんのピアノは、普通のピアノも「チェンバロ?」というような不思議な音を奏でる。

10日くらい前に「放下著」(ほうげじゃく)のことを書いた。「ただ手放せ」という禅林世界の言葉。
年末は大掃除とか、断捨離の季節。年をとってくると、周りに迷惑かけんように、いろいろなものを
整理しなくちゃいけない。でも一番必要なことは「人」の断捨離らしい・・・
仕事をバリバリやっていたころは、年賀状が1500とか1700枚くらい出したり、きたりしていた。
そのころから、頭が悪かったので、うち100枚くらいしか、宛名の人と顔がわからなくなった。
今は、100枚ちょっと。(まだ書いてないけど) 友達が少なくなった・・・ではない。
利害得失を抜きに、おつきあいできる人としかつきあっていない・・そんな感じかな?
親友は3人くらい、こころから好きになった人がひとりかふたり・・・みんな
そんなところじゃない?

昨日の夜、古い奇僧の禅問答の本をめくりながら、酒を飲んだ。
どうしても手放せないところは、手放さなくていい、と書いてある。しかも
その時は「捨てられぬ荷物は、担げ」と喝を入れられてある。ウムフム。。。酒がまわって
くると、このような本は、頭の中でぐるぐるまわる。

「許せない人がいる自分」を許すと、人も許せるようになる。
「手放せない自分もそのまま許す」ということらしい。ウーン、なるへそ・・・
人間関係とか、ごちゃごちゃした悩みいうのは「執着しない」ことや(ここがむずかしいけど)。苦楽も好き嫌いも表裏一体。
だから仏教では「空」とか「無」とかを大事にするんやな。ぼくは「喰う」のが好きやけど。

天地いっぱいの「はたらき」に感謝しながら通れば、「天地いっぱい」=「いまここ」がまわりにあふれる。

捨てられぬ 荷もあろうに だるまさん

還暦を過ぎても、まだまだ凡夫で執着(しゅうじゃく、と禅林はいうそうな)多し日々。も、また好日。感謝。

  20日(金) バロックコンサート

演奏:渡辺佳代子・ラスト恵子(オーボエ)・長久真美子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

21日(土) 国貞 雅子 ソロ LIVE

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

28日(土) 堀 まゆみ&大石 学 ジャズLIVE

演奏:堀 まゆみ(ヴォーカル)・大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

明日から能登休み。

能登にいくならすずなりの名所

昨日の夜、いや今朝2時半くらいに東京に着いた。いつも「夜逃げ」のような
旅をしている。IT時代の友人が能登にいく日に遊びにきた。会社もうまくいっていて、
ぼくより1000倍くらいお金もあり、社員にも家族にも恵まれていそうなくん。
「HPでテレビに紹介された映像みました。はっきりいって、羨望を超えて、腹がたつ、くらいにうらやましい」
といって笑っていた。べつに、特別な生活をしているとは、ほんまに思っていない。
小学校時代から親友のまったいからメール。「遅ればせながらテレビ見ました。どこで暮らしても、いつもののんちん(ぼくのあだ名)やね。」
やはり竹馬の友。よくわかってくれている。「こうしか生きられん」という道をもがきながら、いくだけやけど・・。

昨日は朝起きて、珠洲へ。まず、揚げ浜式で塩をつくっているじいちゃんとこ。
まだ輪島には、旧式で塩をつくっているところが残っている。でもそのじいちゃんの「塩梅」
は、大久保さんの醤油、それを使って命のスープをつくる辰巳芳子さんと同じく「神レベル」なのだ。
来月の終わりから味噌作りを始まるので、挨拶をかねて訪問。「これは非売品」といってじいちゃんの
醤油を土産にもらった。ここの塩でおむすびをむすぶ、と、それだけでみんなまわりが笑顔になるよ。
「レシピ」や「やり方」や「材料」がおんなじでも、似て非なるものができる。
その差は・・・・・毎日の「魂」のレベルの差やと思う。どんな世界もいっしょ。

珠洲。能登半島のとっぺん。てっぺん?最先端にあるとこ。
10月に半澤鶴子さんの茶事があったので、お茶のお弟子様たちと「のとじ荘」
という国民宿舎(元?)に泊まった。ここもソフトバンク時代の後輩やけど、ぼくより1万倍?それ以上
お金持ちのくんが、「おすすめの宿」。一泊一万円ちょっとで泊まれる。でもホテルまわりの海の景色は、
地球じゃありえない、くらい、いい。「能登里山空港」を利用すると、さらに割引がある。
昨日は、そこの温泉に日帰り入浴。600円。長風呂の筆子さんを待つ間に、ロビーでルービ(昔遊び人たちは逆さにしてた)しながら、
日経・読売・北国新聞を読む。*先月お邪魔した「大久保さん」に、「さか本、がいいよ」と教えてもらった。
珠洲の温泉宿。三輪福さんもおすすめ。主人は蕎麦も打つので、大久保さんちの醤油を「かえし」に使っている。
点と点がつながったような人といきたい宿だ。

次は能登のパワースポット「すず神社」。石川県珠洲市のはじまり。奥能登の先端部分に位置するこの場所にある須須神社。
「何を感じるか」は、それぞれの感性やけど、なにかいらっしゃる気配がただよう神社。
ほんまは、焙煎機をバージョンアップする「あるもの」が珠洲にあるので、毎月のようにそこにいき、仙人みたいな
店主と四方山話をしながら、試行錯誤している。昨日は、神社で深呼吸していていたら、ヒントが降りてきたんで、すぐに
仙人のところへいって、「これ」というのをつかんだ話をした。仙人も呆気にとられ「奇人」を見るような温かい?まなざしでぼくを見ていた。
そこの近所に「みさき小学校」がある。校庭に大きな看板がある。その「言葉」だけで、校風がよくわかる。

「早寝 早起き 朝ごはん」・・・・・学校で教えるまでもなく、各家庭で、よろしく。日本の一番問題なところ。

そんな「寄り道」しながら帰ってきたので、普通は8時間で帰ってくるところを、倍以上かかってしまった。いつものことやけど・・
今朝は、香取神社にいき、帰って朝ごはんを食べ、それから、さっそく「焙煎の実験」(新しい焙煎方法&UFOドリッパー)・・孤独な作業だけど、ときどき焙煎の香りに
さそわれて入ってくるMくんや、各種実験におつかいしてくれるお弟子様たちの来店は、なによりありがたいのです。
しかも、今日は「もくもくサロン実験」をひとりでやった。ストーブには、自然農でつくった大根が風呂大根めざして、ことこと入浴している。
痴呆になっても、どこか地方で、このやり方で珈琲が焙煎できれば、最近まじめに取り組んだ呼吸法の成果で「107歳」(塩谷先生をひとつ凌駕)
まで生きても、なんとか食っていけそうだ。ま、野垂れ死に・・でもかまへんけど・・
なんとなく、新聞なんかでは「景気が拡大・・・」みたいなのほほん事をいっているけど、実際は「恐慌に近い」ように感じる。
「喰い詰める」という所までいかないと、みんな真剣にならない?

明日と明後日はライブなので16時閉店。日曜日もそうなので3連荘。日曜日は「満つまめ」と「ゆるゆるヨガ」もある。

20日(金) バロックコンサート

演奏:渡辺佳代子・ラスト恵子(オーボエ)・長久真美子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

21日(土) 国貞 雅子 ソロ LIVE

演奏:国貞 雅子(歌・ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

28日(土) 堀 まゆみ&大石 学 ジャズLIVE

演奏:堀 まゆみ(ヴォーカル)・大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

明日から能登休み。