縄文人が生きている能登半島。

昨日の朝、水平線に沈む満月・・・は、まことに不思議な世界やった。
志賀(しか)というこちら側は、夕陽が沈むがわ。「義経の隠し舟」や松本清張のゼロの焦点の
舞台になったヤセの断崖は、夕陽のビュースポットとしても名高い。夕暮れ時に沈んでいく夕陽を
見ていると、この世のものとは思えない「弥勒の世界」を彷彿させる。そこに、まあるいお月さま
が沈むような、同時に朝日が東の里山から上がってくる、というめずらしく不思議な自然を目の当たりにした。
昨日はまったく不思議な一日だった。

食事(能登の朝飯メニューは、ガレットと珈琲が多い)を終え、半島の反対側にある能登町に向かう。
梅茶翁へ珈琲豆の配達。梅林に挨拶をする。これから本格的な冬だけど、梅の木は、春を一番に告げる役割が
あるので、冬の間も命を燃やす。そして2月に花を開く60日ちょっと前、つまり12月に剪定をする。
切り上げ剪定という、元気な枝を残し、少しうつむいてるような枝を切りとる方法で、剪定する。
寒風や雪降る中でやる作業はつらいけど、そんな気持ちが梅に伝わって、その「ひとてま」が春の謳歌を
より豊かにしてくれる。植物に、「生き方」をいろいろ学ばされている毎日。来月「剪定を手伝いたい」
という奇特な人がいたらご一報お願い。

能登の家の畑は、里山の麓にあり、20年近く休耕だった土地。守り神のような「さつき」だけが
春になるとニッコリしてくれるだけで、そこを2年かかりで開墾して辛味大根をつくった。
「ポット」という黒い入れ物に種を発芽させ、芽がでたところを畑に移す、という正攻法を使わず、
直接土の中に3つぶづつ種を蒔き、ほったらかし(除草も女装も肥料もやらず)でやってみたけど、
ビギナーズラックなのか、そばにいい加薬の辛味大根ができた。
先月は、お店から「椿」の挿し木をもってきて植えた。とても元気にしている。
挿し木の椿が咲くのは、20年くらい先、らしい。その時まで、この星に住んでいるかどうか、微妙な
時間ではあるが、下町の品評会で優勝した藪椿の花を能登で見る夢を見ている。

桃栗3年柿8年 ゆずの馬鹿たれ18年・・・椿はゆずよりばかたれだ。
(腿(もも)・尻3年 胸8年・・その道の達人の森繁久弥さんの名言 さりげなく触れるようになる年月らしい(笑)。今は昔。
今だと、腿(もも)・尻 懲役3年 胸 懲戒免職?)

「植物に話かけると元気になる」という話がある。少し違うような気がする。人は見えるもの
、自分が信じるものだけを、見ようとする。「うめ星」の実験(天真庵のHP)をしたり、能登で
梅やさつきや、土とふれあっていて感じたこと・・もともと、植物が人間に「元気に」とか「愛してるよ」
とか、声をかけてくれている。呼吸を整えて、精妙な気持ちになったり、11日以降の新しい空気の中で
素直に自然や植物の命に波動をあわせていると、「声」が聞こえるようになってくる。
もともと人間にあった「自然な超能力」が、退化しているけど、訓練によって、もともとの五感を取り戻す。
UFOや宇宙人とは、まだお会いできていないが、もうすぐチャンネルがあいそうな気がしている。

家族や友達や恋人も同じようなもので「こっちが見ている」と思っているけど、
「見ている自分」という時空と、あっち側はまったく別の世界。量子力学みたいだけど、
「見られる側」と「見る側」の気持ち次第で、千変万化するような世界みたい。
そんな風に切り替えてみると、顔も見たくないような職場の人や、粗大ごみにしたくなるようなつれあい
も、煩わしい気持ちを手放して、新鮮な顔に見えるのでは・・・?どうしても生理が合わない、というのは整理したほうがいい?
「ともに楽しむ」「友に愛する」・・・「相語り相笑う」の精神。

今日は風が強く☂模様。こんな日は納屋の中をかたずけたり、本を読んだりして過ごす。
昨日漁師さんたちが港で、小鯵を網でとった。お裾分けに200匹くらいいただいた。
豆鯵は、サビキ釣りで釣るのが常道。でも縄文人のDNAをもつ能登人は「いまここ」
というときに一気呵成に自分たちが生き残れる分だけとる。昨日は朝はやく、何人かの漁師さんたちが、
港の入り口に網をしかけ、「追い込み漁」みたいな方法で豆鯵をとった。
これを南蛮漬けにしようと思う。みんな、毎日が命がけだった。それがいい。半端はアカン。

昨日は茶事で横に坐る縁をいただいた「数馬酒造」の若女将と再会。
「竹葉」を6本仕入れてきた。熱燗大賞をとったこの酒の燗は、能登の冬をゆたかに醸してくれる。
「うめ星」を使ってオーリングテスト。三十路にも満たない若い女将の右指で「OK牧場」をしてもらい、
力を入れてもらう。ぼくが開くとすぐに開く。次に左手に「うめ星」をにぎってもらい、同じく開く。
誰がやっても、「力」が漲ってきて、ななかな開かない、くらいにエネルギーが満ちる。
「鳥肌がたってきました」という女将の手が真っ赤に染まっている。そして「縄文人はきっと
このあたりの知識があったのでしょうね」とつぶやく。さすがに「縄文真脇遺跡の近くの酒蔵に嫁いだ嫁」
ののたまうミュータントなメッセージだ。縄文人たちの宗教観や哲は、今の日本人の中に根強く浸透している。
ここ能登においては、連綿とつながってることが日常茶飯だ。日常茶飯の中に「哲」あり。感謝。

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