炎の芸術

見てないけど、朝ドラは「スカーレット」をやっているらしい。
信楽の女性の陶芸家が主人公だとか・・・・スカーレットは「炎色(ひいろ)」
という意味らしい。渋谷に「炎色野(ひいろの)」という陶器のギャラリーがある。
何度も書いたけど、天真庵の器をつくってくださる久保さんも、、何年か前まで毎年
個展をやらせてもろうた。女将も「炎の芸術家」を家族のように応援してきた女傑である。
しかも古信楽の妖艶のようなあやうい美人である。今年で終わるのがなんとも寂しいかぎりだ。

今年の12月21日から25日の丹波焼の今西公彦さんがトリで緞帳を下げることに、あいなった。
彼は代々続く陶芸家の当代の人で、器もいいけど、丹波での暮らしの話などを酒飲みながら
すると、抱腹絶倒したくなるような話が尽きない。きっと、その土地の地縛霊さんたちと
普通に会話してるような節がある。ヘビの交尾の話などが始まると、酒を吹き出しそうなくらい、おもろい。

明日23日(金)から27日(水)までは「渡辺愛子」さんが個展をやる。信楽の現代のスカーレット。スターかな。
19回目になるらしい。京都の嵯峨美をでて、しばらく学校の先生をやってはったんやけど、
思うことあって「陶芸家になろう」と決めたそうだ。信楽の茶人ごのみの壷のことを「蹲(うずくまる)」という。
「考える人」ではないけど、人が煩悶しながらうずくまっている姿を連想し、そう呼ばれている。
若い(45まで)ころの彼女の蹲が何点か天真庵にある。みずみずしいスカーレットに、彼女の「夢」
みたいなもんが投影されていて、ときどき「冬きたる今のような」ころ、そこに白い椿の「初嵐」
などを投げ入れると、部屋の空気が凛然とする。彼女もまた冬の白い椿のような雰囲気を持つ美人だ。

銀座の黒田陶苑で「たぬき」のおきもんをつくった年があった。「キンタマついとん?」ときくと
「つけてへんわ すけべ」と返事された。信楽いうと、キンタマぶらさげて徳利かかえたタヌキを
連想するけど、銀座の名店にはふさわしくない、と思ったんやろね。天真庵の二階に、さりげなく置いてある。

信楽は、昔から茶壷や、能舞台の床の下に置いて音響効果を高めたりするのに使われた。
彼女の大壺は、女性とは思えない迫力がある。能登の家には、彼女の大壺を玄関にと置き、
水曜の朝は枯れすすき、ナナカマドとか紅葉した蔓などを入れ、松の木も入れた。
さながら「三段紅葉」のような投げ入れの花と、信楽独特とビードロという窯変した緑の
コントラストがすばらしい・・・誰もいってくれへんので、自画自賛風。

天真庵の改装していた正月は、彼女が一升瓶をぶらさげてきてくれた。工事中のココでお屠蘇を飲んだ。
オープニングの時に、カウンターで自慢のタコ焼きを焼いてくれたことも、まるで昨日のことのようだ。
今では押しも押されもしない陶芸家になり、来年はスイスでも陶展をやる。
これからも楽しみな作家だ。ぼくは自分の骨壺をお願いしてある。

作家もんの器が生活の空間にある・・・というのは、言葉では尽くせぬ「ゆたかさ」がある。
縄文時代から続く「六古窯」瀬戸、常滑、丹波、備前、越前、信楽のことをいう。
その中の「信楽」と「丹波」の逸品が渋谷で見られる。ぜひ足を運んでほしい。
左党(酒のみのこと)のおふたりの作る酒器も、いいよ。

明日は「かよちゃん組のピアノとオーボエの発表会」があるので16時閉店。
明後日は、ひさしぶりの「満つまめの会」が二階で・・すぐに満席になった。感謝。

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